第520話-2  彼女は水妖と出会う

 それは、城塞都市のある丘の尾根伝いに遡った森の奥に存在する泉であった。距離は数㎞と離れていない。


「それでも……ここは……」

『精霊の森っぽいな。魔物の気配がねぇ』

『はい。おそらく、あの廃城塞を築いた君主一族が聖地として守っていた場所ではないかと思います』


『猫』の感触によると、水妖というよりも半精霊に近い存在ではないかと考えられるという。それ故に、魔物が寄り付かず安全地帯・聖域のような空気に満たされた森の一角に泉が存在することになる。


 ワスティンの森自体、さほど悪い空気を纏っているわけではないがどこかしら魔物の気配は存在する。それを感じないのは、精霊によって魔物が近寄らないためかもしれない。




 尾根を横切ると、川へと流れ込む泉の水の流れを発見する。廃城塞ではなく、別の方向から川へと流れ込んでいるようだ。


「この辺りから『土』魔術で地下に配管していけば、流せるのではないかしら」

『高低差的には大丈夫そうだな。あまり低い場所に水源があると、街まで流せねぇ。街の中をある程度個々の水が流れるようにして、最後に貯水できる場所に一旦貯めて、その後、水路に流れ込むようにすればいいだろうな』


 などと皮算用をしつつ、彼女は泉に到着した。


 泉の周りの木々もどこか清廉な空気を纏っている。


「……昼間は出てこないのかしら」

『そりゃ、幽霊だろ。精霊は関係ないぞ』

『姫、お出ましください』


 どうやら、妖精は『姫』と呼ばれているようだ。『猫』の掛け声を聞いた故か、泉の中央に波紋が広がり、やがて中から若い女性の姿をした妖精が現れる。


 その姿は、古の帝国時代の貴族の女性のように見える。『キトン』かあるいはそれに類する着丈の長いワンピース。二枚の布を左右のボタンのようなもので留め、更に一枚の布を外套のように斜めに巻き付ける。


『……こんにちは』

「こんにちは、泉の女神様」


 彼女は、精霊信仰の時代に倣って目の前の精霊を『女神様』と呼ぶ事にした。


『……女神ではありんせん。でありんすが、主さん方の敬意は受止めんしょう』


 今の言葉とは少し異なるが、意味は理解できる。彼女は突然の訪問をお詫びした上で、話を聞く機会を与えていただいたことに感謝の意を示す。『泉の女神』は、久しぶりの会話だから楽しいので気にするなという。


『人の世は今どうなっているのでありんしょうか』


 枯黒病の流行が収まり、この辺りでは百年ほど戦争の気配がないという事を伝える。しかしながら、ここから近い場所に住んでいた者たちはいずこかへ去ってしまい、いまはこの森に人の住む集落が無い事を伝える。


『そうでありんしたか。それは誰もこねえはずでありんすね』


 はぁ、と可愛らしい溜息をつき『泉の女神』様は今の状況を理解する。彼女は、この森を領地として国王陛下から賜ったのが自分であり、森から魔物を排除し、廃された城塞を整備し森を切り開き人が住めるようにしたいと説明する。『泉の女神』はやや困ったような顔をする。


「森を全て切り開くのではありません。また、この少し先に川と川を繋ぐ運河を築くので、人の出入りが増えると思いますが、森を荒らすような者は、領主として取り締まるつもりです」


 森に勝手に入り、木を切り出したり狩猟をする行為は禁じられている。今までは魔物が好き勝手にしている分、森は荒れていたというのが実情だろう。


『それなら、人がまた戻ってくるという事でありんすね』

「はい。そうなると思います」

『一人は寂しいものでありんす。あちきを祀ってもらえんすか?』


 彼女は、今の世が『御神子教』という一人の神様を祀る宗教が王国を占めており、異教の神様を表立って祀ることは出来ないという説明をする。

なので、一つの提案をする。


「『聖女』でもよろしいでしょうか」

『聖女とは何でありんしょう?』


 彼女は、御神子教の聖女について簡単に説明する。しかし、実際は、その地で祀られていた女神様を『聖女』として祀っている例もあるのだと。


『方便でありんすね。わかりんした、それでかまいんせん』


 そこで彼女は、『泉の女神』の名を聞く事にした。したのだが……


『名前は特にありんせん』


 それはそうだろう。人が精霊を何と呼んでいたかである。


「以前、あなたはなんと人に呼ばれておりましたでしょうか」

『そうでありんすね、たしか……ブレリア……と呼ばれておりんしたわ』


 そこで、彼女は街の守護聖人として『聖女ブレリア』を祀ることにすると約束するのである。


 こうして『泉の女神 ブレリア』から許可を貰い、彼女は彼女の創るであろう新しい街に水を引き込むことができるようになったのだ。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




「そう、街の名前が決まって良かったわね」


 ワスティンの森での出来事、城塞の討伐、そして泉の女神の話をリリアルに戻り一通り話をすると、彼女は伯姪にそう言われた。


「……街の名前?」

「ええ、だって守護聖人は聖女ブレリアなのでしょう? ならば、街の名前もそれにちなんで『ブレリア』にするとよいと思うのよ」


 彼女はなるほどと納得する。これならば、祭りを開いたり感謝する言葉を述べたとしても『異端』扱いされる事もないだろう。


 彼女は出来るだけ早く、リリアル生を連れて廃城塞の片付けと修復、

それに、『ブレリア』様へのご挨拶を済ませたいと考えていた。


「それはいい考えだと思うよ妹ちゃん。やっぱり『泉の女神様』をお祀りするお祭りが必要だからね」


 最近よくチョロチョロしている姉が口を挟む。彼女もそれは同意する。


「廃城塞も入口と崩れた外壁を補修して、中に魔物が入り込まないよう早急に対処するべきだと思うのよね」

「それと、廃城塞までに道をつけるほうがいいね。ちっちゃい子を歩かせるのも面倒だし。道ができれば、討伐も進めやすくなるんじゃないかしら」


 修練場に入る道から運河の開削予定地に向けて獣道が多少良くなった程度の街道とは呼べない程度の道が存在している。とはいえ、廃城塞までは今回多少彼女が整地したとはいえ、その道から引き込んだ脇道を整備する必要がある。


「あれだね、真直ぐだと突進されやすくなるから」

「少しS字のようにして、要所要所で足止めしやすいように工夫するのでしょう?」


 直線路は軍道などでは、移動速度を上げるために有効だが、それは魔物にもいえることである。また、見通しが良いという事は、攻められる際に相手に遠くから発見される事になるので避けた方が良い。


「それにしても、街の名前が決まって良かったね。ちょっと残念だけど」


 姉の言葉の意味が解せなかった彼女をみて、伯姪が話を繋げる。


「そうでないと、あなたの街には『アリエル』と名前が付いたと思うわよ」


 そうであった。彼女が領主を務める街に「アリエル」等と名前が付けば、ただでさえ胡乱な今の状態が、「聖地巡礼」などと言い出す輩が現れ、やがて『アリエルグッズ』などを土産物で売り出すどこかの商会頭夫人などが湧いてくるだろうと容易に想像ができた。


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