第45話 ネルは全力で逃げだした


 神秘法院マル=ラ支部。


 ビル十二階、ゲストルームから見下ろす夜景は煌びやかだった。 


「へえ? あのドーム型のでかい建物、さてはあれがスタジアムか。俺たちのゲームの観客チケット、二万人分が七分で完売したっていう――」


「さあフェイ! お楽しみの時間よ!」


 ミシッ。


 施錠されていたはずの扉が鍵ごと強引にねじ上げられて、タンクトップ姿のレーシェがフェイの部屋へと飛びこんできた。


 持参したボードゲームを小脇に抱えて。


「夕食まで時間があるわ。それまで遊びましょ!」

「……あ、あわわわ。こ、ここがフェイさんのお部屋…………!」


 一方で。

 レーシェに引っ張られてやってきてパールは、なぜか顔が真っ赤である。


「あ、あたし……男の子の部屋に入ったの生まれて初めてで…………」


「? いや俺の部屋っていうか、俺ら三人が寝泊まりする部屋ってだけだろ?」


「――――」

「パール?」


「……ここがフェイさんの部屋。年頃の男子と、その部屋に足を踏み入れてしまった年頃の乙女。そこで一夜を過ごすうちに、何も起きないわけがなく……」


「おーいパール?」


「そして寝静まった夜更け、二人は一時の好奇心に駆られて大変なことに……い、いえ!あたしがそういうのを期待してるとかじゃないですよ。で、でもフェイさんが力ずくで襲ってきたら、か弱い女のあたしとしては受け入れるしかなく……!」


