第440話-2 彼女は『オルロック』と遭遇する

 魔力走査を行い、周囲に強力な魔力を持つ存在が消えたことを確認し、彼女は火を放ち続ける赤目銀髪と合流。一先ず、リジェの街に帰還することを伝える。


「さっきの、なに?」

「恐らくは、吸血鬼の親玉。オルロックと名乗ったわ」

「……血腥い化け物だった……」


 赤目銀髪は、彼女以上に目も耳も、そして鼻も効く。血腥い、そういう匂いがオルロックからして気になっていたという。


「他の吸血鬼もそうだったのかしら」

「……少し。でも、さっきのは……別格……魔物としての規格が」


 隷属種や従属種の吸血鬼を聖都で討伐した経験のある二人からしても、先ほどのオルロックは異質感のあるそれであった。討伐した吸血鬼は「成りたて」であったこともあり、人間離れしてはいても人間らしさを残していた。


 ノイン・テーターもそうである。力を得て驕りがあったが、感情としての人間らしさはそれなりに残されていた。だが、オルロックに感じたそれは、人間というより、人間の形を真似した何かに思えた。


『あれだ、精霊に近いのかもな』

「……なるほど。長く生きているからこそ、感じ方考え方が変わってしまっていることから来る違和感かしらね」


 騒がしくなる野営地からリジェに向かいつつ、彼女と赤目銀髪は、出会った異形のものについて考えることになった。


『その娘も、ただの人間じゃねぇぞ。気が付いているかもしれねぇが』


『魔剣』の示すその娘……赤目銀髪も少々浮世離れしているが、父親は猟師、母親については全く知らないのである。これは、本人にも記憶がなく、父親からも具体的に何か教わった記憶がないという。


 生まれ故郷から王都の孤児院に来たのは七歳の頃。理由は、父親の死。父親は流れの猟師であり、村人ではなく仕事を請負う関係であったという。村人も最初から母親はいなかったという。いたのなら、孤児院に預ける前に消息なり、子の父親が死んだことなりを伝えたはずなのだ。


「今は良い。目の前のことが大切」

「ええそうね。その通りね」


 空の端が明るくなり始める頃、彼女たちはリジェの街へと戻るのである。




 一先ず、歩人と『ゼン』の帰還を確認し一安心する。姉たちに確認すると、リジェの街にも特に変化はないという。


「そう、こちらは何事も無かったのね」

「ん? そっちは何があったのさ妹ちゃん」


 場所を変えましょうと言い、周囲にリジェの衛兵がいる状態で話すべきではないと判断した彼女は、司教宮殿の与えられた部屋へと戻ることにした。


 一先ず、身ぎれいな格好に着替える。朝から風呂はどうかと思っていたが……


「閣下、湯が沸いております」

「ありがとうございます」


 朝からパン焼窯を使用したため、風呂が使用できるという。贅沢なことに、蒸し風呂ではなくバスタブのある古帝国式の浴場をリジェ司教宮殿は整えていた。


「そういえば、エクスAixの街ってこの近くだもんね」


 姉が、いわゆる「温泉」「公衆浴場」といった言葉の今風の言い回しの語源となった歴史ある街の名をあげる。確かに南ネデルにある街であり、その昔、赤髭帝あたりが常在したとされる。


 今でも、保養地として有名な場所であるが……戦禍にあっていないと良いのだが。


「ひとっぷろ浴びようか!」


 姉が先頭を切って浴場へと進んでいく。仕切りたがりな姉であるが、こんな時はその存在が少々ありがたい。




 体を洗い、湯船に入る。ついでに、髪もゆっくり洗った。


「妹ちゃん、いつの間にか髪が短くなってたんだね。駄目だよ、貴族の娘が髪の毛短くすると。まるで修道女みたいじゃない!!」


 その通りである。とは言え、市井の女性はそれほど長くはない。働かずとも良く、長い髪を保てるほどの身分であることを示す為に、貴族の女性は髪を伸ばすということもある。


 長い髪を維持できるほど、人を使えるのだと夫が世間に自らの財力を示す為の見栄でもある。


「姉さんは良いのよ。私は、貴族の娘である以前に騎士なのよ」

「よよよ……まあ、聖騎士の妻としてはその辺り分かるけどね」


 聖騎士が妻帯して良いのかというのもあるのだが、修道騎士ではないのでセーフという解釈である。司祭と牧師みたいな関係だろうか。


 彼女は皆が湯船に入ったのを確認し、逆上せる前に端的に今日の出来事を話す事にした。


「今日の襲撃時、恐らく高位の吸血鬼と接触しました」

「「「「高位吸血鬼!!」」」」

「そ、結構やばい奴」

「「「「やばい奴……」」」」


 彼女と赤目銀髪以外が声を揃える。幸い、公女とアンネは就寝中であり、女性用の風呂での会話を教会の司祭たちが耳にする事もないので、ここで密談する事にした。音が響かないように、魔力壁を展開、防音にも配慮する。


