第454話-2 彼女は『ドワーニュ』へ向かう

 顔を見知っていたオラン公に近侍する騎士を見かけたので、本営までの案内を依頼する。怪我や病気はないと思われるが、やはりディルブルクで見た時と比べれば大いに疲労しているように見える。この分では、公も同じであろう。


 本営の周りは流石に弛緩してはいなかったが、その分疲労の色は濃い。リリアル男爵の来訪を告げる声が響き、彼女たちは奥へと通される。予想に違わず、疲労困憊のオラン公主従と、観戦武官であるルイダンの姿が見て取れる。


「おお、リリアル男爵か。無事で何よりだ」

「閣下もご壮健なようで安心いたしました」


 許可を取り近くによると、彼女は小声で公女殿下の安否について話す事にした。


「先ほど別れてまいりました。我が姉と私どもの供とリジェの司教宮殿に滞在しております」

「……そうか。いや、あなたにも、姉君にも大変世話になった」


 険しい顔が一瞬和らぐ。優しい父親の顔となったものの、その直後には元の表情へと戻る。


「魔物の方はどうなっているだろうか」


 彼女は、調査した範囲において今回対峙するネデル総督府軍にノインテーターや吸血鬼は存在しないこと、リジェの南にある拠点を討伐し、ノインテーター四体とその護衛兼監視役の魔剣士三人を討取ったことを説明する。


「それは何よりだ」

「安心しました……」


 近侍する騎士も思わず口に出てしまう。流石に領内で迎え撃つ軍に、不死者が混ざっているというのは醜聞だからであろうか。ネデル総督府周辺も慮ったのだろう。


 リジェを包囲した遠征軍に参加した諸侯軍が雲散霧消した件、その野営地にそれなりの資材が残されていることを伝える。


「ムーズ川を遡り王国へと向かうに当たって、よい補給場所になればいいのだが」

「今のところ、リジェはこの騒乱が落ち着くまで街への出入りを禁じております。そのままで接収できると思います」

「あとは、どうこの戦いを切り上げるかなのだが。難しい」


 まともに戦えば大変なことになりそうなのだが、既に、川を挟んで傭兵の主力は渡河前の地点で集結し少しずつ渡らせているのだが、恐らく、今日明日には総督府軍から攻撃を受ける事になるだろうというのである。


「指揮はどうするのですか?」

「各部隊の傭兵隊長に一任するつもりだ。我々が引けば、即座に後衛の部隊は総督府軍から半包囲されて殲滅されるだろう。故に、この場で戦力を維持しているのだよ」


 渡河の途中で全ての戦力を圧倒するには総督府軍は数が足らないと考え、ロックシェル方面を別動隊で封鎖し、東と川の対岸の南側に部隊を展開させ、先ずは銃と大砲の射撃で遠征軍の後衛を攻撃する様子なのだという。


 前衛がこの場に留まっているので、攻撃が先延ばしされているのではないかと考えられている。とはいえ、即応できる状態ではないのは、見ればわかるのだが。




 そして、彼女は一旦幕舎を離れ、外に出る事にする。そこに、ルイダンがやってきた。随分と髭も乱れている。


「大変だったみたいね」

「ああ、こんなに野営がしんどいとはな。リリアルの野営は宿屋と変わらなかったから油断していた」


 地面に毛布にくるまりそのまま寝る事もしばしばであり、朝露に濡れ、その冷たさで目が醒めるのは当たり前であるという。予想通り、温かい食事は一日一度が限界であり、朝昼は水と硬いパンだけだという。それもましなのだと、傭兵達から耳にしたという。


「堅いパンは、水につけてふやかして食うんだよ」

「それは貧民の間では常識です。パンと水のみに生きるにあらずですから」


 何を当たり前のことをとばかりに、灰目藍髪がルイダンを冷たい視線で見つめる。方や曲がりなりにも貴族の子供として育てられた男、方や騎士の私生児で最初に父、のちに母にも見捨てられ孤児となった少女。貧民の常識は貴族にとっては非常識だというだけなのだが。


「とにかく、あなたの仕事は無事に王弟殿下とオラン公を引き合わせることですから。これからが大切ですよ」

「わかってる。いざとなったら、轡を引いてでも一緒に逃げる。そのくらいのつもりだ」


 アンゲラ城で待機しているであろう王弟殿下に無事引き合わせるには、まだ危険な橋を幾つも渡らねばならない。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 すると、大きな砲声が立て続けに聞こえてくるようになる。どうやら、総督府軍の後衛への攻撃が始まったようである。オラン公はこのままリジェ方面に後退するか、判断待ちとなるだろうか。


「ダンボア卿、私たちは戦場を確認してきます」

「……リリアルなら問題ないと思うが、気をつけてな」


 ルイダンは苦労してちょっと人の心が持てるようになったようである。もしくは、見ず知らずの他人と殺し合う戦場において、味方に対する親愛の情が深まる傾向の結果かもしれない。