「……妄想癖に磨きがかかってるなぁ」


 何やら怪しげな妄想にふけっているパール。


 一方のレーシェはというと、勝手知ったる我が家のごとく、自分フェイのベッドで寝転んではくつろいでいる最中だ。


「まあいっか。二人にちょうど見せたいものがあってさ。レーシェ、ベッドの上にリモコンがあるだろ。それでモニターの電源つけてくれ」


「これ?」


 うつ伏せのレーシェがリモコンを押す。


 壁際のモニターが起動。

 パールとレーシェとが見守るなか、そこに映った映像は、ある『神々の遊び』のプレイ動画だ。


「俺たち、明後日はマル=ラ支部の使徒とも組むわけだし、どんなゲームプレイするのかって見てたんだよ。そしたら偶然さ……」


「あーーーーーーっ!?」


 パールが、素っ頓狂な声を上げてモニターを指さした。


「この黒髪の女の子、あたし見覚えがあります!」


「そうそう。俺たちの到着を駅で見張ってて、出会うなり配下にしてくれだなんて頼み込んできた――」


「ネル・ネックレスさん!」

「ネル・レックレスな」


 使徒と自己申告した彼女。

そんなネルの引退前の戦いが、マル=ラ支部の過去放送ビデオに残っていたのだ。


「調べてみたんだけど。彼女、やっぱりつい一月前に退役してた。最終成績は二勝三敗の負け越しなんだけど」


「は、はい……」


「なんか普通に優秀なんだよな。お世辞じゃなくて」


 ネル・レックレス――


 得意ジャンルは、瞬間的な判断力と咄嗟の機転をいかしたRTSリアルタイムストラテジー


 神呪アライズが超人型ということも相まって、スポーツ系遊戯とも相性がいい。

 濡れ羽色の黒髪を後ろで結わえて、スポーティーな肢体と持ち前の運動能力の高さで、フィールドを風のように駆ける姿は美しささえ感じられる。


「隊長の命令もそつなくこなしてるし、味方の支援にも気を遣えてるし……」


 二勝三敗という負け越し。

 その成績を、自分フェイは、額面通りに見る気はない。


 神VSヒト多数という『神々の遊び』では、たとえばウロボロスのような「外れ枠」を連続で引いてしまい、不運にも黒星が重なってしまうことが多々あるからだ。


「……」


 ちらりと目をやる。


 フェイが盗み見たベッドの上で、寝転がっていたはずのレーシェがいつの間にか起き上がり、ベッドに座りこんでいたのだ。


 片膝を立てて、その片膝に顎を乗せるような格好で――

 瞬き一つなくモニターを見つめて。


「えー……」


 何とも残念そうな面持ちで叫び、そして不満そうに顔をしかめた。


「ねえフェイ」

「ん?」


「この場面、フェイならどうする? 降参する」


 モニターに流れる過去放送ビデオは、ネルが引退した遊戯だ。


 使徒側は残り三人。

 対する神の遊戯『神さまが転んだ』は、だるまさんが転んだというゲームの神版だ。フェイも、その全容はまだ理解できていないが。


 ……一見すれば神を倒すのに最低四人いる。

 ……残り三人になった時点で人間側の勝ちの目はなくなった。降参は必然の手。


 理解できないわけではない。

 二十時間以上も挑み続けて、精神も限界まですり減らした上での決断だったのだろうが。


「気持ちはわかるよ。他二人の使徒たちのさ」

「うん」


「ただ……もし俺がこの場にいたんだったら、俺は彼女ネルの側についてたかな」


 まだ諦めたくないんです。


 そう叫ぶネルが、多数決による降参が受諾されて神々の遊び場エレメンツから強制退場。映像は、そこで終わった。


「……フェイさん」


 床にぺたんと座りこんでいたパールが、おずおずながら顔を上げて。


「ネルさんって、あたしと逆だったんでしょうか」

「――――」


「あたしは自分の失敗でチームが敗北しちゃって、それが嫌になって引退しようって決めました。でもネルさんはその逆で……」


 チームに恵まれなかったのだ。

 不完全燃焼のまま、神への冷めぬ闘志を残したまま三敗を積み重ねた。


「……そうかもな」


 壁に背をつけた姿勢で、フェイは小さく息を吐きだした。

 理由があったのだ。


 昼間の彼女が、あれほどの熱意で迫ってきた動機。神々と戦う一員として、たとえ遊戯に参加できずともチームの支えとして尽くしたいのだと。


「……っていうか先に事情を言ってくれっての。これじゃまるで、断った俺の方が悪い奴に見えるじゃん」


 思わず苦笑。


「フェイさん、この子をチームに?」


「いやそれは未定も未定。でもせめて話くらいは聞きたいだろ。俺たち昼間は逃げだしちゃったけど、またどこかで会えたら次は――」


 リンッ。

 フェイの部屋のインターホンが鳴ったのは、その時だ。


「あ、夜七時ということはご飯ですよ!」


 パールが勢いよく立ち上がる。


「事務員さんが持ってきてくれる予定でしたもんね。フェイさん、扉開けていいですか」

「どうせ俺がいいよって言う前に――」


「どーぞ!」

「本当に早いなっ!?」


 ご飯につられたパールが扉を開ける。

 そこには予想どおり、ホテル用の配膳カートで食事を運んできた女事務員が。


 ただし――

 サングラスとマスク。頭にもキャップ帽をかぶっているという怪しすぎる格好でだ。


「夕食をお持ちしました」

「ひぁっ!?」


 思わず悲鳴をあげてのけぞるパール。


「あ、あなたは!」


「? 私は何も怪しい者ではありません」

「ネルさんですね!」


 パールがのけぞったのは怪しさに怯えたからではない。その不自然すぎる変装ゆえに、中身の少女があまりにバレバレだったからだ。


 変装しても隠しきれない細身の長身。

 帽子の後ろからも、特徴である濡れ羽色の髪がひょっこり覗いている。


「……ネル? あんた、こんなところで何してるんだ」

「~~~~っ!?」


 フェイに指摘されて、変装の少女がビクッと飛び跳ねた。


「だ、誰でしょう、わ、わたしはそんな名前の者では……」


「いや声でわかるし」 

「髪の色でもわかるわね」

「つけてる香水の匂いでも丸わかりですぅ」


 レーシェとパールのダメ押し。


「くぅぅっ!? し、しまった!」


 もはや言い逃れは不可能。


 そう悟ったらしきネルが、帽子とマスクとサングラスをその場に放り投げる。と思いきや、その場でくるんと半回転。


「さらば!」

「あ、おい!?」


 フェイの制止も届かない。

 超人型特有の圧倒的脚力で、廊下を弾丸のごとき勢いで走り去ってしまった。



「……話、聞きたかっただけなんだけどな」







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