第二幕 巡礼街道から首都へ
第609話-1 彼女は『ギルバート』に到着する
街道を東に進むと、『ギルバート』に到着する。このまま北上すれば明日にでもリンデに到着するのだが、それはあまりにも早い到着となるので、そのまま東へと向かう事になる。三週間は先行しているのだ。風向きや天候に恵まれなければ、王弟殿下の渡海はさらに時間がかかることになるだろう。
「随分と賑やかな街ですね」
「今までとはえらい違いですわ」
サウスポートはともかく、ベンタから先は少々寂れた印象の道行きであったことを考えると、『ギルバート』の街は小綺麗で、シャンパーや王都郊外の街を思わせる活気と新しさがある。
「なにやら、若者が多い気がします」
「それは、おそらくここにある公学校のせいね」
「公学校……ですか」
ギルバートは古帝国衰退後に、先住民が築いた小さな街から始まるとされる。征服王時代から『王立造幣局』がある場所であり、また、ギルバート城は征服戦争後は狩猟用の離宮として長らく利用されていた。
ギルバート城は征服王が建築した防衛用の城塞。古街道を抑える戦略的要衝を守る意味があったものの、百年戦争期以降は放棄され、近隣州の刑務所として使用されていたが、父王時代にはギルバート市長の邸宅として整えられ使用されている。
そして、この街にはとある理由で建てられ『王国学校』が存在する。『ギルバート王国学校』は通学制の公立学校で、男子のみ受け入れている。父王時代に建設された。『ラ・クロス』が盛んな学校として有名なのだ。
中等孤児院を設立する際、平民の教育機関を参考にしようと調べた際、彼女もこの場所を知っていた。実際どのようなものなのか、見てみたいと考えていた。
その端緒は、リンデの豪商の遺産を「ギルバートの最も貧しい男子の息子三十人」に中等教育・古代語・幾何算術・音楽を教える学校を建設するための寄付で始まる。街が支援し、これに王家の寄付が加わり、年間金貨20枚の予算がつくことになった。
入学は十一歳から十三歳の間に認められている。
貧しい『郷紳』層・自由民の優秀な子弟を掬い上げるための施策であると考えられる。
中等教育の担い手は、大聖堂付属の学校は閉鎖・修道院解散による資金で新たに創設された『王国学校』に置き換わりつつある。教育から御神子教の影響を排除ずる試みとも言える。
「家庭教師を雇えるほど裕福ではないが、子供一人と使用人を付けて
仮住まいさせる程度の余裕がある家の子供が集まっているのよ」
神学校のような寄宿制ではないので、「通学」して学ぶことになるのだが、街に仮住まいをして多少の授業料を払えば「誰でも」学ぶことができる。原神子信徒は郷紳や商人、豊かな農民……言い換えれば読み書き計算ができる者たちである。その子弟教育を教会とは関係ない教育機関で行うということは、女王の支持層に対して意味がある。
圧倒的多数の農民・下層民とその信仰する御神子と教会を守るのではなく、経済力と政治的発言力を有する層を大切にするのは、基盤の弱いであろう女王としては至極当然のこととなる。寄付も大した金額ではない。
「中等教育というのは、古代語・幾何算術・音楽なのですね」
「高位聖職者になるための素養として必要なのよ。そもそも、百年戦争より前なら、読み書きできない王族貴族は当たり前だったようね」
「貴族って阿保だったんですか」
「……それは言い過ぎ」
貴族は「戦う人」であり、読み書きの類は「祈る人」である聖職者の役割りである。例えば、ルイダンの家系などは下位貴族兼聖職者を輩出する家であり、その読み書き計算能力から『官吏』の家系と見做されているのだが、領地が大したことが無い=戦う力が大してないので、「祈る人」寄りの仕事を主にするようになる。
貴族の嫡男以外、庶子や第三子以降の男子であれば多少の寄進をして司祭や司教の席を持たせるものだ。戦う人から祈る人が生まれ、戦う人を支えるという構図が成り立つ。王国が分裂している時代は、そのような形で政教が融合していたのだと言える。
「今よりずっと戦争が頻繁であり、少数の軍で王や貴族も直接剣を持って戦えば簡単に死ぬでしょう? だから、死なない聖職者に知識を蓄えさせ、甥や甥孫の後見人にしていたのだと思うわ」
「なるほど」
「合理的ですわ」
聖職者は貴族以上に容易に他国へ安全に移動することができる。出先の教会や大聖堂、修道院や司教領で匿ってもらう事も出来るのだから、外交にも向いた身分と言える。共通言語である『古代語』の読み書きも得意なので、交渉事も問題ない。
「女王陛下は、王国語・帝国語・ネデル語・法国語・神国語に堪能だそうよ」
「才媛すぎます」
「何しろ、女であること以外完璧と呼ばれているらしいわ。武芸や馬術も優れていると聞くわね」
「建築や法律にも詳しと言うわね」
「……まるで……」
「「「先生みたいですね」」」
彼女は、連合王国語、帝国語、古代語程度で、法国語・神国語は怪しい。後者は、伯姪が堪能なのは、内海育ちであるからだと言える。船員はその辺りの出身者も多く、子供のころから話し慣れている。
「当代最高の家庭教師に幼少の頃から教育を受けていたと聞くわ」
「まあ、半ば囚われの身だから、社交はできなかったし勉強するくらいしかやることなかったとからしいのよ」
ある意味自分で自分を『囚われ』ていた彼女には腑に落ちる点ばかりだ。役に立つために、必死で勉強していたころの記憶がよみがえる。
「けど、結婚するのには無用なのよね」
「なんでですか?」
碧目金髪の言葉に、彼女をちらりと見つつ伯姪がが答える。
「頭のいい女は馬鹿な男に敬遠されるからよ」
「「「なるほど」」」
「でも、馬鹿なら騙されて身ぐるみ剥されてしまいますわ。それでは、馬鹿でモテても意味がありません」
ルミリ……シビアな子。
「そ、それはいいのだけれど、ここでが宿が取れるのかしらね」
「あそこで訪ねてみましょう」
下宿や仮住まいの多い街であるから、親族が訪問した時に宿とする場所も少なくないだろうと茶目栗毛は考え、比較的大きな宿を目指し歩いていく。交渉してみるのだそうだ。
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