第439話-2 彼女はリジェの銃に関心を持つ
衛兵隊の物見の報告によると、野営地を早朝から後方に移動させているものの、多くの天幕や物資が焼かれ、また怪我人死傷者が多数出ていることから、包囲というほどの雰囲気ではなく、対陣しているという状態だという。
「戦力は半減、また、逃亡した兵士も多く、まともに攻め寄せる事は事実上不可能ではないかということです。早速依頼を果たしていただけたようで、お礼申し上げる」
「いえ、包囲がなくなりオラン公の軍がリジェ近郊から姿を消すまでは油断できません。オラン公の本隊は二万以上。昨日の状況からすると、こちらに来たものの中に精兵や、魔力持ちの部隊が含まれておりませんでしたから、足手纏いを分離してきた者がこちらに向かってきたと推測されます」
魔力持ちの中には、街壁を乗り越える事が可能な者がいないとも限らない。それを専門に暗殺者ギルドなどに依頼する可能性もあるので、神国総督府がオラン公の軍を完全に駆逐するまでは安心はできない。
とはいえ、リジェに入場したところで逆にネデル総督府軍に包囲される展開もありうることである。二万を超える戦力をとどめておけるほどリジェに物資は存在しない。留まっても先がないのであるから、軍資金の支払いを突っぱねた時点で諦めるべきだとオラン公なら考えるだろう。
この遠征で、総督府軍と対峙しある程度戦えば、その後は勝敗に拘泥する必要はない。むしろ、その後のネデル領内の処理を総督府軍が行う過程においてオラン公の望む結果が発生するのである。
守られなかった街や村、オラン公軍についた貴族の処分、戦闘に参加した神国兵への支払い、戦後処理にかかる費用とその原資としての増税……起こしたい結末は遠征後に総督府軍へと降りかかる。
軍事行動に伴う経済的ひっ迫こそが、オラン公が起こしたい現象であり、ネデルの住民を総督府軍から離反させるタネをまいているといえるだろう。
彼女はオラン公の行動から、リジェはこれ以上危機的な状況に落ちることは考えなくてよいのではと伝え、出されたお茶に口をつける。
「なるほど。オラン公の勢力に、ネデルを直ちに奪還するほどの力はないのは自明の理。むしろ、巻き込まれず、ネデル総督府ともオラン公とも距離を取るべきであると考えるだろうか」
姉はニコニコしつつ、頷く。お茶が美味しいなどと宣いつつ、司教に対し、ずけずけとモノを言う。
「原神子派の信徒も、神国の原理主義者もやり過ぎなのでしょう。お互いがお互いを許せないのだから、行きつくところまで争い続ける。結局、国を分けて原神子派の住む地域と御神子派の住む地域に別れていくんじゃないかと思いますわね」
王国は住民の八割は農民であり、多くは都市の外に住み当然御神子教徒である。ネデルは、それが五分五分となる。都市に五割。そして、農村と都市は仕事を通じて深くつながっている。
染物などの工房の一部は農村に作業場を設けて仕事を委託しているのがネデルなのだ。故に、原神子派は農村にも浸透しているし、農民も職人の仕事を通じて考え方が伝わっているのだ。影響は王国の比ではない。
まして、教会・神国が自分たちから収奪しかしないという事は身をもって感じている。時間が経てば経つほど、住民の総督府場離れは加速する。
「司教領は、原神子派にはなりえませんから。かといって、神国に同調することはない。第三の道を進むという考えもあります」
「……なるほど……参事会による自治はその線でも良い言い訳になるでしょうな」
司教領の統治は司教が君主として行っているが、リジェの都市は独立したギルドのギルドの代表者の合議により運営されている。司教が命令をするわけにはいかない。
「何かあっても、市民の協力、参事会の理解が得られないで躱せばよい」
「それが通じるように、王国とも誼を通じておくことも良いのではないかと思いますわ」
「聖エゼル騎士団ともお願いしますわ」
「……おお、最近、サボアで復興された修道騎士団ですな。それは、それで交流していただきたいものです。教皇猊下の覚えもめでたいとか」
