第八幕 出帆
第666話-1 彼女はリンデを出帆する
「多少お手伝いは出来ると思いますよ。よろしいですかヴィ」
『まじかぁ、助かる』
この数日の旅程の中で、『魔剣』はビルから「人化」について教導を受けることになった。今だ経年不足であろうが、先達の指導を受けておけば、人化の時に、スムーズに変化できるようなのである。
リンデを流れるテイメン川にまだ薄暗い早朝、魔導船を出し、流れに乗って川を下るオリヴィとリリアル一行。魔導船も外輪を動かさなければ、変な形の少し大きな川船に過ぎない。明るい間、川を下る分に魔導外輪を使用する必要はあまり無いので、今は流れに乗って川辺の景色を堪能している。
「テイメン川の何が良いかと言うと、タラスクスが出ないところね」
「大抵でませんよそんなものぉ」
「ですわぁ」
この中で、タラスクス討伐に直接参加したのは彼女と茶目栗毛だけだ。薬師娘二人は、その当時本当の薬師であり、兎馬車の馭者として帯同したので、討伐には関わっていない。遠征には参加したが、戦力ではなかった。
「タラスクスというと、南都に現れた下位の竜種ね」
「竜殺しの名をもたらした六足の魔物ですねヴィ」
タラスクスの外見は鰐に似ていた。恐らくは魔鰐が竜になったものか、あるいは魔鰐に水の大精霊がとりこまれたものだろう。御神子教の布教とともに、それ以前の精霊信仰が失われ、力を失った大精霊が魔物に取り込まれその力となった可能性は高い。
王国内では教会も精霊の存在を強く否定したり弾圧することはなくなったが、聖征の時代前後は、「異端」として強く否定したとされる。その結果、王国では泉の女神・水の大精霊を「聖母」として御神子に結び付けてしまった。
王国内に数多くある「聖母教会」は、御神子教と水の精霊信仰が結びついたものであるといえる。とはいえ、全てが祀られたわけではない。それ以前に「神」として強い力を持っていたものが信仰を失った結果、魔物化して「ラ・マンの悪竜」のようになったり、教会の司教に説得され、山奥の湖に潜んでいたりしたのだ。
「竜の伝説は連合王国の海・湖に数多く残されていますし、それを討伐した英雄が『聖人』として祀られているようです」
「ものしり」
「ものしりですわぁ」
茶目栗毛が連合王国の『竜』事情について話を加えた。姦しい!!
「湖西王国のあった地にも竜の伝承が多いみたいだし、王国との対岸の海沿いの地方にも海竜が沢山記録として残されているわ」
「……行かなわいよそんなところ。まして、竜討伐は統治者の仕事ですもの」
「でも、依頼が有ったら参加するでしょ?」
オリヴィの言葉に彼女は「うけません」と強く否定する。吸血鬼は放置すれば増殖し、連合王国やネデルを通じて王国に侵攻するかもしれない。アンデッドの群れに襲われるのは一回で十分だ。
「それに、竜と言うのはその場所に強く根付いた存在ですもの。余所者が手を出すべきではないでしょう」
「そうかな。だいたい、遍歴の騎士とかが困っている村人に頼まれて討伐に向かう話が多いじゃない?」
リリアル生は遍歴の騎士ではないし、そもそも、その話自体が統治者が明確でなかった大昔の話ではないのか。
「今の連合王国には、沢山の大砲を積んだ軍船が世界の海に向かうほどいるのですもの。それが竜を退治するのではないかしら」
「「「確かに」」」
竜退治の英雄という海賊もいてもいいと思われる。無抵抗の商船の積荷を奪うばかりが仕事ではない。偶には、海軍らしい仕事をしても良いだろう。
人が歩くほどの速度で川は流れていく。
「らくちんですわぁ」
「馬車に乗ると振動がね」
遠征初参加のルミリは、多少身体強化で脚力不足を補い一行に懸命についてきたものの、体の大きさの違いでやはりしんどかったようだ。また、場所も魔装馬車であればともかく、普通の馬車は路面の振動をもろに受ける。馬も常に揺さぶられるので、内臓に負担が掛かるし尻も痛くなる。
リリアル生が王国内でいかに良い待遇であったかが思い知らされる。箱馬車など、孤児が乗ることは生涯ありえないことも珍しくないのだ。
「釣りでもしたくなりますね」
『いや、根掛かりするだろ。針を取られるだけだ』
流れの緩やかな所に魚は多く集まるので、川の中央では案外魚はつれない。むしろ、水中に沈んだ流木や岩に釣り針を引っ掛け、針を取られるか竿を折るのが関の山である。
「網で攫えば良いんじゃないですか?」
「やめてよ、魔装網が泥臭くなるじゃない!!」
「……地元の漁師に咎められるわよ。こういうものは権利が定められているのだから」
遊びとして釣りをするのは大目に見られても、網で攫うのは問題がある。川や森はその土地の領主に所有権があり、一定の税を納めてその地の住民が採取をしたり魚を獲ることを認められる。それ以外の者が魚を獲るのは違法であり、窃盗扱いになる。
親善副使一行、違法操業で検挙など洒落にならない。そもそも、調理する場所もないのだ。
「しばらくは船上で簡易食ですね」
「魔導具で煮炊き位できるわよ」
魔導船は揺れも穏やかなので、川程度であれば問題なく調理できる。暖かい飲み物やスープくらいは作れるので、パンとスープ、お茶くらいは口にする事ができるのだ。
「リンデで購入した菓子類もあるわ」
「……砂糖塗れですねぇ」
「高級なのですわぁ」
神国は内海の領する島や一部新大陸で、砂糖の栽培を拡大しているが、暑い地方での栽培が主であり、連合王国では完全輸入品だ。とはいえ、砂糖を摂取することで体力を回復することができる「ポーション」的な効果が認められ、苦いポーションよりも甘い砂糖に貴族や富裕層が群がった。
結果、王都はさほどではないが、リンデでは女王陛下の嗜好もあり、砂糖をたっぷり使った菓子が大人気だ。砂糖は体に良いと、砂糖菓子ばかりを口にする君主の影響らしい。
「体に良いんだって」
「過ぎれば何でも毒になるわよ。それは、味が良くなったり整える分には蜂蜜以外で甘味が採れるのは良い事だけれど。あなた、蜂蜜だけ舐めて健康になれると思うかしら?」
彼女の言に伯姪は首を横に振る。
「甘いものは少しだから美味しいのよね。たくさん食べたら気持ち悪くなるわ」
薬師娘二人が強く首を縦に振る。そう、その昔、試作のフィナンシェをお腹いっぱい食べたことのある二人は、今では一口程度しか口にしない。過ぎたるが及ばざるがごとしと言うことを、身をもって知ったらしい。
「そういえば、姉さんが餞別代りに寄こしたフィナンシェが沢山あるわ」
お茶受けにと出したフィナンシェ。オリヴィは嬉しそうに幾つか口にしたが、リリアルメンバーは一つで大満足であった。
『俺も喰いてぇなぁ』
「そう思うなら、人化の術を早く身に付けることですね」
『魔剣』の先生は優しく言うが、中々に厳しいようである。
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