 しかし、『ゼン』と灰目藍髪は彼女の発言に少々驚いたようである。戦場はそれほど遠いわけではない。近寄れば危険ではないかという思いがある。


「大丈夫でしょうか」

「大丈夫ではないでしょうが、ここにきて観戦しないのは後で後悔するのではないかしらね」

「「……」」


 銃の射程距離は精々200m、馬の全力疾走ならニ三秒で射程外に逃げ出すことができる。相手は戦列を組んで移動しているのであるから、側面や後方に少数の騎兵が偵察然と現れたとしても、相手をするのは同様の軽装騎兵でしかない。気を付けるとするのであれば、軽装騎兵との遭遇戦である。


「大丈夫よ。魔装の馬鎧もあるのだから、接敵した場合、魔力を流して一目散にリジェに逃げましょう」

「「はい!!」」


 彼女を前衛、中ほどに灰目藍髪、これは槍銃を装備した状態、そして、後衛は『ゼン』となる。単縦列となり、ゆっくりと木がまばらに生える林間を抜け、砲声のする方向へと進んでいくのであった。





 川を挟んだ対岸から、数門の大砲がオラン公の傭兵の野営地に向け射撃を開始している。大砲の場合、射程は凡そ数百メートルから二千メートル程度。直線を跳ねるように鉄の塊が転がっていくので、密集している場合、十数人の負傷者が出る場合も少なくない。


 発射速度は数分に一発程度だが、おそらく、十門程度を代わるがわる打ち込んでいるので、撃ち込まれたオラン公遠征軍の後衛は大混乱となっていた。そして、その後衛の東から、槍と銃で武装した恐らく中隊規模の集団が固まって進んできている。中央に銃兵を多めにした部隊。その両サイドを旧来の槍中心の部隊が配置されているのだろう。


 何故わかるかというと、中央の部隊だけが白煙でもうもうと覆われるほどの射撃を行っているからである。


『あの煙、煙幕みたいだな』


 一斉射撃で兵士の姿が見えにくくなり、その隙に槍兵が前進するということを繰り返しているようである。


 オラン公軍からも散発的に射撃音が聞こえてくるものの、大して反撃の効果は発生していないように見て取れる。


「戦いは数ですね」

「この場合、数で戦えるように戦場を選ばされた側に問題があるのではないかしら」


 遠征軍の目的が、ロックシェルへの遠征であるとするならば、もう少しやりようはあったのではないかと思われる。陽動部隊を置き、ロックシェルから戦力を引き離すように工夫するとかである。


 とはいうものの、信頼できる指揮官がおらず、オラン公が一塊となり指揮する以外、まともに対応できなかったのだろう。本来、北部遠征はその意図で為されたのであるが、ルイを失い、その後、総督府軍の増援と戦い北部遠征軍は潰走する結果となった。


 時期的にあと二ケ月粘れれば南部遠征に神国将軍にして、ネデル総督であるバレス公が対応できなかった可能性がある。それをさせなかった、バレス公の軍事的能力が優秀であったという事であろうか。




 一団となって前進するわけではなく、それぞれの中隊単位で前進を交互に進めるなど、どちらかというと神国軍の動きは、古の帝国の『百人隊』に近いように見て取れる。


『そもそも、今の中隊ってのは百人隊みたいなもんだからな』


『魔剣』の言う通り、王国の騎士団も運用単位は『中隊』を基にしており、その数は百名前後である。一人の指揮官の目の届く範囲がこの程度ということであろうか。神国軍は、銃兵と槍兵でそれぞれ半々といった組み合わせをしているので、実際は、百人の槍兵と百人の銃兵といった二個中隊規模で一個中隊としているのだろう。


 それ以前の部隊が三千人程度の「連隊」が運用単位であった事を考えると、銃による戦闘力の向上、規模を中隊に分割したことによる縦深の確保など、戦術的な柔軟性の向上が見て取れる。


「神国兵の練度が高いからでしょうか」

「一団に固まらず、有機的に前線を動かしている感じがしますね。押せば引く引かば押すといった感じで、兵を前後させながら圧力を上手にかけ続けています。それも、銃を利用して一方的に。削られますね、精神も肉体も。これは恐ろしい」


 彼女は、これは今の時代に合った『モード・アングル』=ロングボウ戦術であると考えた。ロングボウも守備的な装備であり、堅牢な陣地に籠り、一方的に射撃を行うことで勝利する連合王国が得意とした戦術である。


 その場合、相手はその陣地を攻めねばならないと思わせなければ成り立たない戦い方となる。野戦築城が必要であり、少数で多数を相手にする決意が重要でもある。百年戦争で、散々に王国の騎士が討取られた戦術でもある。


 この時代、連合王国が貧しく、王国に『騎行』という名の略奪に来ていた側面がある。常に少数であり、王国の数倍の戦力と多くの騎士と戦う必要があった。その為、ロングボウという特殊な強弓を用いて遠距離から一方的に攻撃することに拘った。でなければ、同質の戦力なら勝ち目は全くなかったからだ。


 連合王国に王国がされたことを、今、帝国傭兵はネデル総督府軍に為されているのである。


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