皐月18日

12

 記入者:青葉マーナ


 本日も東日本言語療養センターを訪問しました。

 依頼に関わる方々との面会はなかなか一筋縄ではいきません。だからこそ、どのように接していくかを学ぶことができました。



 次の日もあたしたちは東日本言語療養センターへ足を運んだ。

 太陽の光がたっぷりと満ちている特別療養棟の奥の一室。

 寝たきりで筋力の落ちているスズヨさんは、車いすに座っていた。昨日はベッドで眠っていたから分からなかったけれどかなり小柄で、髪の毛の長さは肩より上で、真っ白でくるくるしている。小さな丸眼鏡とビーズのグラスコード。淡いピンク色の病衣の上に、年季の入っていそうなクリーム色のレース編みショールをかけていた。


「浅日スズヨといいます。今回のことは、ほんとうにありがとうございました」


 優しくて穏やかそうなひとだ。


「いえ、こちらこそお待たせしてすみませんでした。あらためまして言語修復士の瀬谷ホクトと申します」

「同じく湊イノルです」

「えっと、言語修復大学校からインターンで来ました、青葉マーナです」


 つられるように、しっかりとお辞儀をする。


「まだ体力も充分に回復していないかと思いますが、会っていただきたい方がいます。宜しいでしょうか」

「もちろん、かまいませんよ」


 スズヨさんは終始にこにことしていて、到底、美並ジロウとは結びつかないのだった。

 全員で外に出て、後期言語療養施設の方までスズヨさんを案内する。車いすを押すのはイノルさんだ。

 久しぶりの外の世界に、スズヨさんはうれしそうだ。


 昨日と同じく、中庭でジロウさんはぼんやりと空を見上げていた。あたしたちが彼へ声をかけようとする前に、スズヨさんの体が震えた。


「……まさか」

「美並ジロウさんのことは、ご存知ですか?」


 スズヨさんの頬を涙が伝う。ゆっくりと拭いながら、頷いて微笑んだ。


「はい。初恋のひとです。何十年ぶりでしょうか、だけど、すぐに分かりました」


 あたしとイノルさんはスズヨさんの後ろで目を丸くして顔を見合わせた。

 ジロウさんもあたしたちに気づいてこちらへ顔を向けた。そして、スズヨさんの存在を認識すると表情がかたまる。遠慮することなくあたしたちを睨みつけてきた。


「昨日の言語修復士どもか。どうして彼女を連れてきた」

「あなたが質問に答えてくれなかったからですよ」


 イノルさんが意地悪な笑みを浮かべた。というか、完全に意地悪だ。


「美並くん」


 一方で、スズヨさんの頬は紅潮している。まるで少女のように瞳を輝かせて、車いすに乗っているから同じ目線で、ジロウさんに声をかける。


「浅日です。中学の卒業式以来だから覚えてないかもしれないけれど……」

「覚えている」


 ジロウさんはむすっとした表情を崩さないまま目線を逸らした。


「あのときは、ほんとうにごめんなさい。もう50年以上経ってるから時効だと思いたいのだけど、卒業式の後に話があるって呼び出しておいたのに、行けなくて。時効だから言いますね。あのとき、美並くんのことが好きだって伝えたかった。またこうして会えるなんて思ってなかったから、とてもうれしいです」


 あたしとイノルさんはもう一度顔を見合わせる。

 スズヨさんはあたしたちにも体を向けて、大きく頭を下げた。


「言語修復士の皆さん。助けてくださっただけではなく、美並くんに会わせてくれて、ありがとうございます。残り少ない人生、これでもう、悔いはなくなりました」


 そして大きく咳き込む。

 ホクトさんがスズヨさんの背中をさすってあげる。


「まだ本調子ではないのに、無理をさせてすみません。病室に戻りましょう」


 そしてあたしとイノルさん、ジロウさんが中庭に取り残される。


「貴様ら……」


 ジロウさんが、五体満足なら今にも攻撃してきそうな気迫で睨んでくる。

 イノルさんはひらひらと両手を振った。


「今日は口止め料じゃなくて謝礼金のご提案ですか? モテる男は辛いですねぇ」

「……時効だと、言われたがな」


 予想外にも、美並さんは小さく肩を落とす。


「儂も彼女のことが好きだった。中学の卒業式の後に話があると呼び出されて、そんなの告白に決まっていると意気揚々と待ち合わせ場所に向かったが、夜になっても彼女は現れなかった。そのときは落胆と怒りに震えたが、後に、突然彼女の身に不幸が降りかかったことを人づてに知らされた。そしてだからこそ、そのまま二度と会うことはないと思った……」


