プロローグ③




「なに、これ……」


時間が表示されるはずのディスプレイは、物凄い勢いで壊れたデジタル時計のようにぐるぐると数字が回って、電波は圏外から4Gまでを高速でただただ繰り返す。


「なんなの、これ」

「俺が聞きたい」

「……え?」

「その入れ物に入ったものは何だ。知らないものばかりだ」

「……は?」

「それに……その格好はなんだ。魔法使いの中で流行っているのか?」

「え……?」


体温が、すっと引いていくような感覚がする。

『魔法使い』それは、幾度となく目の前の男がギャグで言っていたことだ。


そのはずだ。

それなのに、ただ真剣な瞳で私を見つめる男に鼓動が嫌な音を立てる。


『何言ってんの?』と笑い飛ばしてしまいたい。

だけど、こんなの少しも笑えない。


(だって私、どうなった?)


スーパーへ向かう道中、横断歩道を渡るとき。

車にはねられたわけじゃない。あの時、私は足元に影が差して空を見上げたのだ。

一日、快晴だったくせに空には暗雲が立ち込めていて、夕立だったら嫌だと顔をしかめた。


さっさと買い物を済ませて、制服を濡らす前に家に帰ろう。

そう決意をして、青になった信号に足を踏み出したのだ。


踏み出したその先、白と黒の道が消えた。

消えて、私はどこかに落ちてしまった。


寒くて凍えそうな心地のする、どこかへ。

体を刺すような冷たさに眩暈がして、落ち行くさなかに意識を失ったのだ。


(私は、どこに落ちたの……?)


急激に襲ってきた恐怖や怯えといった感情が、こぼれる吐息を震わせる。

信じたくない気持ちで、目の前の男を見上げた。


「ルコークダって、……なに」


想像したよりもずっと掠れて、震えた声が落ちる。

笑い飛ばしてほしい。どうか、嘘だと。


(だってこんな考え、馬鹿げてる)


まさか異世界に飛んだんじゃないか、など、ありえもしないこの考えを、どうか笑い飛ばしてほしい。


「ここ……日本、だよね、地球……だよね」


震える声がぽつりぽつりと落ちて、縋るように男を見つめた。


「ルコークダは――魔王の支配する世界だ」


男は表情を変えることなく、そう言い切る。


「魔王……? 何言ってるの、そんなん、あるわけないでしょ」

「それよりお前は、『チキュウ』を知っているのか」

「もう、おどかすのもいい加減にしてよ! そんなの、嘘でしょ……」

「いいから答えろ、お前は『チキュウ』を知っているのか?」

「知ってるもなにも! 私たちが住んでるところでしょ!?」


やけになって答えてから、そいつの表情が変わっていることに気づいた。

さっきまでの真顔が少し緩んで、安堵したような嬉しそうな色がにじんでいる。


「これで……ようやく……」


緩んだ表情を浮かべた彼は私に背を向けると、本棚から一冊の本を取り出した。

外国のファンタジー小説のような、分厚い本を私に見えるように開く。


「このページを見ろ」


開かれたページには解読できない文字とともに地球に似た球体が描かれていた。


「字、読めない」

「これがチキュウというものだと書かれている。お前の知るものと同じか?」

「まあ、こんな感じ……?」


地球といえば青と緑のきれいな星ってイメージだけど、この本に描かれているものは白黒だし、色あせているせいか線もぼやけていて、何とも言い難い。


「これが、ルコークダでチキュウと呼ばれているものだ」

「……」

「やっぱり違うのか?」

「もっと、青かったり緑だったり、白かったりする。それより本当にここは地球じゃないの?」

「お前の疑問は、ここに書かれている」


そう言って、今度は解読できない文字のほうを指さした。


「ここのタイトルには、『チキュウからの聖女』と書かれている」

「聖女……?」

「俺はお前のことだと思っている」


真剣な顔で告げられ、ひくりと固まってしまう。

魔法使いときて今度は聖女ときたか。

けれど、さっきのようにギャグだなんて笑い飛ばせる状況ではない。


(まさか異世界に飛ばされた挙句、私が聖女……?)




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