皐月19日
14
記入者:青葉マーナ
必ずしも依頼人が言語修復士に対して友好的ではないということを知りました。また、その場合の報告方法についても考えさせられました。
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事務所に現れた美並サラサさんは、イノルさんの淹れたお茶に触れることもなく、報告を無反応かつ無表情で聞いていた。対するホクトさんは程よく内容を省略して、伏せるところは伏せて、簡潔に説明している。
口紅が真っ赤でやけに目立つから、動かないことが気になってしまう。ホクトさんとイノルさんの後ろでやり取りを見ているだけなのに、何故だか緊張した。
「対象者は、偶然にもお祖父さまの中学の同級生でした。ディクショナリウムを返却して、東日本言語修復療養センターで治療を受けて無事に回復されました」
「……それって、浅日なんとかってひとのことですよね」
サラサさんは忌々しそうに溜息を吐き出した。
「申し訳ありませんが、詳しい個人情報はお教えできかねます」
「いえ、いいんです。祖父から連絡があったんです。余生は暖かい場所に療養所をつくってその女と暮らすことにしたって。もう二度と会いに来るなって。最悪です。お祖母さまのことは微塵も愛してなかったっていうことですよ?」
血の繋がった家族側からしてみたら当然な意見だろう。
おせっかいなことを言ったかもしれないと、後ろで俯いたときだった。
「入院のタイミングで、搾り取れるだけ搾っておけばよかったというのが両親の見解です。わたしもそう思います」
真顔でサラサさんが言い放つ。
「慈善事業家と呼ばれることもありますが、わたしたち家族に対しては、血も涙もない男でした。優しくされた記憶なんて微塵もありません。あんな男、療養所が完成する前に早く死ねばいいんです」
声を出さなかったもののホクトさんの肩がぴくっと揺れた。
サラサさんは前金の支払いと同じように自らの端末からとてつもない金額を送金して、ホクトさんのディスプレイに表示された依頼書式に指でサインを記すと、躊躇いもなく立ちあがった。
「とりあえず、警察沙汰にならなかったことだけは感謝します。ありがとうございました」
退室しようとするサラサさんに、座ったまま、ホクトさんはゆっくりと視線を向ける。
「……死ねばいいだなんて、簡単に口にしてはいけませんよ」
「はぁ?」
「その言葉はいつか自分自身に不幸を引き寄せる種となります」
「何も知らないくせに綺麗事のお説教? どうもお世話になりました!」
サラサさんは吐き捨てるようにして出て行った。ばたんっ! 壊れそうな勢いで扉が閉められる。
ひゅう、とイノルさんが口笛を吹いて感想を述べる。
「こっわ。金が絡むと人間あんな風になるんだねぇ」
あたしが黙ったままでいると、ホクトさんが振り返って、こちらへ向かって首を傾げた。
「傷ついて、いませんか?」
「え?」
「負の言葉は目に見えない毒となって、耳にした人々の心をも蝕みます」
もしかしたらホクトさんは顔に出していないだけで怒っているのかもしれない。
……毒。
真っ赤な唇が脳裏に焼きつきそうになるのを、首を横に振って打ち消す。笑ってごまかすように、右手をひらひらと振った。
「大丈夫ですよ。あたしも、散々口にしてきましたから」
施設にいた頃。今よりもずっと子どもだった頃。もしかしなくても、このインターンが始まるまでも、そうだった。
『死ねばいいのに!』『死んでしまえ!』
何度となく叫んでは喚いて、すべてを呪ってきたことか。
だけど今、実際にその言葉を口にした人間を見て、ひどくいたたまれない気持ちになっていた。全身に無数の針が刺さったように痛かった。
受け取った側はこんなに痛いものなのかというのを、知ったのだ。
すっとイノルさんが背後からあたしの両肩に手を置いてくる。
「大丈夫、大丈夫。マーナちゃんには僕らがいるからね」
「何でそこでイノルさんが出しゃばってくるんですか」
振り返ってつっこんでみたものの、ちょっとありえるかもしれないと思ったら、なんだかおかしくなって噴き出してしまった。
「えっ、なんで笑うのさ」
出会ってから、まだ1週間も経っていないというのに。
イノルさんやホクトさんといると大丈夫だって思えてきてしまうから、おかしな話だ。
だって、こんな大人たちには初めて出会った。
「すみません。じゃあ、そういうことにしておきます」
「じゃあってなんだよ、もう」
あたしとイノルさんのやり取りを見て、ホクトさんまで笑う。
「ホクトさんまで笑い出すなんて~!」
案件はもやもやを残していったけれど、寮母さんの言った通り、この事務所でインターンをできてよかったと、……思うのだった。
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