第593話-2 彼女はウォレス卿と渡海について打ち合わせる

 国が貧しいという事は、国の予算も潤沢ではない。ということで、連合王国の大使館は、王都の城塞の一角を貸し与えられたものであるというのは変わらない。余り呼びつけられたり、呼び出したりするのは微妙な場所である。


「初めて拝見します」

「未だ普請の途中ではありますが、ウォレス卿が帰国した後にここを訪れることはないと思いますので、思い切ってみました」


 ウォレス卿から「渡海の旅程の件」で打合せがしたいという事なので、彼女は今だ細部は工事中であるものの、『執務室』『応接室』は既に完成している『リリアル街塞』所謂リリアルの塔で落ち合う事にしたのである。


 中庭に馬車を止めおくことも、馬の世話をする馬房も用意されているので問題なく止めおくことができる。跳ね上げ橋の稼働状態も確認できて一石二鳥というところだろうか。


 質素な応接室を見てウォレスは感嘆の溜息を上げる。


「リリアル学院は王妃殿下の離宮を下賜されたもの、元は先王陛下の狩用の離宮ですから、そこと比べれば粗末であることは否めません」

「いいえ。我が女王陛下は華美であることを好まれませんので、このような質実剛健な城館を見れば、リリアル閣下の心根に共感されると思います」


 彼女は、女神呼ばわりされるべく金糸銀糸で刺しゅうを施し、真珠や貴石・宝石で飾り立て、その姿を首都の民たちに見せつけるように囲いの無い輿にのりリンデの街を練り歩く女王の行列の噂を聞いており、意外な印象を受けていた。


「誤解されておられるかもしれませんが、陛下は華美を好みません。まあ、こだわりが無いとは言えませんが、贈り物も大変喜ばれますので、どうしても華美なものが周りに集まって参りますから」


 王女時代、母親が処刑された後、父王の寵愛が薄れたこともあり、質素な装いを強いられた時代もある。王女は極めて頭脳明晰であり、また、容姿も優れていた。背もスラリと高くて足が長い、また、肌も白磁のようにきめ細やかで白く、目もパッチリしており化粧を施す必要がないほどであったという。


 その姿をさらに際立たせるのが、当時の若い貴族の娘が好んだ胸元の大きく開いたドレスではなく、修道女もかくやというシックな黒味の強いドレスであった。


 姉王は背が低く頭も大きく痩せぎすで貧相な印象を与える容姿をしていた。予算が無かったという事もあるが、姉王に目を付けられないように地味に装っていた分を差し引いても、目を引く容姿であったという。


「女王陛下の趣味は、古代語や王国語の書物を母国語に翻訳することなのです」


 宵っ張りで朝寝が好きな女王陛下であるが、昼前から休みなく絶え間なく

人と会い、書類を精査し、指示を出し、何かしら考えたことを言葉に出して

書き留めさせる存在であるという。


「考えがまとまらず、心を落ち着かせる為には翻訳の課題を進めるのが最も心が落ち着くのだとか」


 無心で計算をするような物だろうか。確かに、体を動かすようなことをするのは理解できる。彼女も、少々悩んだ時などは無心でポーションを作ることもある。作り過ぎて『魔剣』に怒られたことも過去にはあった。それに似たことなのだろうと彼女は考える。


「お会いするのが楽しみです」

「恐らく、陛下は閣下に強い関心をお持ちであると推察しております」


 女王陛下は「女であること以外完璧」と称される君主である。


 古代語は勿論、王国語・法国語・神国語・ランドル語に加え、一部湖西語も話す事ができた。また、法国風の洒落た書体で書くこともできた。日頃の殴り書きは判別できないほどであると言うが。


 王女として生まれ、反逆者としての疑いを受けて育ち、そして、誰もが女性であるという以外文句を付けようがない国王として統治しているのだから、彼女としても興味がある。


 神国と連合王国は、姉王と神国国王が王太子時代婚姻しており、その影響で神国と王国の争いに巻き込まれたという要素はある。どちらが教皇庁に優先される存在になるかという事が、内海周辺においては重要な関心事であるからだ。王国と帝国、王国と神国、神国と帝国というのはそうした関係で張り合ってきたのだ。


 サラセン人を自領土から追い出し、さらに厳格に教皇庁の考えを推し進める神国が先んじているように思われるが、ネデルで発生しているような事態が各地で発生しないとも限らない。


 隣接する連合王国も、王国もそのような内戦は避けたいと考えている。奴隷貿易や海賊行為は容認できないが、国を治めるためになにを為しているのか、実際間近で見てみたいという気持ちが彼女にはある。


「リンデの『白亜宮』には馬上槍試合用の施設や『ラ・クロス』用のコートもありますので、陛下と王弟殿下がご臨席されてのイベントが催されると予定されています」

「……それは大変楽しみです」


 余計な事を言って巻き込まれたくないのである。どちらも「閣下にもぜひ選手として参加していただきたい」などと言われたらたまらない。


 女王陛下は父王を非常に尊敬していると聞く。また、父王が好んだ馬上槍試合や狩猟なども大変好んでいるのだという。狩猟を好むのは派手好きの王様には共通のようで、王国の先王陛下もそうであったなと思うのである。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 渡海する王弟殿下一行は陸路『カ・レ』まで馬車で移動し、その後、連合王国の船で対岸の『デーヴァ』へ渡り、さらに馬車でリンデを目指す事になるという。途中で、それぞれの地の有力者が歓待することになるので、一月ほどかけて移動することになるだろうとウォレスは説明する。


