第626話-1 彼女は姉の手に入れた館を探索する 

「……以上の内容で契約を結ばせていただきます。宜しいでしょうか」

「ええ、勿論ですわ」

「異存はない」


 ノウ男爵邸は数日で売買契約が成立した。姉のオファー内容に商業ギルド側は「どうでしょうか。ダメもとで打診します」と受けたのだが、ノウ男爵は即座に言い値での処分を受け入れた。


 価格は金貨四十五枚に加え、今の使用人に支払う給与三か月分も負担するということで、即座に人を雇わずとも屋敷が維持できるようにしてくれた。門番も信用できる人間を簡単に異国の地で採用できるわけもなく、ノウ男爵が採用した使用人であれば男爵が保証人として見てくれるというので、安心出来る面もあった。


「アイネ夫人はいつ頃入居されるおつもりでしょうか」

「手続き済み次第即ですわね。今の商会の建物では少々手狭ですので」

「承知しました。三日ほどお時間いただければと思います」


 こうして、元修道院の幽霊屋敷と揶揄される男爵邸は、ニース商会のものではなく、(あぶく銭により)姉の個人的な資産として保有するに至った。これをサンライズ商会に貸す形で家賃を得ようとするものなのだ。





 既に、リンデ駐在員の選抜は王国内のニース辺境伯家周辺を中心に始まっている。冬はかなり寒い場所だが大丈夫なのだろうか。


 姉は個人で屋敷をリンデに構えることになったのだが、果たして問題ないのだろうか。


「商会が持つより、王国とはいえ貴族が保有する方が安全なんだよね」


 貴族は相互に免税特権を持っている面もある。また、権利も平民とは異なり、確実に守られる面が強い。


「実際、駐在するのは騎士団を退役された方達なのでしょう?」

「そうそう。ほら、怖いもの見たさと若い者には負けないというロートルの意地の見せ所みたいだね」


 第一報では「希望者多数で選抜中」と義兄から連絡が入っている。どうやら、ジジマッチョ本人も「良いな。元修道院か」などと言い出しているのだという。とはいえ、リンデの冬は王都よりさらに寒く、言葉の問題もある。王国語ができるリンデの貴族・商人は少なくないものの、使用人をはじめ庶民はそうではない。言葉に問題が無い人を最優先で選抜するようにお願いしてある次第だ。


「ニース商会にしても騎士団にしても、貿易関係で連合王国とそれなりに付き合いがある人はいるからね。伝手もコネもある人をお願いすることになると思うよ」


 ニースは内海貿易で成り立つ領地だが、神国と連合王国がボルドゥの商人を介して繋がりを持っているように、ニースも多少とも関わりがないわけではない。特に、法国の職人が作る高級品の衣料や工芸品を購入するのは各地の高位貴族であり、その中にはリンデの商人が手配する者も少なくない。そうした仲介を行うこともあるのだ。


「ニースや法国で今まで会っていたのが、これからはリンデでも会うって関係に替わると思えばいいよ。まあ、商館にして治外法権迄得られるのが最高だけどね」

「でも、姉さんが当主になればそうなるのではないかしら」

「正解!! 今だからできる裏技だね」


 ノーブル伯爵の別邸となれば、連合王国やリンデの参事会も簡単には手を出せなくなるだろう。姉が『商会頭』『商会頭夫人』としての身分で購入するから金貨四十五枚ばかりでリンデの目と鼻の先で屋敷が購入できたのだ。当主であれば、元値以上でなければ面子に関わる事であったろう。


「それよりなにより、お爺様の学友の修道士たちが来たがっているらしいんだよね」


 男爵邸以前は、歴史ある『シャルト修道院』の分院であったのだから、既にその面影は残っておらずとも、殉教した修道士たち含めて、思い入れのある場所であるのだという。


「助けたかったのでしょうね」

「と思うよ。まあ、戦争になるから堪えた面もあるみたいだし。殉教させるというのも、修道士としての選択だからね」


 敢えて殉教の道を選ぶことも修道士としての生きざまであることは理解できる。が、助けたいという心情もまたおかしくはないのだ。


「でも、大丈夫なのかな」

「……大丈夫ではないわね。しっかり守りを固めないとね」


 リンデでは予想以上に原神子信徒の動きが活発であり、集団心理もあり御神子教徒に対する加虐心も高まりつつあると言える。そもそも、女王陛下の側近たちは原理主義的原神子信徒が少なくなく、その多くはリンデの有力貴族・郷紳出身なのだ。女王陛下が神国・教皇庁と表立って対立することを避けたいと考えている故に抑え込まれているが、本質的にはリンデ市民と同じ原理主義者であるといえる。


 王弟殿下と女王の交流が不首尾に終われば、あるいは、なんらかの問題が発生し王国との関係が目に見えて悪化すれば、女王も原神子信徒が過激となることを抑えなくなる可能性が高い。


 分派の多い原神子信徒は、より強い信仰心を誇示するために過激な行動を行いやすい傾向がある。対抗心を持って、小派閥同士が競争しているといっても良い。信仰心とは、いったい何なのだろうかと彼女は考えてしまう。


「教皇庁が存在するからある程度加減されているのでしょうね」

「それと、王国の高位聖職者はだいたい国王陛下の推薦で着任しているから、教皇庁と国王の両方に気を使うんだよね。それが、中庸を得ているから安定しているんだと思うよ」


 宗教的に純粋であることが必ずしも良いとは限らない。人を治めるのは人の法であり、その解釈は多くの人間が納得できる物でなければ治まらない。原神子信徒は、それが対立する構図が組み込まれている分、不安定になると考えられる。変革には良いかもしれないが、変革が必ずしも良いものとは限らない。


「さて、引き渡し前に一度内覧しておかないといけないよね」

「……そういう事は売買契約の前にしておくべきなのではないかしら」


 彼女の言う通りである。



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