第46話 親善試合(プライドマッチ)


 神秘法院マル=ラ支部。


 フェイたちの部屋があるフロアの下、十一階の通路の隅で――



「……っ……はぁ、はぁ……」


 壁に手をつき、ネル・レックレスは肩を大きく上下させていた。


 息が苦しい。

 たった一フロア分の階段を駆け下りてきただけなのに。あまりの緊張で胸が詰まって、ここに来るまで息さえ忘れていた。


「……何で……逃げだしてしまったんだ私は……」


 神秘法院の事務員のアルバイト。


 彼らフェイたちに近づくには絶好の機会だった。昼間はだめだったが、もう一度、自分をチームに入れて欲しいと頼みこむつもりでいたのに。


「…………はっ。肝心な時に勇気が出せないな……私は……」


 変装を見破られた動揺で、逃げてしまった?


 いや違う。


 土壇場で怖くなってしまったのだ。もう一度頼んで、それでもう一度断られるのが怖くなったから逃げだしたのだ。


「…………肝心な時に勇気が出せないな……私……」


 唇を噛みしめる。


「らしくないな。お前ほどの者が、無様な真似をするな」


 コツッ、という硬い靴音。

 ネルが振り返ったそこには、黒の儀礼衣をまとう長身の青年が立っていた。


「……ダークス」

「ネル」


 かつての同期である男に、名を呼ばれた。


「二年前、俺たちは同期として配属された。俺とお前、どちらかがこの代のトップになる。そう言われていたな」


「…………」

「だが、この現状ザマを見ろ」


 自分ネルは二勝三敗で退役。

 対し、ダークスは三勝一敗。


 今や支部を代表する使徒の一人だ。彼が設立したチームは支部の筆頭となり、そんな彼を貴公子プリンスと賞賛する民衆たちも数多い。


「俺が生き残り、お前は引退した。その違いは何だ? 才能か? 実力か?」


「……好きなように言えばいい」



「っ!」

「お前は運が悪かった。味方運にな」


 ダークスが何かを放り投げる。


 宙を渡ってネルの手に収まったものは、金色に輝く薄型のカードキー。何度となく見覚えがある。チーム『この世界の嵐の中心テンペスト・クルーザー』。


 この青年がリーダーを務める集団だ。


「だが俺は、お前の実力と負けん気は高く評価している」

「……もう何度も聞いた」


「そうだ。だが何度でも言おう。ネル・レックレス、俺のチームに入れ、解析班アナリストとしてだ」


「――――」

「お前は、いつまで事務員の見習いアルバイトなど続ける気だ?」


 優秀な使徒は退役後も引く手数多だ。

 秘境探索チームへの推薦もあるが、なんと言っても現役チームへの貢献――


 すなわち解析班アナリスト指南役コーチ


 優秀な解析班アナリストは、優秀な使徒よりも貴重。そんな格言があるほどに、神々の遊びの攻略には必要不可欠な人材なのだ。


「お前がいれば俺のチームはまた一歩理想に近づく。『すべての魂の集いし聖座マインド・オーヴァー・マター』を超える最強のチームのな」


「無用だ」


 ネルの答えに迷いはなかった。


「私が望むのはフェイ殿のチームだ。それ以外のどこにも入る気はない」

「なぜだ?」


 凜々しい面持ちのダークスに、気分を損ねた様子は微塵もない。


 誘いを断られたとて、それで不機嫌になるなど決してない。それがこの男の美徳であり器であることはネルも承知の上だ。


 まさしく内外ともに一切の不純なき、遊戯ゲーム貴公子プリンス


 ……フェイの遊戯を見ていなかったら。

 ……私も、この男の手を握り返していたかもしれないな。


 カリスマと呼ぶに足る魅力がある。

 それはネルとて異議がない。

 だが――


「ネルよ、何がお前をそうさせる」

「私の勘だ」


 自分が真に心惹かれたのはフェイなのだ。

 無限神ウロボロスに挑んだゲームプレイを見て、そう直感した。


「なるほどな。では――」


 ダークスが右手を突きだした。

 掌をこちらに向けて。


「俺と一つ賭けよう」

「……なに?」


「明日、親善試合が予定されている。フェイ


「何だって!?」


 ネルが初めて聞かされる情報だ。


 神秘法院の事務員として働いているものの、ネルは見習いアルバイト。重要決定事項の伝達順位は低い。


「親善試合……お前とフェイ殿が……?」


「支部同士の交流という名目だ。もっとも、その実態は言うまでもなく俺とフェイとの真剣勝負だ」


 自信にあふれた眼差し。

 世界最強のチームを超えると豪語する男が、ネルをまっすぐ見据えて。


「明日俺が負けるようなことがあれば、お前の目の正しさを認めよう。降参の証にお前の言うことを何でも一つ聞く。だが俺がフェイに勝った時は、俺こそが近年最高の新入りルーキーだと認めてもらう」


「……私が、お前の傘下に入れと」

「そういうことだ」


 フェイではなくダークスこそが最高の新入りルーキー。 

 明日、何万人という観客の前でそれが証明されてしまえば、ネルがフェイのチームに拘る理由もなくなる。


「小細工は一切なしだ。俺とフェイのゲームプレイのみで優劣をつける」


「…………」

「明日、俺たちの戦いを見ているがいい。ネル」


 黒の儀礼衣をひるがえす。


 ネルが言葉を返せぬうちに、ダークスは高らかな靴音とともに姿を消した。



 秘蹟都市ルイン代表、フェイ。

 聖泉都市マル=ラ代表、ダークス。



 人と神々の対決ならぬ――



 人と人による、究極の対人ゲームが幕を開ける。








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