13
*
駅前の駐車場で待っていると、自動車を駐めてきたふたりが現れた。
ホクトさんは明らかに困っていた。一方で、イノルさんは涙を流しながら笑っている。
「まさか出てくるとは思わなかった。最高だよ、マーナちゃん」
「あんなメッセージを受け取って、一晩もやもやとしているなんてできません」
「黙ってればよかったですね、ホクトさん」
ホクトさんが頷くので慌てて付け加えた。
「大丈夫です! なんらかの処分はあるだろうけど、あたしが自分で選択した行動なので、どんなものでも受け入れるつもりです。ホクトさんに迷惑がかかるようなことはないようにします」
「えっ、ちょっと、僕は?」
「ホクトさんが仮責任者だからって意味ですよ」
「そういう訳にもいきません。インターン生を預かっている以上、危険な目に晒すわけには」
「まぁまぁ、ホクトさん。とりあえず捜索を優先しないと。そうじゃなきゃ帰らないよ、マーナちゃんは」
大きく首を縦に振る。
「ふたりはどこに向かうつもりだったんですか?」
イノルさんの開いたディスプレイに、周辺の地図が表示される。中学校に、大きく丸印がつけられていた。
「昼間の話から、ぴんときたんだ。彼らはもしかしたら母校へ、告白のやり直しをしに行ったんじゃないかって」
「卒業式の……?」
ホクトさんが頷いた。
「身体の不自由なご老体には距離がありすぎると警察からは一笑に付されましたが、可能性としては大いにあるのでこちらへ来ることに決めました。どのみち警察やセンターは施設中心に捜索しているので」
つまり、ホクトさんはイノルさんの主張を採用したということだ。
「因みにマーナちゃんはこの辺りに土地勘はある?」
「いえ、さっぱり」
「だよね~。じゃあ、とりあえず向かってみようか」
駅に近い商店街は晩ご飯の支度をする買い物客で賑わっていた。
お総菜の美味しそうな香りが鼻をくすぐる。そういえば飛び出してきてしまったのでご飯を食べそびれていた。
「お腹空いたね。コロッケでも食べようか」
あたしの視線に気づいたのか、イノルさんがお肉屋さんの店頭で売られていたポテトコロッケを3つ買う。
紙に包まれたコロッケを受け取るとじんわりと熱が伝わってくる。
「……ありがとう、ございます」
「腹が減っては戦もできないからね。僕らもなんだかんだ、昼から何も食べてないし」
3人で並んで食べ歩くなんて、学校の帰り道みたいで不思議な感じだ。もっとも友人がいないので想像の域を出ない話だけど。
さくっ。ひとくち囓ると、衣が軽快な音を立ててほぐれた。コロッケは挽肉たっぷりで黒胡椒が効いていて美味しかった。
包み紙をごみ箱に捨てて商店街から大通りへ逸れる。だんだん住宅が増えていく。部屋に灯る明かりと、晩ご飯のいい香りと。
ふと、立ち止まってしまう。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです」
……さびしいって、どういう感情なんだろう。
スズヨさんの【さびしい】には、ジロウさんへの想いと、告白できなかった後悔が詰まっている。
じゃあ、あたしの【さびしい】は?
