第546話-1 彼女は『バン・シー』と対峙する
先住民の伝承に残されている『妖精の女』、「
バン・シーとは泣き女の妖精とされ、家族に死者が出た時、死を悼み泣くとされる。時に、敵対する家に対してその死に対する勝利の感涙の場合もあるとか。
因果が転じて、バン・シーの叫びが聞こえたなら、その聞こえた家には近日、死者が出るとされることもある。死を迎える者は、『勇者』もしくは『聖人』と見做される者であり、シーがそう任じたという意味でもある。
北王国においては、家ごとにこの妖精がおり、故郷を離れた者に対してその親族の死を伝えることができるとされる。
姿は長い黒髪に緑の服、灰色のマントを着た女性の姿をしており、すさまじい声で泣き、熟睡している者も飛び起きるほどであるとする。
また、バン・シーの乳房を吸う者は願いをかなえるとされ、加護を与える精霊ともなる。
泣き女はこのバン・シーの人真似であるとされる。
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箱を破壊するか、説得するか、そのまま打ち倒すか。逃げだして、この場所を後日封印する事でも問題は解決するだろう。死者を悼むということ以外、特に悪さをするとも思えない。
倒れていた従騎士は、誰かにシーの居場所まで誘導され、あの声を聴いて卒倒した可能性もある。
『よく平気だな』
「竜の臭い息よりずっとましよ」
悪竜は、草木を枯らす程の毒の息を吐く。その口も相当臭いのだ。それと比べれば、精霊の泣き声などは可愛らしいものだ。耳は少々痛いが。
シーは既にいなくなった男のいた場所ではなく、今では彼女を見て大きな口を開き泣き叫んでいる。灰色のぼさぼさの髪、その顔に掛かるほどの前髪の隙間から、真っ赤な瞳が見て取れる。口元は乱杭歯が見えており、見目麗しい戦乙女の姿からは想像できない存在だ。
『竜の類も、悪竜と呼ばれるようになる前、精霊として人の信仰を集めていた頃なら、神々しい姿をしていたんだぜ』
長い年月を生き、精霊の力を体に取り込んだ、蛇や亀、蜥蜴や鰐が『竜』となる場合が多い。先ほどあった、『古の王女』の魂が、長い年月の間戦士の死を見送ることで美しい『戦乙女』の姿を得たという可能性は十分高い。
やがて、御神子教の広がりと、聖征や百年戦争が行われ、気高き戦士の導き手は、嘆くだけの行動をとる家精霊に格落ちしてしまったのかもしれない。
だが、それを元に戻す事は出来ない。竜のように、生き物であれば単純に討伐すればよいのだが、精霊の場合、どうすればよいのだろうか。死霊ならば魔力で弱らせ、最後は聖水なり彼女の魔力で浄化してしまえばその存在を消し去ることができるだろう。
『先ずは、弱らせる方向でだな』
「そうね、気が進まないけれど、攻撃しましょう」
魔力壁を六面に展開し、木箱を中心にその大きさを徐々に縮めていく。生身の生物なら、潰されてしまうようにだ。
KYAAAAAA……
髪を振り乱し、イヤイヤをするように首を大きく左右に振るシー。苦しい様子はないのだが、魔力壁で拘束され、圧縮されるのは不快に感じるらしい。とはいえ、レイスやワイトのように、彼女の魔力に触れてダメージを受け浄化されるような素振りは無いので、やはり、『精霊』としての存在なのだと思い至る。
「精霊は……そのまま箱に入れて封印したいわね」
『まあ、魔力で精霊の力を相殺して削れば、弱って箱の中に逃げ込むんじゃねぇの? その後は、魔装の紐か縄で縛って封印しちまえばいい』
『魔剣』は簡単に言ってくれるが、長く生きている精霊なのだろう、中々力を削ることができない。
『場所がわりぃ』
「どういうこと?」
この場所自体が、死者を弔う施設の一部であり、修道騎士団に従っていた騎士や従者・兵士の魂も希薄になりながらも相応に存在している。シーは恐らくその力も借りつつ、抵抗しているのではないかという。
『それとよ、嘆いてもらって……ここの住人も、なんだか喜んじまったみたいだな』
本来、ゴーストは数年を経ずして魂が希薄となり消えてしまう。また、この場所に葬られたものであれば、それほど無念や弑逆心を持つ魂もいないであろうと思われる。
とはいえ、シーに対する感謝の気持ちの希薄な集合体が寄り集まってきているようだ。
「では、その魂も含めて……浄化してしまいましょう」
彼女は魔法袋から、久しぶりに竪琴を取り出す。魔力壁をそのままに、彼女は朗々と聖歌の一節を歌い上げ始める。
その歌声により、シーの慟哭が小さくなり始める。
そして、今は失われた古の王国の大王に遣えた騎士『ロランド』の旅と戦いを歌った詩を奏で始める。これは、恐らく、聖征の時代においても人気のあった騎士道物語の主人公のお話の一節である。
王を逃がすために、サラセンの軍を迎え撃つ殿を受け持ったロランドとその仲間たち。サラセン軍を撃退することに成功するも、ロランドはその戦いの最中、討ち死にする。そして、その死を嘆くロランドを愛しまた彼が愛した女性。
『リリアル馘になっても、吟遊詩人で食えるな』
今時吟遊詩人はかなり消えつつある存在だ。まだ、冒険者の方が需要がある。
端的に言って食えない。
いつのまにかシーの慟哭は聞こえなくなり、彼女に向けていた恨みの籠った視線も優しげなものとなる。そして、その灰色の髪は黒くつややかなものとなり、血走った赤い眼は……ルビーのような輝きを持つそれとなる。
彼女はその姿が幼い頃のオリヴィがこんな感じであったのではないかと考えるに至る。オリヴィは夜間視の能力を発揮する時、瞳が赤く変わるのだ。
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