第584話-1 彼女はゴブレットの手配を進める

「勝手に話を進めてしまって申し訳ありません」


 彼女は工房で老土夫に謝罪をしている。


「なに、役目上断れぬことくらい承知しておるよ。それに、シャリブル殿にも協力してもらえるのであれば、数は容易に揃う」


 弓銃鍛冶ではあるものの、シャリブルの腕は秀逸であり、ゴブレットを作るのに不足はないだろう。


「それより、魔鉛、聖別された銅はお前さんにしか作れんぞ」


 以前、エッセ郊外のオリヴィ鉱山(仮称)で、屑鉄から聖別された鉄を作り、工具を修繕したことがある。今回は『魔真鍮』いや『聖真鍮』の素材ととなる銅の精製から行う必要がある。


 とはいえ、王国内の鉱山は大山脈に近い場所か、王国南部の山地に散在している。わざわざ銅の採掘と精製に向かうには時間がない。


「あるだけ聖別して行ってもらおうか」

「よろしくお願いします」


 数日かけて銅の地金を集めることになるのだという。王国を離れるまで、彼女は暇を見つけては魔鉛と銅に自分の魔力を混ぜて『聖真鍮』を作ることになりそうだ。


「ワインを飲むゴブレットだな」

「意匠は姉と相談して決めたいと思います。販売するのは王太子殿下とそれに準ずる高位の貴族や富裕な商人になると思われます」

「なら、エールをあおるような大ぶりなものではないな」


 恐らく、姉なら「魔力で冷やせると良いよね」等と言い出しかねない。水と風の精霊を生かせれば、温度を奪い冷やせるように加工できるかもしれないが、それには精霊の『祝福』を得る必要がある。


 水の大精霊には心当たりがあるのだが、風には縁が今の所ない。故に、商材としては次回以降の制作になるだろうか。リリアル領の特産にできれば、水の大精霊に対する感謝の気持ちも高まり、彼の精霊の力も増す事になると思われる。


「十二個を一組として、十二組まずは用意するとしようか」

「……よろしくお願いします……」


 さて、何百脚、何千脚と作らねばならなくなるだろうか。とはいえ、リリアルと商会の利益になるのであれば吝かではないし、シャリブルの貢献が評価されるのも悪い事ではない。そう考え、自身を納得させる事にしたのである。





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




「いやぁ、ビックビジネスの香りがするよ妹ちゃん☆」


 鼻息荒く、姉がやってきた。正直、相手をするのが面倒くさい。


「王太子殿下御用達に成れるのですもの、精々頑張ってちょうだい」

「もちろん!! 全力で売り捌くよ!! まずは王都の夜会で、私と……」


 既に姉の頭の中では妄想……構想が積み上がっているようである。


「で、素材は真鍮だっけ? まあ、銀の偽物で錫を使うのが内海では

流行りだけれど、王都なら金に近い真鍮はありだよね。ゴージャスだし」

「そうね。でも、あまり金に近づけると、脆くなるのではないのかしら」


 亜鉛の配合を増やすと、黄色味は増すものの硬くなり脆くなるのが欠点なのだ。ある程度は歪んでも割れない程度の強度で納めた方が扱いやすいのではないだろうか。


「まあ、試作品を幾つか作って、実際使って試すしかないだろうね。傷が付きすぎるのも問題だしね」


 日常遣いならともかく、夜会などに使う食器であるから、あまり汚れや傷が付きやすいものはよろしくない。銀器は黒くなるので手入れが大変である。故に、代替品として錫が広く用いられているのだろう。



