第513話-1 彼女は王太子殿下の手紙を受け取る
「なにかしら」
「さて、厄介な用事じゃなきゃいいけどね」
南都からの手紙。差出人は百合とイルカの紋章……王太子殿下である。彼女と伯姪は嫌な予感がしていた。
「イルカの君ではありませんか閣下」
「ふふふ、確かに、イルカはいたずら者だと聞くけれど」
「そうそう、船に並んで泳いだり、わざと横切ったりするわね。意外と性格悪いわよあいつら」
ニース家では舟遊びもよくするので、イルカと出会う機会も少なくないのだろう。
王国の王太子は『ドファン』という称号を持つ。百年戦争の時代、後嗣の絶えた伯爵領を王家は購入し、ニース領に近い場所で戦場から離れているということから、王太子を守るための所領とされた事に端を発する。
南都から近く、ノーブル伯領に隣接した場所でもある。一時、ノーブルがドファン伯領の領都であった時代もあるという。
「イルカ様からどんな用事なのよ」
「どうやら、王太子宮の調査を依頼したいみたいなの」
「……まあ、いいじゃない? リリアルの塔の参考にもなるでしょうから、機会は生かしたいものね」
王太子宮は、元は『修道騎士団王都管区本部』の在った城塞を接収したものである。
周囲1,000m、厚さ4mの城壁に20の防御円塔が接続されており、旧街壁より堅牢な構造。五角形に近い構造をしている。
尊厳王時代の旧王都城壁の外にあった城塞だが、現在では王都の北の要衝の一つとなっている。以前は、王都で最も高い五階建ての大塔を有している。五十年程前、これを越える王家の教会の塔が建てられたので、今は二番目である。
「かなり広いのよね」
「王太子宮は問題ないでしょう。今封鎖されている納骨堂か大塔の調査でしょうね」
王太子宮となったとはいえ、一個の独立した要塞であることは否めない。城館に関しては王太子宮となった際に改装され王宮に準じた内装に変更されているものの、元は『管区本部長邸』である。
「さて、内容を確認してみましょう」
彼女は、王太子からの手紙の内容に一通り目を通し、深く溜息をついた。
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手紙を渡された伯姪も目を通す。しばしの瞑目。
「これって、私たちが行うべき事なのかしら?」
「べきか否かで言えば『否』ね」
王太子の要望は、王太子宮に入り込んでいる、他国の諜報員の炙りだしであった。
現在、南都に拠点を移している王太子は、その側近のほとんどを帯同している。結果、留守居を務めるものは、幼少の頃から近侍していた年配の……要は隠居枠の者たちなのである。
「お爺様と同年代ね。先王陛下の近侍の中で、王太子の扶育役として
宛がわれた者たちね」
国王陛下は、政治的に有用な側近は先王から引き継いだが、身分や功績はあれど、現実の役に立たないものを選別し、王太子の弾避けとして王太子宮付きとして配置したのだろう。
実際、数年前までは、王太子に対して物申す場合、側近の先王近侍の者たちに喧嘩を売る形になるため、かなり遠慮されていたことは事実だ。古いこと、隠された事実に関して、先王の側近である者たちは良く知っており、いたくない腹を探られるのではと警戒した貴族たちは、王太子殿下の行動に余計な口出しをする事は無かったのだ。
とはいえ、新しき酒は新しき革袋に……という古帝国時代からの格言もある。新しい王太子領の改革には、自ら選んだ側近たちを引き連れる事を選び、年を取り新しい環境に慣れる事も大変な老臣たちは、王都の留守居として留め置く事にしたのだ。
しかしながら、何故、その者たちが連合王国の人間との関わりをもつことになるのだろうか。
「簡単に言えば、老臣たちの懐古主義故ね」
老臣が子供の頃、連合王国には王国の王女殿下の孫である『祖父王』が存在した。連合王国の内乱を収め、政治家としては優秀であったが、父王・現在の女王陛下同様、情け容赦のない統治者でもあった。
これは、権力基盤が脆く、強い王でなければならなかったという面もあるが、恐らく、一族の性格という面もあるだろう。
とはいえ、今のように王国と揉める事を避けていた時期でもあった。王国は帝国皇帝と法国で戦争を行っており、王国とは「再従兄弟同士」ということをアピールし、積極的に融和策を取っていたという事もある。
また、息子には神国の王女を迎え、自分たちの王権を安定させるために様々な外交政策を展開していた。
この時期、連合王国と誼を通じた先王の側近たちは、良い意味でも悪い意味でも、連合王国びいきとなっているのである。
「王家の厄介ごとの後始末を押付けられたのね」
「リリアルの塔の対価だとでも思えば、いいのかしら。王都で最も重厚な城塞を中に入って調べることができる大義名分を得たと思えば悪くない依頼だと思うの」
『まあ、そう言わねぇとやってらんねぇよな実際』
『魔剣』の言う通りである。とにかく、リリアルが王太子宮に出入りしているという事実だけで、連合王国に与する連中には牽制になるであろうし、何か後ろ暗い工作を行っているのであれば、止めるか排除しようと彼女たちに接触してくるはずである。
そして、害するような行動に出るのであれば、一網打尽にするということを王太子殿下は望んでいるのだろう。
「貸し一つね」
「どんどん溜まっていくわね。更に陞爵か、領地の加増か」
「かこつけて、面倒ごとを押付けられるだけよ。はぁ、隠居したいわ」
最近思うのは、結婚する為には隠居しなければならないのではということである。爵位返上して、一度修道院でも入れば良いのだろうかと、思いつめないでもない。
「ははは、ナイスジョーク」
「ジョークではなく本気よ」
「わかるわ。でも、リリアルの子達のこと、放置できないでしょ? あなたの性格からして」
一期生は勿論のこと、新しい子供たちの成長もとても楽しみなのだ。リリアルが嫌いなわけではなく、仕事を押付けてくる……王家が嫌なのである。
とはいえ、王家あってのリリアルなので、この関係を覆すわけにもいかない。
「王太子宮への入城許可を正式に王宮から頂かなければね」
「どうせ手配済みよ。そういうところ、きっちりしているから」
伯姪はその後に続くであろう「あの腹黒」という言葉を飲み込んだ。
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