初恋はまだだから、そういう種類の【さびしい】なんて持っていない。
観覧車。
パフェ。
家の明かり。晩ご飯の、いい香り。美味しいコロッケ……。
「マーナちゃん? なんで泣いてるの?」
イノルさんが慌てる。
自分の頬に触れると僅かに濡れていた。あたしが、泣いていた。
「い、いや、さっきみたいに歩きながらコロッケを食べたのが生まれて初めてで、美味しくって、思い出したら、その」
自分でも何を説明しようとしているのかよく分からない。
だけど、うれしかったのだ。
あぁ、そうか。あたしにとって、【うれしい】の反対側にあるんだ。【さびしい】は。
ホクトさんが黙ったまま優しくあたしの頭を撫でてくれる。
ぽろぽろ。涙が止まらない。それがなんだかおかしくなって、笑ってしまう。
……そうか、あたしは、ずっとさびしかったんだ。
「えっ、なに? どういうこと? 僕だけ状況を理解してないんだけど」
ひとり慌てるイノルさんに、笑ってごまかす。
そして中学校に到着する頃には辺りはすっかり暗くなっていた。今日は月がやけに大きくて明るい。
「さて、どうやって不法侵入しようか」
イノルさんが楽しそうに笑みを浮かべて、シャツの袖をまくる。
ホクトさんはすたすたと正門まで歩いて行き、警備室に一声かける。すると門が自動的に開いた。振り返ってあたしたちに手招きしてくれる。
「えぇー。正面突破ですか」
そちらの方が明らかに正しいのにイノルさんは肩を落として頬を膨らました。それからあたしに向かって両腕を振ってくる。
「夜の学校、わくわくするね! お化けが出たらどうする?」
「何言ってるんですか。お化けなんて存在しませんよ」
「マーナちゃん、冷たい……」
いまいち深刻さに欠ける。しかしイノルさんに黙られてしまうと不安になるので、うるさいくらいがちょうどいいのかもしれない。
「ふたりとも」
ホクトさんが口を開いた。
「恐らく、イノルくんの考えは正しいです」
「お化けの話ですか?」
「? 美並さんたちがここへやって来たことが、です。警備員さんにお話を伺ったところ、杖をついた老齢の男女が現れて、タイムカプセルを開けたいと主張して高額の金銭を渡してきたそうです」
「あちゃー。金に負けたってことか」
「美並さんは、中庭の大木の根元にあると言っていたようなので、すぐに向かいましょう」
中庭。施設でも、ジロウさんはいつも中庭にいた。
*
「いた……!」
中庭へ飛び出そうとしたあたしをホクトさんが制する。
月明かりの下にジロウさんとスズヨさんの姿があった。大木の傍らにあるベンチに座って、話をしていた。ふたりとも楽しそうだ。あのジロウさんが、歯を見せて笑っている。
「……ほんとうに、お互いのことをずっと好きだったんだな」
ぽつりと、イノルさんが呟いた。
ジロウさんが懐から何かを取り出す。小さくてよく見えないけれど、ちかちかと瞬いている。ジロウさんは恭しくスズヨさんの左手に触れて、それを薬指にはめた。たぶん指輪なのだろう。月明かりに翳して、スズヨさんはうっとりと、幸せそうに眺めている。
すれ違いの果てにようやく再会を果たした、ふたりだけの世界だった。
ホクトさんだけでなくイノルさんさえも神妙な面持ちでふたりのやり取りを見つめている。あたしには分からないけれど、とても感動することなのだろう。この光景に、なんだか胸がしめつけられる。
しばらくして、ジロウさんがもうひとつ別の何かを懐から取り出してスズヨさんに手渡した。
「あれは……?」
「止めましょう」
「え」
さっきはあたしを制した筈のホクトさんが、宣言するや否や飛び出していた。
「!」
ばしっ。ホクトさんが何かを飲みこもうとするジロウさんの手を勢いよく掴み、掌にあったそれを奪い取る。
「貴様ら、いつからいた!」
いつの間にかイノルさんもスズヨさんの隣に立っていた。右の掌を両手で優しく包みこんで同じものを取り上げる。
「すみませんねぇ、ちょっと前からです」
——月の光で輝くのは、青紫色の液体が中で揺れているカプセル。
「最期まで邪魔をしようとするのか!」
「いやいや。まさか計画を練り直した結果、堂々と心中しようとするなんて思いもしませんでしたよ。大人しく余生を過ごしてくれたら僕たちだってここまで来てません」
にこにこしているものの、イノルさんの言葉には怒りが滲んでいた。