 姉が持ち込んだ試作品のベースとなるゴブレットは、高さが12cmほどの小振りなもので、中には100mⅬほどのワインが入るという。


「これでどのくらいの亜鉛を使っているのかしら」

「大体、250gくらいかな。重たすぎても疲れるけれど、軽すぎるのもね。剣もそうだけど、そこそこの重さは欲しいんだよね」


 薄く軽く作り過ぎるのも安っぽくなるので駄目なのだそうだ。


「大きさはこんなものよね」

「乾杯用だからね。一口で飲みきれない量だと駄目でしょう?」


 食前酒のような扱いのグラスだ。酒を好まないものも、最初の献杯は付き合うものである。これなら、晩餐や夜会の最初に必ず手に取る事になる。


「いいわね。デザイン的にも落ち着いていていいわ」

「この横の部分に王太子殿下の紋章と王家の紋章、足の裏にリリアルの工房の印を打つ感じだね」


 工房の印を作らなければならないのだが、リリアルの紋章をベースに少々加工すればよいだろうか。


「製作はリリアルの工房だけで大丈夫なのかな」

「数によるのだけれど、暫く新しい装備の更新もないでしょうし、工房としては稼働率が上がって問題ないみたい」

「魔導外輪に影響でないならいいんだけどね」


 魔導外輪船は、ニース海軍に王国の海軍旗艦、それに聖エゼルへと供給する必要がある。とはいえ、ゴブレットは魔装とは関係ない工房の職人で製作は可能であるし、老土夫の知人を応援に呼んでもよいかと考えている。


「じゃあ、デザインはこれで」

「王太子殿下に許可を求めるから、一旦預かってもいいかしら」

「はいはい。じゃあ、私が直接確認しようか? 御用達にご指名いただいたお礼も言わなきゃだしね」


 ということで、承認は姉に任せることにする。


 また、このゴブレットが貴族用の聖真鍮製の素材に加え、安価な平民向けの錫をベースとした素材のゴブレットも、貴族向けの需要が一巡した後に提供するのはどうかという話が出る。アンデッド除けとしての需要もあるのではないかというのだ。


「錫はあんまり王国内では産出されてないんだよね」

「確か、連合王国……元湖西王国の西端に大鉱山があると聞いているわ」

「そうそう。まあ、内海にも産地はあるけど、法国で錫食器は大人気でさ。割高になっているから、正直、聖真鍮製と差が無くなるかも知れないね」


 安価な金属と考えていたのだが、銅と混ぜれば青銅となり、また、融点が低く柔らかく加工しやすい金属として需要がある。また、錫製の容器は腐敗が進まなくなるので保存容器としての需要も高いのだという。


「海を挟んだレンヌの産地でも錫は見つかるんだけど、本格的な鉱山はほとんどないみたい。遺跡は残ってるんだけどね」


 可能であれば、『コボルド』や『土夫』の力を借りて国内で採掘できるのが良いだろう。帝国にも鉱山はあるのだが、これも法国に輸出され食器の素材となり、完成品が輸入されているのだそうだ。


「錫に関しては帰国後の課題かしらね」

「鉱山開発の件は王宮経由でレンヌ大公と相談して進めるべきだよね。王女殿下が降嫁して大公妃になるわけでしょ? 王国としても経済的に安定してもらった方が良いし、錫の自給は国防的にも必要だと思うよ」

「……国防ね……」


 連合王国において、その昔、枯黒病の流行以前においては多少の葡萄の生産ができたらしい。また、帝国においても修道院が生産していたのだが、気候が変わりいまでは葡萄が育たなくなった。しかし、ワイン自体は欲しいので、羊毛や錫を輸出し、その対価としてワインや木材などを輸入する。木々もかなり伐採してしまっており、国内で自給することも困難になりつつあるという。船の建造に使うような巨木が特にである。


「その辺りも交渉材料になるのかしらね」

「商人の分野だね。広く薄く、各方面から錫を買うようにしないと、足元見られちゃうからね」


 姉は、ニース商会から直接ではなく、支店のある街で別の商会や商業ギルドに少量ずつ発注をして徐々に買い貯めることにするつもりだそうだ。工房の生産量からして魔錫製に至るには少々時間がかかるだろう。


 錫九割銅一割の合金(蛮王錫)は真鍮の一種ともされるが、銀に似た色合いで白っぽい金属である。食器や花器などに利用される人気の金属で、銀食器の代わりとなる。とはいえ、庶民にとっては高価なものであり、『銀食器と比べて』安価というだけの話だ。


 大砲を作るのには青銅が利用されている。その原料は銅と錫であるから、戦略物資としての意味合いもある。国内で確保できるに越したことはないと言う点は間違いない。故に、レンヌで錫鉱山が開発できれば、王国にとっても良い効果があると二人は考えていた。



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