水無月3日
22
次の日から、あたしは事務所で解読を試みることにした。
ただ、ホクトさんはセンターで治療チームに参加しているし、イノルさんは他事務所への出向が決まってしまったので、事務所にはあたしひとりしかいない。
「ふぅ」
ココアを入れて、ソファで休憩する。
書かれている内容は、とある発明家の物語だった。
どうやら主人公は便利な発明品をつくるのが好きな科学者らしい。発明品を企業に売り込みに行ったときの様子なども記されていて面白いけれど、どうしてこんなことが書かれているのかはまだ分からない。
目が乾燥してちょっとだけ痛い。瞬きを繰り返す。
そのとき、がちゃりと事務所の扉が開いた。
「マーナちゃん、調子はどう?」
入ってきたのはイノルさん。
時計を見るといつの間にか夕方になっていた。出向先から戻ってきてくれたのだろうか。
「お疲れさまです。なんだか、小説? 物語みたいです」
「どういうこと?」
イノルさんが向かいに座る。
あたしは書物を開いて、文字を指でなぞりながら声に出す。
「『2月11日』」
暦の数え方が違うのは、たぶん旧暦だからだろう。
「『科学が進歩したことによって、人類は神の領域を目指そうとした。戦争に特化する国もあれば、宇宙を目指す国もあった。我が国は、完璧な平和を手に入れることに決めた。その為に計画されたのが電波塔の建設だ。メンバーは全部で10人。ここに科学者として電波塔建設チームに招かれたことを光栄に思う。一方で、次期首相候補がいることには驚いた。この国の原則は政教分離ではなかったのか』」
解読し終わったところまでを読み上げると、イノルさんがソファに背を預けながら両腕を組んだ。
「なんで月の王がそんなものをマーナちゃんに託したのかさっぱり分かんないなぁ」
あたしも同意見なので頷く。するとイノルさんが体を前に乗り出してきた。
「昨日ホクトさんとも話し合ったんだけど、マーナちゃんだけに負担を強いるのはよくないから、僕らも手伝うよ」
「そんな。お気持ちはうれしいんですが、これに触れるのはあたしだけなので。読めるようにしてくださっただけでも、おふたりにはとても感謝しています」
「いやいや、そこは写真を撮って画像で共有するとか方法がいろいろとあると思うんだよ」
躊躇うようにイノルさんが続けた。
「……心配なんだ。マーナちゃんが命の危機に晒されるんじゃないかって」
ヒカリさんのことを思い出しているんだろうか。
「大丈夫ですよ。今だって、外に警護の方もいるし」
「そういう問題じゃない。現に、爆弾はこの場所で爆発したんだ!」
ばしゃっ! 突然の大声にびっくりして持っていたカップを落としてしまう。プラスチック製だから割れはしなかったものの、少しだけ残っていたココアが飛び散った。
無意識の大声だったんだろう。イノルさんは立ちあがり、慌ててティッシュでテーブルや床を拭く。
「ごめん、マーナちゃん」
「いえ、服にはかかっていないので」
ティッシュを捨てると、イノルさんはそのままごみ箱をじっと見つめた。
「姉のように言祝ぎ姫ももしかしたら、って考えると不安でたまらないんだ。さらにマーナちゃんも奴らに狙われる理由があるっていうのに、呑気に他の事務所なんかに行ってられないよ」
思い出す。爆弾が届いたとき、イノルさんが見たことのない形相で外に出て行ったことを。
「自分に力がないことで誰かが傷つくのはもうまっぴらごめんだ」
「……すみません」
「どうして謝るの?」
弾かれたようにイノルさんがあたしを見る。
「マーナちゃんは何も悪くないよ。むしろ、力があってすごいと思う。それに、そうじゃなくても、僕は一生懸命なマーナちゃんのことかわいくって好きだよ。妹だったらめちゃくちゃかわいがると思う」
「え?」
不意に脳裏に蘇ってきたのは、養護施設で散々浴びせられたフレーズ。
『あなたの言動は人を傷つける』。『嫌われる為に生まれてきた存在』。『捨てられたのも当然』。『早くいなくなればいいのに』。……。
ぽろぽろ。気づくと瞳から涙の粒が零れていた。
「マ、マーナちゃん? ごめんよ、泣かせちゃうなんて」
「違います。いや、違わなくもないんですけど、えぇと、その」
立ちあがって両手を小さく振る。恥ずかしさで胸がいっぱいだ。
——あたしは、なんて愚かだったんだろう。
世の中すべてを憎んでいたくせに、誰かに言ってもらえるのをずっと待っていたんだ。『好き』という、たったその一言を。
「顔、洗ってきます」
濡れないようにバレッタを外して簡易キッチンの蛇口を捻る。顔を洗ってタオルで拭いてイノルさんの方を見ると、何故か目を丸くしてローテーブルを見ていた。あたしも視線の先を追う。
そこには新月の書物と、その上にたまたま置いてしまったあたしのバレッタ。
バレッタはぴったりと新月の上にはまっていた。
透かしから、計算されたように光が放たれている。
ふたりで顔を見合わせる
「もしかして、初めからこうすればよかったということなのか」
恐る恐る、光を放っているバレッタに近づく。
「マーナちゃんっ!」
イノルさんが悲鳴を上げたときには遅く——
「え?」
あたしは、光のなかに吸いこまれていた。
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