 ふぅ、と美並さんが息を吐き出した。肩を竦めて、情けなさそうに続ける。


「巨万の富を得て、さらに権力を得る為に好きでもない相手と結婚して子を設けた。そしてこのザマだ。貴様らには解らないだろうな」


 あたしは頷く。


「でも、こっそりと、浅日スズヨさんに支援はしていたんでしょう?」


 イノルさんが調査報告を依頼人に表示するかのようにディスプレイを宙に浮かべた。文字と数字が並んでいる。


「慈善事業というのは彼女への支援の隠れ蓑だったんですね」

「小僧、よく調べたな」


 ようやく、ジロウさんに口元を歪ませる余裕が出てくる。


「調べるのが職業なものでして。ただ調べても分からないことはあります。どうしてスズヨさんの櫛を盗んだんですか?」


 まるで探偵小説のクライマックスのようだった。

 あたしみたいなへっぽこ探偵とは違う、軽妙で巧妙なイノル探偵。


「貴様らなら口止めをしなくても大丈夫そうだから話してやるが、初恋が成就しないのならせめて心中しようと思ったのだ。とある組織に依頼して、彼女のディクショナリウムを偽物とすり替えてここへ入院させた。儂が死んだら彼女の櫛を破壊して彼女も死ぬように、な。……これが儂の人生計画の、完璧な最後だ」


 ジロウさんの瞳に満ちる、誰にも邪魔させないという強い意志。

 握りしめた拳が震える。これまで読んできた探偵小説の犯人と違って、ジロウさんの告白は、あたしには到底理解できない身勝手さに溢れていた。

 巻き添えで初恋の相手を死なすなんて。


「なんて身勝手なことを」

「言っただろう。貴様らには理解することなんてできない、これは崇高な愛の物語なのだよ」


 告白を終えた犯人は車いすで前進する。


「もう話すことはすべて話した。二度と儂の目の前に現れるんじゃないぞ」

「待ってください!」


 イノルさんが背中に向かって叫んだ。


「もうひとつだけ。とある組織というのは何ですか」


 ぴたりとジロウさんが止まる。


「どうやって、と言っていたな。ならば貴様も知っている筈だ。秘密結社『巨人討伐会』の名を」


 今度こそ、ジロウさんは自室へと戻って行ってしまった。


 秘密結社。


 ……その単語を引き金にしたかのようにイノルさんは一言も発さなくなってしまった。

 空気が重たくて気まずい……。もしかして、ふたりがあたしに隠していることなのではないだろうか。

 空気に堪えきれなくて、話を変えようと口を開く。


「あの、イノルさん」

「ごめん、マーナちゃん。ちょっとトイレに行ってくる」


 引き止める間もなく、ひとり中庭に取り残されてしまう。

 すると。


「おや?」


 声をかけられたような気がして顔を向けると、笑顔のセンター長が渡り廊下に立って、こちらに向かって手を振っていた。

 渡り廊下まで駆け寄って行き会釈する。


「昨日のインターン生君じゃないか。毎日、ご苦労さま」

「ありがとうございます」

「しかし、女子の特待生というのは、ヒカリ君以来だな。彼らもさぞ懐かしんでいることだろう」

「……ヒカリ?」

「聞かされていないのかい? 湊ヒカリ君は、湊イノル君の姉だよ。数年前の言語修復大学校特待生で、元・言祝ぎ言語修復事務所の所員。瀬谷の婚約者でもあったな」


 イノルさんのお姉さん?

 ホクトさんの、婚約者?

 ——突然の情報に気持ちが追いつかない。


「ところが職務中に事故に遭ってな。特別療養棟で治療を受けたが回復せずそのまま亡くなってしまったのだよ。あれは多大なる人材損失だった。くれぐれも君は、自らを危険にさらすような真似をしないように」


 秘密結社云々以上に聞いてはいけない話のような気がして、血の気がさーっと引いていくようだった。

 亡くなった……?

 心臓の鼓動が早鐘を打つ。何故だか、これ以上聞いてはいけないと思った。


「ところで特待生の君に、ひとつ尋ねてみたいことがあるのだがいいかね?」

「えっ。あっ、はい」


 混乱しているところに、不意に疑問符を投げかけられる。


「君にはニムロドが何に見える?」

「ニムロドですか。あたしには大きな剣に見えま……」

「マーナちゃんっ、お待たせ!」


 回答を遮って、快活さを取り戻したイノルさんの声が響いた。


「あれっ? センター長、お疲れさまです。こんなところでどうしたんですか」

「毎日の巡回だよ。長たるもの、この施設で起きていることはすべて把握しておきたいからな」

「仕事大好きなのはいいけど、あんまり働きすぎないようにしてくださいよ」

「そうだな。そろそろ戻るとしよう」

「マーナちゃん、ホクトさんと合流して事務所に帰るよ」


 イノルさんに急かされるように渡り廊下から玄関へと向かう。

 視線を感じて振り返ると、センター長が右手を上げて、口元に笑みを浮かべていた。



 道が混んでいた所為で、言祝ぎ言語修復事務所へ戻ってくる頃には夕方になっていた。リュックを肩にかけて、挨拶して、すぐに事務所から出た。インターンは16時までなのだ。

