第41話 ネル・レックレス

 夜明け――


 秘蹟都市ルインを発った特急列車が、長大な大陸鉄道を丸一晩以上も走り続けた結果、地平線の先にようやく都市の輪郭が見えてきた。


 聖泉都市マル=ラ。


 鋼鉄の壁で周囲を覆っているのはルインと同じ。

 灼熱の荒野を渡りきって、特急列車がついに目的地にたどり着いたのだ。


「つきましたーーーーーーーっ!」


「ついたわ!」


 列車の降車口から、転がり落ちる勢いで飛びだしていくパール。

 その後ろからは、目を爛々と輝かせて元気に飛びだすレーシェ。


「あぁ……昨晩は生きた心地がしませんでしたぁ……」


「ここが聖泉都市マル=ラなのね? さあさっそく遊ぶわよ。この地の名物ゲームは何かしら。まずはゲームショップ巡りに行かないと!」


 二人とも我先にと飛びだしたのだが、その後はまったく対照的だ。


 よろよろとベンチに横たわるパール。

 かたやレーシェは、観光地を旅する旅行者のようにあたりを見回している。


「……二人とも、荷物置き忘れだぞー」

 

 フェイはその最後尾だ。

 パールとレーシェ、それに自分の分も含めて三人分のキャリーケースを抱えながら。


「あれ? パールどうかした?」


「……命の喜びを噛みしめてるのですよフェイさん」


 仰向けに横たわったパールからの、擦れ声。


「ようやく、ようやくですよ。都市の中に入りさえすればもう恐竜レツクスに襲われる心配もありません……」


「大げさだなぁパールは」


!?」


 パールが、ガバッと起き上がった。


 愛らしい双眸の端っこに小さく涙を浮かべながら。


「地鳴りがしたと思ったら、夕暮れの地平線からゾウより大きな恐竜レツクスたちが涎を垂らしながら列車めがけて走ってきた時は……もうお終いかと思いましたよ!」


「ああ、三人でドミノしてた時の」

「その言い方は緊張感が台無しですが!?」


「いや……俺もさすがにまずいって思ったよ。思ったけどさ……」


 大陸鉄道の路線は、鉄道のまわりに獣避けの発火筒を並べている。


 が。

 獲物を見つけた大型肉食獣――恐竜レツクスは、時としてそんな炎程度など恐れもせずに列車を狙って襲いかかってくる。


 ……列車の中には、護衛のハンターや魔法士たちも乗ってたから。

 ……実際まず大きな事故にはならないんだけど。


 乗客の不安は一瞬で消し飛んだ。

 なぜかというと――


「なあパール」

「はい」


「人間からすれば地上って危険だらけに思えるけど、やっぱ神さまは別格なんだな」


 


 レーシェがうきうきでドミノ遊びに興じていた時に、恐竜レツクスたちの地鳴りで、ドミノが片っ端から倒れてしまったのだ。


 その瞬間、レーシェの目が一瞬で「神」モードへと早変わり。



〝…………我のゲームの邪魔をするな〟



 デコピン一発。


 レーシェが席に座ったまま空中を指で弾いた瞬間、数百メートル先を走っている恐竜レツクスの群れが吹き飛んだのだ。


 その総重量、何十トン。


 神の念動力サイコキネシスだろう。その威力も規模も、何もかもが人間の魔法士とは桁違いだ。


「あの恐竜レツクスが、ピンポン球みたいに地面をバウンドしてましたからね……」


「小石みたいに吹き飛んでったからな……」


 怒らせないようにしよう。

 パールとフェイが、顔を見合わせて頷き合っているそばで――


「ねえフェイ! ここにデパートがあるわ、つまり玩具売り場もあるわよね!」


 目をきらきらと輝かせてレーシェが振り向いた。

 子供のような純真さで。


「行きましょう!」


「……あー。そうだなぁ。神秘法院のマル=ラ支部にはお昼訪問だし、まだ一時間く

らい余裕あるか。俺たちも朝飯まだだし」


「それはお任せをっ!」


 今度はパールが振り向いた。

 はいはいと手を上げて。


「この聖泉都市のご飯どころですね! 一番街デパートなら地下のグルメエリアでいかがでしょう。名物は『満腹食堂』の大盛りカツカレー、『三日月カフェ』のビーフサンドを頂きつつ、デザートは『どっこい堂』の特製メロンパフェがいいと思います!」


