23


「やぁ、奇天烈発明家さん」

「……政治屋がなんだ」

「これは手厳しい挨拶だな」


(これは、物語の世界だ!)


 会話の内容ですぐに気づいたことは、それだけではない。


(発明家は、かつての月の王だったんだ)


 体の線も細いし、髪の毛も短いけれど特徴的な銀色は変わっていない。一方で黒縁の四角い眼鏡をかけているのに違和感を覚えてしまう。


(ということは、書かれていたのは月の王の過去ということ?)


 対して政治家ではなく政治屋と呼ばれた男は、現首相の戸塚だ。顔の傷はまだない。

 ふたりとも今の姿より若いのに、充分に大人の見た目をしている。


(一体、今の彼らは何歳なんだろう?)


 あたしは自分の掌に視線を落とした。感覚はあるのに、姿形がない。透明人間になってこの状況を眺めさせられているようだった。

 ここは窓のない会議室のようで、左右に机と椅子が並べられている。


「こちらはお近づきになりたくて話しかけているというのに、つれないものだ」

「二世政治家なら、だいたいの富と名誉は持っているだろうが。奇天烈発明家に話しかけて何の得がある?」

「小耳に挟んだんだが」


 座っている発明家の隣の席に政治家は腰かけて、挑発するように発明家の顔を覗きこんだ。


「次世代の通信機器として投影ディスプレイを利用したタブレットをいろんな企業に売り込んでは断られているそうじゃないか。ちまちまとした特許で小金を稼いでいる割には、大企業には門前払いを喰らっている。そんな奴がここにいるなんてとうてい納得できないんだよ。どうだ、金なら望むだけやるから辞退しないか?」


 ここ、という言葉に力がこもる。


「皇太后陛下の機密プロジェクトだ。いわば、ここに集められているのは『選ばれた人間』なんだよ」

「……だとしたら僕だってあんたみたいな野心の塊がここにいるのはおかしいと思っている」

「はっ! 言うねぇ」


 その嘲笑は挑発だった。だけど発明家は受け流して視線すら合わさない。

 そこへぞろぞろと八人の人間が入ってくる。


「女性もいるのかよ」


 政治家が小さく舌打ちする。


「界隈では有名な製薬研究者だ。つくれない薬はないという噂を聞く」

「ふん」


 あたしには、その顔にも見覚えがあった。


(言祝ぎ姫……!)


 無表情なのは今とあまり変わらないような気がする。

 だけど今のようなロリータファッションではなくて、白衣にパンツスーツ。黒いピンヒールのパンプス。ツインテールじゃなくて綺麗に揃ったショートボブ。

 政治家は発明家から離れて、あてがわれている反対側の席につく。


 ——やがて最後に入ってきたのは、紺色の地に大きな椿が描かれている着物を身に纏った、顔に深く皺の刻まれた年配の女性だ。とても穏やかな雰囲気も纏っている。

 彼女に向かって、全員が起立して最敬礼した。


「皆さん、ようこそお越しくださいました。まず個別にお話をさせていただいて皆さんをお招きしましたが、こうやって誰ひとり欠けることなくお集まりいただき、うれしく思います。さて、改めてお話をさせていただきます。わたくしは恒久の平和を希求しており、実現が使命だと考えております。そしてこうも考えています。平和の対義語は戦争ではなく、悲しみや憎しみといったすべての負の感情なのだと。故に、わたくしはそれらをこの地から消し去りたいのです……」


 参加者たちが拍手をしているなか、発明家だけは少し気のない様子に見えた。

 その後も皇太后は己の崇高な理想について演説を行い、拍手を浴びながら去って行った。

 残ったメンバーたちは口々に自らの成すべきことを話している。そのなかで製薬研究者は医師からの熱弁を受け流して立ちあがり、発明家のもとへ歩いて行った。

 発明家は誰からも話しかけられず、また、それを気にしていないようだったけれど、製薬研究者が近づいてきたので顔をあげた。


「あまり陛下のお話に興味がなさそうだったので、あなたに興味が湧きました」


 発明家が、きょとんとした表情になる。

 それから製薬研究者の瞳をまっすぐに見た。


「そうかもしれない。僕は、他人の感情にあまり興味がないんだ。もの言わぬ植物を見ている方がよほど楽しい」

「では、わたしに興味を持たなくてもいいので、友人になってくれませんか? わたしの名前は神奈セミラーミスといいます」



 場面が切り替わる。明るい光の射し込む、ガラス製の温室。たくさんの植物がコンピュータ制御によって栽培されている。

 白衣を着た発明家と製薬研究者は、それらを観察しながらクリップボードに挟んだ書類に何かを記入している。


「ここが薬用植物園か」


 現れたのはスーツの上にきちんと白衣を纏い、マスクもつけた政治家だった。

 発明家は闖入者ちんにゅうしゃに眉を顰める。


「厭味を言う為にわざわざここまでお越しとは」

「いや、そうじゃない。俺が悪かった」


 政治家が降参するように手袋をはめた両手を軽く挙げる。


「お前たちのことを見くびっていたのは事実だ。しかし、この前配布された不老不死の薬、あれはすごかった。ちょっと前まで徹夜の疲れがなかなか取れなかったのが、倦怠感すらなくなった。傷の治りも赤子のように早くなった。さまざまな加齢現象も緩やかになっている気がする。……最初の頃はすまなかった」