「やばいんじゃないの」

「ええ。人間やめて相当経っていると思うわ。精霊みたいな雰囲気よ。それも、悪い精霊ね」


 彼女の周りにいる精霊は、半精霊の『魔剣』『猫』の他に、御神子様が生きている時代に既に精霊であったと思われるオリヴィの相棒のイーフリートが存在する。これらは、『悪い』精霊とは言えない。人間に危害を与えようとする存在ではないという意味でである。


「ちょいわる吸血鬼とか?」

「チョイどころではないわ。レイスやワイト以上の悪意を感じたのよ。でも、見た目は普通の中年男性よ」

「ちょっと寂しい系」


 どこが寂しかったかは言わないが、雰囲気はヤサグレた姉の夫を老けさせたような男である。胸や手足はギャランであったと思われるが。


「そんなのと、夜中ばったり会ったら、お姉ちゃんお漏らしする気がするよ。あ、だから……」

「関係ないわよ。それほど恐ろしいとは思わなかったの。顔を見て挨拶しておくと……言っていたわ」

「「「挨拶……偉い人だから……」」」


 彼女は激しく否定する。高位の吸血鬼が挨拶に来るやばい奴扱いは止めろ!! と内心激しく否定する。


「色々王国で仕掛けた事と、それが阻止されたことに対する嫌味、牽制の類いだと思うの。でも、それが腹立たしいというわけではなく……楽しんでいる雰囲気だったのよ」


 ライバルとは言わないが、カトリナが時折彼女に向けてくる感情の波動に似ていたと思うのだ。結婚が決まって、ライバル視されなくなりつつあるのだが。


「ふーん……あのさ、名前は名乗ったのかな?」


 姉の質問に、彼女は『オルロック』と名乗ったことを伝える。姉はその場では聞き覚えのない名前であったため、後日改めて調べて、わかり次第教えると言う。


「オラン公かヴィーちゃんか……ワインおじさんかな」


 ワインおじさんとは『伯爵』のことである。魔物に関していえば、オリヴィか『伯爵』であろうか。但し、貴族社会に紛れ込んでいるのであれば、オラン公も面識ある可能性も考えられる。


「今日明日に仕掛けてくる様子ではないのですね」

「そうね。今回の遠征には関係なさそうであったわ。野営地に居たのも、私たちが襲撃するだろうと思って待ち構えていたみたい」

「ああ。吸血鬼は川を渡れないから、リジェの市街には入り込めないもんね」


 水路で囲まれた都市は、橋を跳ね上げてしまったために、吸血鬼が越える事が出来ない状態なのである。彼女がリジェにいると知っていても、自ら街中に入ることができない故に、野営地で待ち構えていたと考えるのが妥当だろう。


「野営地の糧秣は粗方始末できたんでしょ?」

「ええ。すべて燃やすことは出来なかったでしょうが、水や土を被った食料を食べるわけにはいかないでしょうし、消火に水を使ったのだから、水の確保にも難儀すると思うわ。後は、警戒部隊を除いてオラン公の後を追うと思うの。凡その任務完了ね」


 二日続けての夜討ちは流石に美容に良くない。姉は終始眠たげである。


「今日はこの後お休みだね。昼ご飯まで爆睡しよう!」

「ええ、そのようにお願いしておくわ」


 寝る前に軽い食事を頂き、皆が仕事を始める頃、彼女たちは眠りについたのだった。


 しかしながら、昼過ぎに起きた時、リジェの街は再び騒然としていた。理由は……オラン公軍が渡河しロックシェルに向け軍を進めているという。その途上で、リジェ司教領の街に、軍資金金貨二万枚を支払うように使者を派遣してきたという。


 支払わなければ、街を攻め滅ぼすというのである。危急を告げる街の住人がリジェ司教宮殿に現れたのであった。



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