第454話-1 彼女は『ドワーニュ』へ向かう
姉に『ガルム』を押し付け、彼女は『猫』の戻りを待ち報告を聞くことになる。街は既に朝の仕事を始めているが、戦場ではまだ野営の片付けをして戦列を整えている時間だろう。特殊な戦い方でない限り、教会の鐘の音よろしく、戦場でも準備が整わない体制のまま突然開戦をすることはない。
恐らく、後二時間程度は余裕があるはずである。
『主、戻りました』
「お疲れ様、早速で申し訳ないのだけど、戦場の状況を教えてちょうだい」
『猫』曰く、オラン公がロックシェルに向かう為には一つの川を渡る必要があるのだが、その川を渡河するタイミングを、総督府軍は待っているようだというのだ。
『オラン公が精鋭部隊を先に渡河させ、渡河点の守備を委ねておりますが、ある程度渡河をさせた後、前後を分断し、後方の遠征軍を殲滅するつもりなのではないかと考えられます』
「なら、先頭を行くオラン公の直衛は問題ないという事ね」
反乱続きのオラン公軍は、正面切って総督府軍と戦いをする余力がないのかもしれない。ロックシェルに向かうか、リジェに向かうかの分岐である渡河点に総督府軍が迫っているのだろう。今なら、前衛だけでもリジェ方面に離脱できるかもしれない。
とはいえ、全面衝突よりもオラン公が討ちとられる確率は低くなるだろう。ルイダンも問題なさそうである。
『……ダンボア卿なのですが、かなり草臥れております』
「仕方ないでしょう。近衛は野営などしないし、宿泊先も相応の宿を確保して遠征しますから。移動よりも、野営する方が何倍も疲れるという事を彼ら近衛は体感していないのだから当然ね」
個人的には、遠征演習で近衛が野営経験をしないのは、今後の王国軍を指揮する立場になるとすれば大きな問題になるだろう。貴族の将軍は、移動する宮廷さながらの幕舎を自前で用意し持ち運ぶのがステイタスのようなのだが、暖衣飽食している身で兵の消耗を理解することは出来ないと思うのだ。
「騎士学校の近衛優遇の演習は百害あって一利なしと報告して、至急改善しなければならないわね」
雨天や厳寒期の野営も経験する必要があるかも知れないと彼女は考えるのである。
渡河点のある場所には『ドワーニュ』という村がある。そこが目的地となる。恐らく、ここに本営を置き遠征軍の指揮を執っているはずなのだ。
「既に総督府軍の攻撃が始まっている可能性もあるのでは?」
それぞれ騎乗し、リジェから北へと向かう彼女と灰目藍髪に『ゼン』。その質問に、彼女は『砲声がしないのでそれはないでしょう』と端的に答える。
ネデル総督府軍は、銃以外にも大砲を野戦で頻繁に用いる。故に、この時点で遠雷のような砲声が聞こえてもおかしくないのだ。
総督府軍は神国のカラーである赤と黄色を用いているので、彼女は敵味方を識別できるように、リリアルカラーの空色のサーコートを纏っている。盾を用いたり、幟を用いればそこにはリリアルの紋章の入った旗がたなびく事になるが、今はそのような装備は用いない。
街道を進む三騎を、農民らしきシルエットが遠くから眺めている姿がちらほら見て取れる。軍が移動するのであれば、その後村を襲う事があるので、逃散する準備でもして警戒しているのであろう。勝手知ったる山野に、ばらばらと傭兵が逃げ込めば、敗残兵狩りよろしく農民が傭兵達を殺して回る事になる。
そういう意味でも、姿を隠して潜む事には意味がある。
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端的に言えば、川が屈曲する場所であり、街道がT字型に交差する場所が『ドワーニュ』であった。西にロックシェル、東にマストリカ、南にリジェへ向かう道が伸びている。
『弛緩しているというか……疲れてんのかこいつら』
野営をしつつ街道の両サイドに待機するオラン公の軍。渡河点を守る部隊だろうか。遠征開始からそれなりに時間が経過し、疲労の色はかなり濃くなっている。元々別れて行軍してきたので把握していなかったが、あまり良い状態とは思えない。
『魔剣』の言葉ももっともだ。秋も半ばを過ぎ、日のない時間帯はかなり冷え込む。夜露にも濡れるであろうし、着たきりの衣服は汚れも激しくなっている。食事も保存食に毛が生えた程度のものを一月程度食べている事を考えると、マストリカ・ロックシェルから出撃した総督府軍と比較し、疲労度はかなり大きいと言える。
「遠征は……やはり困難を伴うわね」
『守る方はある程度待っている間は家にいるのと変わらないが、攻める方は何日も野外生活だからな。そりゃ、疲労も重くなるだろうさ』
ニ三日なら野営をする事も厭わない彼女だが、並の速度での行軍なら半月一ケ月は大した期間ではない。半年、一年と野営し続ける事もあり得るのだからやはり遠征は大変なのである。
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