 深く頭を下げる政治家の姿勢に、発明家と製薬研究者が、きょとんと顔を見合わせる。

 政治家はゆっくり顔を上げると植物園を見渡した。


「なぁ、今はどんな薬をつくろうとしているんだ?」

「これまで誰も成功させたことがないものです」


 製薬研究者が目の前に咲く蒼い小花にそっと指を伸ばす。


「感情を制御する薬。上水道や大気中に混入して摂取させることによって、人間の持つ負の感情をどんどん希薄にしていきます。成功すれば皇太后陛下の望む穏やかな世界に、また一歩近づくことができます」

「なるほど。そういえば、発明家殿も特殊な電波を完成させていたな。巨大電波塔が完成したら即発信させて、人間の感覚を鈍磨させていくって言っていたか? ふたりして陛下の計画の要となっている訳か」


 政治家は大きく両手を広げた。


「もはやこの計画は国だけではなく、全世界に発展していくだろうな。平和で穏やかな世界が完成したとき、おれたちは電波塔の頂上に登り、人間を見下ろす位置に立つことになる。そうなれば、もはやそれは神の領域だ」



 さらに数十年後、政治家の父が亡くなって、大々的に葬儀が行われた。

 初雪のはらはら舞う、寒い日だった。参列者は皆、満面の笑みを浮かべていた。喪主である政治家はその光景を見て遺影を床に叩きつけた。しかし誰も咎めず、穏やかな笑みを崩さない。

 見た目の変わらない政治家はうずくまって、割れた遺影にそっと指を伸ばした。ガラスの破片が右人差し指に触れ、ゆっくりと赤い線が滲む。


「……俺は、間違っていたというのか」


 製薬研究者がしゃがんで、そっと政治家の指に絆創膏を巻いた。 


「妄執だったんだ。人間は神の領域に近づいてはいけなかったんだ。もうやめよう、こんなことは……」


 製薬研究者は深く頷く。彼女もまた涙ぐんでいた。

 ただ、発明家は、ふたりを見つめて硬直したままでいた。


 ——そこから物語は一気に進展していく。


 彼らは、皇太后を電波塔の地下室へ幽閉したのだ。


 そこは不老不死の薬を飲んだ者は決して出ることのできない、特殊な構造の地下牢。発明家が極秘裏に完成させた場所だった。

 その意味を理解した皇太后が牢のなかから恫喝する。


「拾ってやった恩を忘れた愚か者たちめ、恥を知りなさい。わたくしに刃向かうとはどうなるかわかっているんでしょうね!」

「陛下。悲しみは人間にとって要らないものではないんです」


 政治家がなお尊厳を抱いて皇太后へ語りかける。


「大切な人間が亡くなったとき、我々人間には悲しむ権利が必要なのです。陛下だって……」


 そして皇太后を宥めるように言葉を継ごうとしたとき。


「いいえ、それは違います」


 皇太后の瞳の色がぎらりと変わる。

 黒いインクを垂らしたように、色が濃く深くなる。それはまるで夜よりも暗い闇の色のようだった。


「……え……?」

「純度の高い愛を維持するのに必要なことはなんだと思いますか? 文字通り、不純物を排除すればいいのです。つまり天皇陛下とわたくしさえいればこの愛は永遠に高潔なまま存在できるのです。あの御方を喪って悲しんでいいのはわたくしだけ。そしてわたくしにできることはいつ今生へ帰ってきてもいいように神の座を用意しておくこと。とこしえの神の座はあの御方にこそ相応しいのです。それを妨げる者はなんびとたりとも許しません!」


