第440話-1 彼女は『オルロック』と遭遇する

 『讃課』の鐘は、職人商人が起床する鐘である。この次の鐘である『一時課』から仕事を始める。その時間はほぼ日の出の時間に相当する。


 つまり、その前の時間である『讃課』は真夜中に限りなく近い。真っ暗である。


「姉さん」

「何かな、妹ちゃん」

「いつものアレなのだけれど……」


 姉の『大魔炎』を打ち出す際、姉は頭上高く炎を形成するのだが、それでは警戒している哨戒兵に感づかれてしまう。


「街壁の内側で形成して、低い高さを飛ばしてちょうだい」

「難易度上げるね」

「もしかして、できないのかしら」

「そんなわけないじゃない!! ちょちょいのちょいだよ!!」


 姉、掌コロコロである。


 今回のターゲットは人間ではなく、糧秣を焼き払う事にある。故に、天幕は無視をし、荷駄の乗った馬車や酒保商人の野営地を目標にする。傭兵の後をついて回って泥棒の上前を跳ねるだけの簡単な仕事であるから、損害がでても仕方がない。自業自得であろうか。


 突入は、彼女と赤目銀髪、歩人と『ゼン』の二組四人で行う。前回の完全奇襲と異なり、それなりの罠なり対応が予想されるため魔力小組の二人は姉と共に街壁に残る事になる。


「戦果を期待して頂戴」

「「いってらっしゃい」」


 四人は街壁から音もなく降下。『気配隠蔽』を展開しつつ、まだ少しも明るくならない星空の下、再び野営地に向かう。





 警戒をしていてもそれはかなりおざなりであった。篝火の数も少なく、また、警戒している兵士もどこか気もそぞろである。昨日の夜に引き続き、二日続けて徹夜という損な役回りを押し付けられた未熟な兵士が少なくないのだろうか。


 二手に分かれた彼女たちは、兵士の野営地を抜け、背後の商人の野営地へと侵入する。逃げそこなったのか、ピンチをチャンスに変えようと考えたのかは不明だが、商魂たくましい酒保商人であると言えようか。


 ひと際大きな荷馬車から、『油球』に小火球を添えて火をつけていくことにする。酒保商人の野営地には警戒する者もおらず、彼女たちは容易に作業を開始する……はずだった。


『……おい……』


『魔剣』に言われる迄もなく、彼女は突如現れた大きな魔力を纏った存在に警戒心を高める。


「なに?」

「あなたは作業を継続。私が対応するわ」


 赤目銀髪は横目で確認し頷く。移動する赤目銀髪へのルートを妨げるように立ち位置をかえながら、剣を引き抜き彼女は良く通る声で魔力の塊の如き存在に話しかける。


「こんな時間に散歩かしら。珍しいわね」

『いや、お前達が来るのを待っていた』


 少々たどたどしい言葉遣い。母国語ではなく、外国語として話しているような癖のある発音である。背丈は彼女より頭一つ高く、痩身に見えるが肩幅はある。フードのあるマントをかぶっており、その顔は認識できないが……


『おいおい……』


『魔剣』が言うまでもなく彼女も感じる。従属種ならかなりの力をつけた者、若しくは『貴種』と呼ばれる千人を超える魔力持ちの魂を手にした高位の魔物であり、おそらくは『魔導士』である。


「あなたの事を良く知らないのだけれど」

『それは私もだ。王国にいるリリアル? アリー? そう呼ばれている娘だろう。王国でいろいろ私たちの試みの邪魔をしている』

「……何のことかしら? 覚えがないのだけれど」


 何から何までがこの目の前の『魔術師』の仕業なのかもわからない。この魔術師単体なのか、それとも幾人か存在す高位吸血鬼の一人なのか。


『確かに、それはそうだ。これが私たちの仕業であると、明確にした覚えはないからな』


 聖都周辺のアンデッド、ミアンの襲撃、王国内にばら撒かれた高位のアンデッドによる『罠』。不死者の王とも呼ばれる『吸血鬼』が全て……仕掛けたとすれば、彼女はかなり多くの謀を潰したことになる。


「思い当たる事が無いわけではないのだけれど、知らぬ間に家の中にクモの巣ができていたら、その巣を払うことをするのはおかしな事かしら?」


 話を続けつつ、周りに火の手がいくつか上がるのを確認する。少しずつ騒ぎ声が上がり、人の覚醒する気配が増えてくる。


『顔を見せて挨拶くらいしておこうと思ってな。我が名は「オルロック」。以後お見知りおきを……リリアル閣下』

「ええ。これきりにしておきたいのだけれど、知らぬ間に巣を壊していたらごめんなさいね」


 闇に浮かぶように口元から白くとがった犬歯が浮かび上がる。


『さて、油断のない淑女であるようだな。ますます興味深い。だが、「聖女」である間は……』


 何やら言いたげではあるが、オルロックはその姿を煙のように消した。いや……朝霧に紛れ、立ち去ったと言えばいいだろうか。野営地は煙と朝霧に包まれていたのである。



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