 帰りの電車は空いていたけれど座らずに扉にもたれかかる。

 移り変わっていく景色を眺めながら考えるのは、湊ヒカリさんのこと。イノルさんのお姉さんでホクトさんの婚約者だった女性。

 ……解ってしまった。事務所の空きデスクの意味が。その席をあたしが使うことに対してイノルさんがホクトさんに尋ねた意味が。特別だよ、と言った意味が。

 ……昨日、いてくれてよかったと言われた理由が。

 心臓の辺りがちくんと痛みを訴えたような気がして、制服のシャツを掴む。

 他人のことを考えて胸が苦しくなるなんて今までなかった。

 だけど、あのふたりの抱えているものがあたしには想像すら許されないという事実が、何故だかひどく悲しい。

 最寄り駅に到着すると、まだ空は薄い青色を残しつつもオレンジと混じり合って見事なマジックアワーを演出していた。

 遠くに見えるニムロド、あたしにとっての巨大な剣は光を受けて幻想的に輝く。

 そういえば誰かがニムロドについて何か言ってなかったっけ? 霞がかったようにどうしても思い出せない。


 とぼとぼと歩いて寮へ帰ると、玄関で寮母さんに声をかけられた。


「お帰りなさい。ちょうど施設から電話が来てるわよ」


 渡された受話器を耳に当てるとひんやりとする。


『もしもし。調子はどう? うまくやれてる?』

「そうですね」

『なにか要るものがあったら送ろうと思うんだけど』

「特にないです。ありがとうございます」


 受話器の向こうが静かになる。


「……どうしたんですか」

『ごめんなさいね。あなたにありがとうって言われたなんていつ以来かしらと思って』

「まさか、そんなことくらいで泣いてたりしませんよね」

『やだ、どうして分かったの』


 鼻を啜っている音が聞こえればいやでも気づく。

 あたしは小さく溜息をついた。


「……前の施設長は大嫌いだったけど、あなたのことは、そうでもないですよ。若干、おせっかいで心配性だとは思いますが」

『ちょっと、どうして急にそんなこと言うの』

「ただ、そう思ったからですよ。じゃあ、また何かあれば連絡します」


 通話を終える。

 何故だか寮母さんがにやにやしていた。


「マーナ。インターンに行き始めて、ちょっと変わったね」

「寮母さんまで何を言い出すんですか」

「だってお出かけもするし、あんなに冷たかった養護施設への電話も。なに、今の」

「勝手に聞かないでくださいよ」


 両腕を組んで抗議の意志を表明する。


「いいじゃないの。あ、晩ご飯食べるよね?」


 はい、と答えようとしたときだった。


『♪』


 メッセージが腕時計型端末に届く。


「……ホクトさん?」


 送信主は、ホクトさんだった。

 連絡先は教えていたけれど実際にメッセージが届くとは。セキュリティレベルが高い。一度読まれたら消滅するという印がついている。

 緊張しながら本文を開いた。


『お疲れさまです。美並ジロウさんと浅日スズヨさんが失踪しました。これからイノルくんとふたりで捜索隊に加わってきます。状況によっては、明日のインターンをお休みにしてもらうかもしれませんので、朝は寮待機でお願いします』


 昼間とは逆に、体温が急に上がったような気がした。


「夜間外出願って1週間前までに要提出でしたっけ」

「そうよ。どうしたの、急に?」

「処分は後で受けます」

「マーナっ?」


 引き止められる前にあたしは寮を飛び出す。帰ってきたばかりの道を逆走する。

 あっという間に太陽が沈んでいて辺りは暗い。暖かさは昼間と変わらない。こんな時間に外へ出たのは初めてだ。

 だけどあたしも行かなければならないと、どうしてか分からないけれど強く思ったのだ。思った瞬間に、言葉と体が飛び出していたのだ。

 インターン生だから、という理由だけで逆の特別扱いをされる。

 実力なんてないに等しいことは否応でも思い知らされてきた。たかが一インターン生だ。あたしが何人いたってふたりの役に立つことは絶対にない。もしかしたら足手まといになってしまうかもしれない。

 だけど。それでも。


『今、どこにいますか。あたしも向かいます』


 駅に着いてすぐにメッセージを送る。小さな駅とはいえ、いつの間にか仕事帰りの人間で混んでいた。


『帰れと言われたって帰りません』


 震える手で意志を伝える。

 どうか拒絶されませんように。

 ……たぶん向こうも戸惑っていたのだろう。しばらく経ってホクトさんから返信が来た。


『ちょうどそちらの駅に向かっているので、待っていてください』

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