皐月13日

7


 記入者:青葉マーナ


 依頼人へディクショナリウムの返却を行い、案件は解決となりました。ただ、解決するということが必ずしも依頼人の利益になるものではないとも感じる案件でした。



 修復されたネックレスを見て、アオイさんはほっとしたように微笑んだ。


「ありがとうございます。これで安心して故郷へ帰れます」

「え?」


 驚いた湊さんへ向かって、恥ずかしそうにアオイさんが答える。


「デザイナーは引退することにしました。故郷で、実家の営む喫茶店を継ごうと思います。なので、これをよかったら受け取ってもらえませんか」


 テーブルの上に4枚のチケットが置かれる。


「歌姫の20歳記念コンサートの関係者席チケットです。本当は実家用に取っておいてもらったんですが、もう観に行くことはないと思うので皆さんで行ってください」


 アオイさんが深々と頭を下げる。


「お世話になりました」

「はい。お元気で」


 真実は伝えずにネックレスを返す、というのが瀬谷さんたちの結論だった。伝えてしまったら、ふたりをさらに苦しめてしまうから。

 だけど事務所を去って行くアオイさんの背中を見たらあたしはいてもたってもいられなくなってしまった。


「アオイさん!」

「マーナちゃん、待ちなさいっ」


 制止をふりほどいて事務所の外へ飛び出る。

 振り向いたアオイさんは、やっぱりあたしを責めようとはしない。代わりに1枚のカードを差し出してきた。


「いろいろと迷惑をおかけしてごめんなさい。いつか南へ遊びに来てください。美味しいものをたくさん用意しておきます」


 お店の地図が描かれたカードを受け取る。

 何も言うことはできなかった。

 皆、あたしを責めてくれたらいいのに。瀬谷さんだって湊さんだってそうだ。子どもの浅はかさを責め立てるのが、大人ってやつじゃないの。

 去って行くアオイさんの背中を見つめたまま立ち尽くす。


 そのとき、だった。

 ぶわぁっと風が吹く。明らかに、普通の風じゃなかった。


「……!」


 目の前に突然現れた人物に、さらに言葉を失う。

 背の高い男。銀色の髪の毛は腰くらいまで長く揺れている。前髪が目の位置くらいまで伸びていて表情は見えない。ゆったりとした、筒のような丈の長い白い服を身に纏ったその人物をあたしはよく知っていた。


 月の王。特級言語修復士。あたしの、憧れ。


「君が」


 記憶にあるのと同じ声に心がざわつく。


「言祝ぎの事務所にインターンで入った子ですか」

「えっ?」


 それだけ言うと月の王はきびすを返して去って行った。


「マーナちゃんっ!」


 降りてきた湊さんの声を背中で受ける。


「……まさか月の王? 戻ってきたのか……」


 振り向くと湊さんと瀬谷さんも、また、信じられないものを見たような表情で月の王が去って行く方向を見ていた。

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