「心中……?」
「金さえあればなんでもできると言ってましたけれど、毒薬を用意するなんてね」
心中。毒薬。ようやく事態を理解して、あたしは四人を順番に見た。
静かに怒っているホクトさん。
腕を掴んでいる相手を睨みつけているジロウさん。
笑っているように見えて怒っているイノルさん。
そして、うなだれている、スズヨさん。
「……お願いです。何ひとつ思い通りにならなかった人生なんです。せめて、最期くらい、愛するひとと終わらせてください……」
スズヨさんの声は弱々しく震えていた。イノルさんから解放された両手で顔を覆う。
「二度と逢えないと思っていたんです。再会できて、想いを伝えられただけではなく、お互いに好きだったと知ることができました。初めて、生きててよかったと感じることができたんです。だったらこのまま、幸せな気持ちのまま、終わりたいのです」
隣でジロウさんがうなだれる。それから、隣のスズヨさんに両手を伸ばすと、肩をそっと抱いた。
……あたしは、首を横に振った。
「あたしにはさっぱり分かりません」
「ふん。小娘にはまだ早いだろうな」
「そうでしょうね。初恋だってまだなので。でも、ひとつだけ、分かることがあります。……スズヨさんも、【さびしい】の反対は、【うれしい】だったんですね」
スズヨさんが両手を顔から離して、あたしを見上げた。瞳に驚きが滲んでいる。
ゆっくりとスズヨさんの目の前まで歩いて行って、膝をついて、スズヨさんを見上げ返す。
「まだまだ学生で、半人前ですらない身なので、聞き流してくれていいです」
深い皺には人生の壮絶さが刻まれているのだろう。あたしなんかには想像もつかないことばかりだけど、スズヨさんの【さびしい】に触れたからこそ伝えたかった。
「スズヨさんは、今、すごく【うれしい】んですよね? だったら、これまでの【さびしい】と同じくらいの量になるまで【うれしい】を積み重ねていけばいいと思うんです。……ジロウさんと一緒に」
考えてもらえることがちょっとでもあったのか、スズヨさんのしわくちゃの顔を涙がゆっくりと流れていく。
あたしは隣のジロウさんへ顔を向けて、続けた。怒鳴られる覚悟で一気にまくしたてる。
「ジロウさんも、お金はたくさんあるぞっていばれるくらいなら、そのお金をこれからはスズヨさんに直接使ってあげればいいんですよ。ジロウさんのお金とジロウさん本人で、スズヨさんに【うれしい】をあげて、そして自分自身も今まで持ってこなかったと言うのなら、今から【うれしい】をいっぱい持てばいいんです。ふたりで、同じ【うれしい】を」
目を瞑ったけれど、怒号は飛んでこなかった。
恐る恐るジロウさんを見ると、唇を噛んで、夜空を見上げていた。
誰も、一言も発しない静寂がしばらく続く。
やがて最初に口を開いたのはジロウさんだった。
「迎えを呼ぶ。いったん、施設に戻るぞ」
そしてスズヨさんの肩に添えていた手を、今度はスズヨさんの手の甲に重ねた。
「残り少ない人生ではあるが、宜しく頼む」
「……はい」
*
寮に戻ると門の前に寮母さんが仁王立ちで立っていた。いつものほほんとしていているのに、眉も瞳もつりあがったしかめ面になっている。
「言祝ぎ言語修復事務所・所長代理の瀬谷ホクトと申します。この度は本当に申し訳ありませんでした」
送ってくれたホクトさんが真っ先に頭を下げてしまうので、慌てて前に立つ。
「あたしが勝手に行動したことなんです。ホクトさんたちに非はありません」
「申し開きは結構です。本来ならインターンの停止や事務所への注意、指導などがペナルティとして課される内容です」
寮母さんの険しい表情はそこまでだった。ふっ、と微笑むと、今度は眉をへの字にして頬に手を当てる。
「案件解決に貢献しちゃったんなら、それはもう特例ということにしておきましょう。でも、今回だけよ?」
「……ありがとうございます!」
背後でイノルさんが
「よかったね、マーナちゃん! 特別扱いも、いいときはいいものだよ」
「イノルさんは一言余計です」
ふふっ、と寮母さんがあたしたちのやり取りを見て笑った。
「よかったわね。いい事務所へインターンに行けて」
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