「……随分と時間をかけるのですね」

「仕方ありません。先の女王陛下の御世において、我が国と貴国は戦争もしております。その関係修復の親善も兼ねておりますので」


 神国と連合王国は十年ほど前に王国と戦争をし、結局、王国に『カ・レ』を返還して幕引きとなった。連合王国は父王時代に離婚問題から、独自の教会を立ち上げ、修道院を廃し、聖職者に妻帯を許している。これは、教皇庁から見れば『異端』の行いであり、『聖征』が発せられてもおかしくない状況と考えられていた。


 王国・神国を中心とする『聖征軍』の来寇を予期した父王は、沿岸部に要塞線を多額の費用をかけて建設した。その予算、金貨三十六万枚。国王の生活費の予算が年間二万から三万枚であるから、多大な出費であったことは言うまでもない。


 そんなことを為したため、また、『カ・レ』を失い、王国に近い沿岸部の諸都市は心理的な緊張が続いている。神国とは婚姻により関係改善が為されたものの、王国とは未だ緊張が続いている。続けるような工作もなされているのだが、それは総意ではないし、矢面に立たされる沿岸部の考えではないのだろう。


 そういう意味では、王弟殿下が王配となるのであれば、神国同様、関係が改善されるかもしれない。


「女王陛下は原神子信徒ですが、敬虔というか厳格ではないのです」


 自分の王宮にある礼拝堂には、十字架を飾るし原神子信徒が教会で装飾品を破壊するようなことを許さないのだという。これは、原神子派にも御神子派にも与せず、互いを許容しようとする中庸の姿勢が見て取れる。内乱を起こされたらたまらないという理由と、神国にもネデルにも配慮した

為であるのだろう。


 それに、姉王が神国王女である母とその周囲の神国出身の侍女たちに影響を受け厳格な御神子教徒となったのと対照に、女王陛下は、古代語を学び、神学のみならず実学にも長じていることが大きな影響を与えている。暇であるから祈り、余計なことを考えられるのであって、目の前に自分に対抗する勢力や隙あれば足を掬おうとする古だぬきどもがいれば、余計な事に労力を割いている暇はないのだと推測される。


 暇のない彼女には良く理解できるのだ。




 そのような話を聞きつつ、ウォレス卿に彼女は一つの依頼をする。


「……蛮国旗……聖ゲオルグ旗ですか」


 白地に赤十字、修道騎士団の隊旗に似ている気もするが気のせいだろう。


「はい。リリアルは副使として、先行してリンデに向かおうと考えております」

「……それは……何故でしょうか」


 彼女はこの機会に、連合王国の民がどのような考えを持っているのか知りたいと考えていた。今の女王は人気があるし、姉王は不人気であった。これは、宗派の違いと言うよりも、民に顔を向けているか否かの差でしかない。御神子教徒は未だ多数を占めるのが実情であり、原神子信徒は富裕な商人や都市住民の中に多く、聖職者の中にも『妻帯』を可能とする事から、神学者から聖職者に妻帯したままなる者が増えた結果であると言えるだろう。


 教会の腐敗は嘘ではなく、神学を研究する者であれば教皇庁より聖典を重視するのは当然だろう。つまり、学者出身の聖職者が増えれば原神子派の牧師や主教(司祭・司教に相当)が増えることになる。信仰心の問題ではなく、出自の問題に過ぎない。


 御神子教徒からすれば、教会の装飾を否定する原神子信徒は、余計なお世話であり、祭りに水を差す野暮天なのだから好かれるわけがない。聖歌隊を否定するとか、ありえないのだ。


「副使の乗る船であり、女王陛下の客であることを示す為です。王国旗・蛮国旗、そしてリリアルの紋章旗を掲げ、両国の親善を広めたいと考えているのです」

「なるほど、それは良い考えでしょう。枢密院に図り、女王陛下の裁可をいただけるように手配します」


 実際は、長く逗留するのが面倒である事にあるのだが、それはこの際明確に言わずとも良いだろう。


 これで、リリアル隊は王太子の主隊と別行動をすることが可能となった。この話は当然、王宮で事前に承認を取れている内容であり、ウォレス卿との打ち合わせで否定されるのであれば、宮中伯経由で王命を出して貰うところであった。


 王国の安定に大いに寄与するリリアルを、長期にわたり王国から遠ざけるのであるから、当然、何らかのメリットが無ければいくら女王陛下の招聘とはいえ、断るつもりであったからだ。


「女王陛下が喜ばれるような訪問にしたいと思います。是非、ウォレス卿にもご協力賜りたいのです」

「勿論です閣下」


 同床異夢、ウォレス卿と彼女は笑顔で挨拶をするのである。



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