第605話-2 彼女は『フェルハネム』に到着する

 彼女はルミリと碧目金髪を連れ、川へ洗濯へと向かう。


「洗濯も魔術でチャチャッとできればいいんですけどね」


 碧目金髪がそんなことを言う。彼女もなるほどと思う。日頃は、リリアルの使用人コースの者たちや三期生が洗濯をしているので気にしたことがなかった。そもそも、貴族令嬢は自分で洗濯をしない。


「例えば、どのような方法が考えられるのかしら」

「手で桶に水を汲んで、石けんの実を入れてジャブジャブできればいいと思います」

『水の大精霊の祝福があるんだから、水の流れぐらい魔力で作り出せるだろ?』


『魔剣』のアドバイスになるほどと思いつつ、彼女は川で洗濯を始める。


 魔力壁を五面創り水を汲み上げる。その中に、洗濯ものを入れ、石けんの実を投入、更にもう一面魔力壁を作り密閉する。


 魔力壁の中の水をグルグルと動かすのは、魔力操作の応用。


「おお!!」

「洗濯物が……グルグルと回転しておりますわ」


 恐らく、赤毛娘や赤目銀髪なら問題なくできるだろう。藍目水髪も恐らくは可能になると思われる。


「便利ですね。魔力が多いのっていろいろできます」


 洗濯女というのは、割と貧しい女性の仕事であるのだが、これなら、悪くない職業に思える。手足が荒れないのだから、貴族の女性もいける。


「魔力が含まれているからでしょうか、汚れがすごく良く落ちている気がします」

「……」


 彼女は一度、汚れた水を流し、今度はすすぎ洗いをする。その間約十分。


「あー 魔力壁六面に魔力操作をこんなに長くできる人って……限られていると思います」

「……そうなのですわね」


 同時に三つ程度なら許容範囲なのだが、七ツとなると桁が変わる。四つで八倍、五つで十六倍、六つで三十二倍、七つで……六十四倍の魔力消費量となる。同一規模の魔術であればだ。七倍ではなく、約七十倍の消費である。


 



 洗濯の脱水も、魔力壁で押しつぶしで離水。風魔術を応用したなら、さらにフワフワと乾いたことだろうが、そこまでは望まない。


「少し干していきましょうか」


 日のさす場所に縄を張り、洗濯物を干していく。下着が生乾きだと臭くなるので、これは避けたいのだ。


「あそこに何か建物が有りますわ」


 川を挟んで反対側の斜面、その丘の上になにやら石造の廃墟がある。


「また修道院かもしれませんね」


 父王時代に修道院が廃止され、その後廃墟となっているのは既に知っていることだ。


「1㎞くらいかしら。干している間に、お散歩でもしましょうか」

「それはいい考えです。途中で野イチゴとか見つかるかもしれません」

「素敵な提案ですわ」


 野イチゴゲットだぜ!! とばかりに二人は散開して斜面を登っていく。川が流れるような谷間には、イチゴが生えやすいのだから当然だろう。


「たくさん見つかれば、城塞の兵士の方に差し入れしましょう」

『……そんな見つかるかよ。背負い篭一杯くらい必要じゃねぇか』


 等と言いつつ、三人は修道院へと向かった。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 修道院の敷地は既に森の一部となりつつあり、木々や草木が多く生えている。既に、略奪でもされたのか、壁は崩れ天井も落ち、飾りであったろう彫刻も削られている。


「これは、原神子信徒の仕業かしら」

『どうだろうな。単に、気に入らなかったのかもしれねぇぞ』


 教会の扉や壁の装飾などを破壊することが良いと考えているものからすれば、修道士たちが長年かけて刻んだ修道院や教会の装飾を一瞬で破壊するのは気持ちが良いのかもしれない。彼女には「賊と何が違うの」という思いしか浮かばないのだが。


 内部をじっくり見ていると、二人が修道院の奥庭から戻って来る。


「先生、泉があります」

「何か面白いものでもいたのかしら?」

「それが……蛙です」

「蛙が沢山いたのかしら」


 どうやら沢山ではなく、蛙の姿をした精霊が彼女を呼んでいるのだという。


「蛙に呼びつけられるのは初めてだわ」

『俺も、聞いたことがねぇ』


 泉と言うよりは、小さな滝つぼとでも言えば良いだろうか。1m程の落差の瀧が流れ込み、自然な泉が出来上がっている。そこには、二本足で立ちあがる膝丈ほどの蛙がクネクネと踊っていた。


『ああ、久しぶりなのよぉ~』

「知り合いではないわよね……」


 クネクネ蛙に久しぶりと言われ、大いに驚く彼女。どうやら、久しぶりと話掛けたのは『魔剣』であるようだ。


『何でこんなとこにいるんだよお前』

『あら、随分なご挨拶じゃない。あのね、ここはこの島初めての使徒会の修道院なのよぉ~』


『使徒会』というのは、古くからある修道会の一つで、王国南部、南都の近くにその本院があった修道会である。


 王国はもとからそれなりに豊かな国であったが、使徒会の「祈り働く」という修道士の在り方に『開拓』という要素が加わり、多くの山野が畑へと変わっていくきっかけを作った修道会であった。


 使徒会は南都からブルグント、さらに王国北部へと支院を増やしていき、多くの葡萄畑を作りワインを醸造した。シャンパーやブルグントがワインで有名となったのはこの修道会のお陰でもあるのだ。


「それで、精霊が修道会で何をしているの。本来、相容れない存在でしょう」


 彼女が問うと、蛙の精霊は話を始める。


 どうやら、元々は帝国の辺りの森の泉にすむ精霊で、その地に住む部族から「神様」として敬われていたのだという。帝国周辺では、亀や蛙といった泉や池にすむ動物が長らく生きることにより精霊となることが多いのだ。王国から西大山脈に掛けては『竜と美女』の外観を持つ水の精霊が多いのと相当異なる。


『それでさ、巫女に頼まれて部族が移動するのについて行ったわけ』


 東から来た別の部族に追われ、住み慣れた土地を離れ西の島へと渡ることになったのだという。そこには先住民が住んでいたものの、追い払い、この地で生活をする事にした。その時、蛙の精霊はこの泉に腰を下ろす事にしたのだという。


「それで、どうして知り合いなのかしら」

『お前のご先祖についてこの地を訪問したことがある。ここは、最初からロマンデ公が治めていた土地じゃねぇからな』


 ロマンデ公に敗れ、この地に落ち着いたアルマン人はロマンデの支配下に収まる事になった。やがて、御神子教徒となり、この地に修道院が建てられ精霊を祀る事は忘れられていった。


 とはいえ、修道院には蛙の神様がいるという程度は知られていたし、修道士たちも泉を清め、精霊がいるものとして扱ってくれる者もいた。


『修道院に使者として宿泊した時にたまたまな』


 ということのようだ。既に『魔剣』に魂を納めた状態なので、精霊ともそれほど深くかかわったわけではないようだ。


「用件を聞きましょうか」

『……随分とせっかちね』


 そろそろ洗濯物の乾いたころだろうし、城塞に三人を待たせている。女王陛下の話を聞くなら、蛙の精霊より城塞の兵士だろう。碧目金髪と赤目のルミリも蛙の精霊の姿は見えているようだが、会話は分からないようで、しきりと彼女の様子を気にしている。


「そろそろ戻りたいの」

『わたしの名前はフローチェ。あなたのお名前は?』

「アリーでいいわ」

『ふ~ん、真名は言わないのね。まあいいわ』


 怪しい蛙に本名を教えるほど、彼女は不用心ではないのである。

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