「……パール、その情報をどこで?」


「昨晩です。この都市のレストランは頭に叩きこんでますからね!」

「――――」


 神経衰弱はカード配置をまるで覚えられないくせに。

 ドミノ倒しは、九つ以上ドミノを連続で並べられないくせに。


 一晩で、都市の全レストランおよび場所とメニューを覚えられるその記憶力。


「……食い意地恐るべし」

「フェイさん? どうかしましたか?」


「いや何でもない。まあいいや、場所を覚えてるなら神秘法院の道案内も頼むよ」


「神秘法院の場所はわからないです」

「食い物特化かよ!?……じゃあデパートだけ頼む」


「頼まれました!」


 駅の改札口めざしてパールが走りだす。


 と思いきや。

 数歩と走らぬうちに足を止めて、まっすぐ正面を指さした。


「あれ? フェイさん、あそこに……」


 改札口を出てすぐのメインゲート。

 そこに、いかにもスポーツ選手といった長身の少女が立っていた。


 艶やかな黒髪を結わえた姿。素朴なシャツの袖を肩までめぐりあげており、そこに覗く二の腕は力強く引き締められている。


 年齢は、パールよりは年上だろう。

 自分フェイと同じか、もしかしたら自分フェイより一つほど上かもしれない。


 それほど大人びた風貌ではあるのだが、その純粋無垢なまなざしは、どこか幼い少女らしさを残している。


 とはいえ、だ。

 大勢の人が行き交う駅で、パールがわざわざ注目したのには別の理由がある。


 一言でいえば――


あたしたちを待ち構えてますが……」


 そう。

 黒髪の少女は怪しかった。


 まずは額に巻いた真っ赤な鉢巻き。いったい何の応援団だという風貌で、その両手にも、応援団が振り回すような大きな旗を握りしめているではないか。


『フェイ様、パール様、レオレーシェ様ご一行』

『熱烈歓迎。ようこそ我が都市へ!』


 あまりに目立つ。

 いったい何事なのかと、駅をゆく人々も、彼女のまわりだけは避けて通っているほどだ。


「……なにあの人間」


 あのレーシェさえ戸惑ったような口ぶりで。


「……わたしたちの悪質なファンかしら」

「……ちょっとあたしもドン引きですぅ」

「……しっ。静かに。俺たち見つかったら面倒だ」


 顔を見合わせる。


 三人が思い浮かべた予感はすなわち「関わらない方が良さそうだ」。その悪寒を信じて、こっそりと改札口の隅を通過。


「いいか、他人のフリして逃げるぞ。人混みにまみれて――」

「むっ!?」


 黒髪の少女が振り返った。


 声か足音かを感じとったのだろう。行き交う人々のなか、フェイたち三人の姿を見て、そして目をみひらいた。


「あああああっ! まさか、そこにいるのは――――」


「見つかったわ!?」

「ま、まずいですよフェイさん!?」

「逃げろぉ!」


 全速力で走りだす。

 そんなフェイたちの後ろ姿に、黒髪の少女が声を張り上げた。


「……ま、待て! なぜ逃げる!? 私は決して怪しい者ではない!」


「めっちゃ怪しいだろうが!」

「お近づきになりたくないオーラの塊ですぅ!」


 フェイたちは止まらない。

 目の前の大通りをまっすぐ突き進もうとした、その矢先。  



 一陣の風が、吹いた。



 喩えるなら「ぎゅおんっ」とでも言おうか。


 靴底がアスファルト路面と擦れる音がした。そう思った時にはもう、旋風のような勢いで、黒髪の少女が自分たちを追い越していた。


 回りこまれた。


「……はい?」


 呆気にとられたパールが瞬き。

 何が起きたのか理解するのに時間がいる。それこそ残像が宙に残るほどの速さでもって、黒髪の少女が後ろから走ってきたのだ。


 フェイさえ、あまりの事にすぐには言葉が出なかった。


 ……いや待て、さすがに早すぎだろ!?

 ……俺ら五十メートルは離れてたのに、二秒で追いつかれて回りこまれたぞ!?


 人間業ではない。

 となれば答えは一つ。神から力を与えられた使徒だ。


 肉体強化の超人型。

 それも脚力強化型の神呪アライズだろう。


「……あんた使徒か?」


「名乗らせていただく!」


 黒髪をなびかせて、長身の少女が自らの胸に手をあてた。


「私の名はネル・レックレス。察しのとおり聖泉都市マル=ラ所属の使徒だった者だ」


「使徒?」


 微細な違和感。

 ネルと名乗った少女の「含み」を、フェイが指摘するか決断するより早く。次の言葉に、あたりの空気が凍りついた。




「フェイ殿、私を、お前の女にしてほしい!」




 …………

 ……………………

 …………………………………………


「…………へ?」







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