第708話-1 彼女は晩餐会に出席する

 翌日、賢者学院内の機運は『風』派の賢者たちに委ねることにする。姿を見せれば、また同じように突っかかって来る者もいるであろうし、揉め事は纏めて処理したいのである。


 昨日の夕食時に「今日の晩餐会である程度時と場所を決めさせましょう」と『風』派の領袖であるトメントゥサ師は彼女に告げている。今日の日中に風派よりの土派や水派の幹部に根回しをするつもりなのだろう。


『火』と『水』は敵対しており、尚且つ、灰目藍髪は「水」の精霊の加護持ち。代理戦争のようなものであり、勝てば水派の勝利であり、負けてもそれは王国の騎士が負けただけのこと。自分たちに何の損もない。多少、火派が調子づくかもしれないが、それは長い事ではない。


『土』は中立的であるが、風派に同調する勢力も存在する。少なくとも『火』に与するグループは存在しない。故に、火派を転ばせることは難しいことではない。資金を背景とする力を火派は発揮しているが、その資金源は既に潰えている。それを彼らは知らないのである。


「まるっと丸投げしましたね」

「ええ。彼らにも利があるのだから問題ないでしょう」


 今日は人狼が見てきた島の中の様々な場所を見学するつもりである。一つは、領主館。


「かなり傷んでいるわね」

「まあ、外装はあなたの土魔術で軽く補強すればいいじゃない?」


 癖毛や歩人ほど簡単ではないが、彼女も魔力を大量に使えば外壁の補修くらいは問題なくできる。領主館に出入りする数名は、おそらく本土から呼ばれた男爵の使用人か代官に依頼された職人たちだろう。


 男爵には王宮から通達が届いているので、相応の対応が期待できる。派閥は北部貴族であるが、だからといって外交上問題となる失態を自ら行うほど愚かではない。


 古びた調度を撤去し、新たなものを木箱の梱包から出して城館内へと運び込んでいるのが見て取れる。外側は間に合わないものの、部屋を整えることはできそうなので、注力していると言ったところだろう。


「季節的にもさほど問題はないのだから、雨風が凌げれば問題ないわね」

「それなら、魔装馬車の中でもいっしょですぅ」

「風呂トイレ台所がある分、格上よ!!」


 伯姪、男爵に対してかなり失礼である。





領主館マナーハウス』は、貴族の館というより、ワンランク下の地主あるいは荘園主の住む居館を意味する。領都に居城を有する大領主とは異なり、村役場的要素含む城壁を有さない街や村の統治用の施設でもある。


 昨今の連合王国では、女王陛下をお招きする為の各地の領主が城館を新築しているが、そのようなものは「カントリー・ハウス」と呼ばれる宮殿に比するほど豪華な居館と庭園を有するものがそれに当たる。


 古くからの領主が保っている居館の他、修道院解散令の後、新たに王から地主(郷紳)に叙された者たちの中には、修道院の建物を領主館へと改装しそのまま居館とした者たちもいる。


 なので、この領主館も防御施設としてこそそれなりに堅牢なものであるが、居住性はあまりよろしくない。海も近いこともあり、常に湿気がおおいためか、ジメジメした感じがする。


 それに比べると、新たに建設された賢者学院の建物は湿気対策も施されているのか、新しいためなのかは定かでないが気分良く過ごせる場所であった。


「ここに二カ月滞在するんですかぁ」

「ですわぁ」


 王都の下町にある古びた孤児院・施療院を思い起こさせる、黴と埃の臭いが立ち込める館に、碧目金髪とルミリは顔を露骨にしかめた。


「使われていなかったから仕方ないでしょう。それに、二三日ならともかく、家霊たちが四六時中うろつく学院の中に滞在するのは気が休まらないのではないかしら」

「見た目、襤褸を着たゴブリンだもんね。それは分からないではないわ」


 自分の家の『家霊』であれば慣れもするし愛着も……多少は湧く。だが、あれらは賢者学院の従僕であり、彼女達にとっては敵に近い存在だ。明らかに敵対していない分、質が悪いとも言える。


「オイラ、爽やかに乾かすこともできるぜぇ!!」

『あたしだって、湿気を飛ばすことくらいできるのだわぁ』


 山羊男と金蛙が張り合うように言い合い始める。


BURURUNN!!


「なに……そう。どうやら、マリーヌが水拭きしてくれるそうです」


 主である灰目藍髪に何やら伝えると、水魔馬は幾つかの水球を生み出し、コロコロと床と壁、そして天井を転がし始める。その水球はどんどん泥色に変色する。どうやら、埃や黴を水球で絡め捕っているようだ。絡め捕り、水の中に取り込むのは水魔馬ケルピーにとっては得意技である。


「『ぐぬぬ(なのだわぁ……)』」


 蛙と山羊男は悔しげである。言葉より態度で示すべきであった。


 これで少なくとも、黴臭さと湿気に悩まされる必要は……多少マシになる。


「もう少しさわやかな空気にならないのでしょうか」

「……できないんですかぁ、風の精霊(笑)なのにぃ」

「……苦手なんだよぉオイラ……」


 風を操る事は出来たとしても、空気を整えるような権能は存在しないのだと山羊頭はいう。その辺りは、植物……『草』『木』にまつわる『土』の精霊が得意とするのだという。


「じゃ、チェンジでぇ」

「が、頑張るからよぉ、そんなこと言わないでくれよぉマイ・スウィーティー!!」


 絶叫する山羊男。そして、館の中に微風が吹き始める。潮の香は除けていないが、肌にべとつく不快感は若干和らぐ。暑い季節ではないし、然程この地は暑くなる場所ではない。


 とはいえ、微風の心地よさが損なわれるわけではない。じっとしていても、あるいは動き回れば多少汗ばむのだから。


「いい風ね」

「はい。風に善悪はありません。どのような風が吹こうとも、いかなる原因であろうとも問題ありません」


 伯姪と灰目藍髪は満足げだ。


「まあ、潮でべとべとしますけどぉ」

「髪がまとまりやすくていいわよ。ニースよりずっと涼しいし、汗もかかないからさほど気にならないじゃない」


 そういうものなのかと疑問に思わないでもない。


「山羊男」

「……オイラ山羊男じゃねぇけど……なんだ」

「山羊頭ぁ!! 先生には最敬礼で対応しなさい」

「お、おう。な、なんでも訊ねてくだせぇ」


 精霊の持つ魔術は、魔力をどの程度消耗するのか、彼女は聞いてみたかった。なにしろ、雷の精霊は会話が成立せず、草の精霊はまともに会話が成り立たない。

無言と多言の極端である。


 馬は話せないし、金蛙は……良く解っていない大精霊なのだと思われる。


「魔力の消費はどうなっているのかしら」

「魔力?」


 人間が魔術を独自に使う場合、相応の魔力を消費することになる。それに対して精霊魔術なら、祝福持ちなら数分の一、加護持ちならば百分の一程の消費となる。その分、精霊が力を消費しているのであれば、力をどんどん使っていった結果、精霊の力が枯渇するのではないかと彼女は考えていた。

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