 穏やかさはいっぺんの欠片もなく、まるで獣のような咆吼だった。


「嘘、だったんですか。世界平和の為、という華々しい口上は」


 発明家は唇を震わせた。


 負の感情を排除しようとしたのは世界平和の為ではない。

 愛する者を喪った哀しみを独占する為。

 自らと愛する者だけの世界を守る為。


 3人には、とうてい理解しがたい感情だった。


「そんな……」


 製薬研究者が口を両手で抑える。よろめきかけたところを後ろから政治家が支えた。


「我々を騙していたんですね」

「騙すも騙さないもありません。わたくしの言葉はすべて真実です。ここから出しなさい……痛ッ!」


 牢の格子に触れた皇太后が悲鳴を上げる。掌が赤く変色していた。


「不老不死の薬を飲んだ者が触れると、火傷を負う仕組みになっています。無闇に触らないでください」


 淡々とした発明家の説明を、皇太后が嗤う。


「どのみちもう遅いでしょうに。この世界の人間から負の感情は失われました。あなたたちの行いの結果です。咎人を裁けというなら、それは間違いなくあなたたちのこと」


 ずっと沈黙していた発明家が頷いた。


「そうですね」


 思わぬ肯定に、皇太后の瞳が見開かれる。


「この牢も自らが入った場合は出ることができない。そういう風に造りました。これからのすべては、償いに捧げます」


 去っていく3人に向かって皇太后は吠え続ける。しかし、どんなに背中に罵声を浴びせかけられようとも、決して振り返ることも歩みを止めることもしなかった。


「これで俺たちは反逆者だな」


 政治家が発明家の背中を叩く。


「神に対しても、世界に対しても。待ち受けているのは孤立無援の長い道のりだ」

「……あぁ」


 発明家が頷くと、いつの間にか場面は変わって、暗くて狭い部屋の角。硝子製のペンで日記を綴っている。


『電波塔から送る感情回復の為の電波。それを受信させるデバイスのことを【ディクショナリウム】と名付けた。残留電波と残留薬の効果が完全に消失するまでどれだけの時間を要するかは分からないが、再びすべてが元通りになるまで、我々が歩みを止めることはない。一方で予期しないバグは幾つかあった。ディクショナリウムの不具合については、我々が【言語修復士】と名乗り、修正にあたっていくことに決めた。また、電波塔の見え方が人間によって異なるという件については理由も原因も不明のままなので、引き続き調査していかなければならない』


 最後にそう綴ると、ぱたんとページを閉じた。そして体をひねって後ろを見る。

 存在しない筈のあたしと視線が合う。少しの曇りもない、銀色の瞳。


『これが気のてらいもないただの事実です』


 息を呑む。たしかに、彼はあたしを見て、話しかけた。



 ぽん!

 背中を押してくる圧力、薄い膜から飛び出るような衝撃。そのまま床に落ちるかと思ったけど、正座で見事着地する。

 そんなあたしの姿を見てイノルさんが腰を抜かしていた。


「マ、マーナちゃん……」


 窓の外はすっかり暗くなっている。

 掌が、膝が、体が、ちゃんと見えるようになっている。無事に戻ってこられたようだ。言葉がうまく出てこない。物語の内容を、あたしではイノルさんに伝えられる自信がなかった。というか、話していいことなのかどうかも分からない。


「大丈夫? 立てる?」


 あたしは黙って頷く。

 先に立ちあがったイノルさんが手を差し伸べてくれる。


「……今日はもう寮に戻ろうと思います」


 ようやく声を出すと、ここが現実なのだと実感が湧いてきた。


「そ、そうだね。心配だから送っていくよ」



 イノルさんのスポーツカーはふたり乗りで、とんでもなく座高が低かった。地面に座って移動しているような変な感じがする。


「おやすみ、マーナちゃん」

「おやすみなさい」


 何も訊いてこなかったので助かった。ふらふらと自室へ戻ってベッドにうつぶせで倒れこむ。全身が泥に浸かっているかのように重たかった。あたしは右手を開いたり握ったりして動かす。動かしている、という感覚が伝わってくる。

 物語のなかで目にした光景を未だに信じられない。


「……電波塔、って言ってた」


 月の王と再会したとき聞き取れなかった言葉が不意に繋がる。決して結びつかなかったから繋がらなかった。ニムロドとはただの

 ここは、月の王たちが修正しようとしている間違った選択肢の先にある世界。

 のっそりと起き上がって、部屋のなかを見渡す。

 これまで集めてきた本の山。最低限の衣服。机の上には未提出のインターン日誌。

 やっぱり体に力が入らない。ばふっと再びベッドに倒れて布団を頭から被った。

 ……暗闇に隠れてしまいたいときはいつもこうしていた。

 子どもの頃、前施設長の機嫌が特に悪いとき。殴られたり蹴られたあとはこうやっていつも布団を頭から被って、大部屋の片隅で必死に堪えていた。泣いたら相手に屈したことになると思って、唇を噛んで泣かないように努めた。態度が悪いと難癖をつけられて布団を剥がされたりもしたけれど、今は布団を奪っていく人間はいない。望めば望むだけ引きこもっていることができる。

 ところが。


『好きだよ』


 不意に稲妻が落ちたかのようにイノルさんの言葉が脳裏に蘇って、あたしはびっくりして布団から飛び出た。

 言葉が勝手に零れる。


「だって、誰も教えてくれなかったじゃない」


 嫌われやすいから気をつけろとか、捨てられて当然だとか言って。

 誰も、愛され方を……愛し方を、教えてくれなかったじゃないか。

 だからあたしはずっと、知らなかった。分からなかった。

 なのにどうしてこんなにも唐突に。

 ぽた。拳の上に、涙が落ちる。堰を切ったように止まらなくなる……。

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