若い修道女の集団なので、覚えがとてもめでたい。聖エゼル海軍はニースが、聖エゼル騎士団はサボアが保持する。王国内の旧エゼル騎士団の所領は王国が管理しているのだが、将来的には、彼女の姉の伯爵領内に『聖エゼル王国騎士団』として復活させる予定であり、これは、貴族の子女の中で魔力を持ち修道騎士として活動できる者を育成することになるだろうという。
「なるほど。ニースもサボアも王国と歩調を合わせて穏健な御神子派として活動をするということですな」
言質を取らせるわけにはいかないが、それは既定路線である。原神子派を排除すれば内乱ないし、商工業者の流出が発生する。それは、将来的な国力の低下をもたらす。
かといって、ネデルのように教会や修道院の打ちこわしを許すようなことはあり得ない。騎士団や魔術師を動員してでも逮捕捕縛し、処罰を与える。内乱罪であり、反政府的活動であると明示しているのであるから当然だ。
「連合王国の影響もネデルで強くなるでしょう」
「なるほど。神国と連合王国は今は女王の婚姻をちらつかせて融和ムードではあるが、あの国が御神子教徒の王に代わらなければそれはあり得ませんでしょうからな」
連合王国と神国は潜在的には敵同士である。強力な海軍を持ち、連合王国も海外への進出を目指している。が、神国がその先を行き、連合王国は私掠船等を用いて妨害している。仲良くなるわけがないのだ。
「帝国も御神子派と原神子派で対立が深まっております。リジェに近いところで考えると……」
選帝侯のうち、トリエル大司教領は問題ないのだが、隣接するファルツ辺境伯や帝国自由都市であるトラスブルは原神子派の牙城でもある。経済力や軍事力を考えると、リジェに近い帝国は原神子派優位であるといえる。
何かあった際、リジェ司教領が頼みに出来る存在ではない。
結論から言えば、王国以外はリジェの独立を維持することが困難なパートナーであるといえるだろうか。
「表向きは……銃の技術的交流といった関係から深めていけば、それほど怪しまれないで済むかもしれませんわ」
「……その辺り、ギルド長たちと相談でよろしいか」
「ええ。是非ともその窓口として、ニース商会をご利用くださいませ司教様」
と、さりげなく、王国との商業的窓口に自分の商会をかませようとする姉。王都にも、教皇庁にも顔が利くという意味で、ニース商会は適役なのであろう。
今回の一連の活動で、王国はオラン公、リジェ司教領と友好的な関係を築きつつ、神国・ネデル総督府とも関係を悪化させない行動を選択できていると考えられる。
ネデルの不安定化は、ネデルの原神子教徒、神国とその植民地総督府、経済的なつながりの深い連合王国・帝国を巻込んでいくことになるだろう。その流れに王国が巻き込まれた場合、キャスティングボートを保ちたいと王家も彼女も考えている。
これ以上、あちらこちらに旅するのはうんざりなのである。そろそろ、中等孤児院の立上げも始まるのだ。彼女もそこに関わる予定である。
なにより、今のまま行くと王都総監の……王弟殿下が大いに関与することも危惧しなければならない。足を引っ張りたいもの、利権を得たいと考える者が中等孤児院とそこに集まる孤児たちに干渉することをいかに防ぐか。
「姉さん、よろしくお願いしますね」
「任せておきたまえ妹ちゃん。まあ、王都から二日もあればこれるから。顔出してあげてね☆」
☆ではない。
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二回りは小さくなった野営地を街壁から確認し、警戒は衛兵に委ね、『リ・アトリエ』一行は早寝をする事にしていた。今日の出撃は『讃課』の鐘。薄暮の時間帯である。夜の警戒を行い、疲労が重なり神経が鈍って来る時間帯。そして、一番人間の精神が弛緩する時間でもある。
「リジェの銃はカッコいいね」
「……姉さんには不要でしょう?」
「売り物としてね。法国製は華美でシュッとしてないんだよね」
マスケット銃の『シュッ』としているという事が何を意味しているのかは分からないが、デザインがすっきりしていて整備性も良く、また、部品の加工精度も高いという意味であればその通りである。
「ほら、サラセンの海軍とね」
「水上でもマスケットの銃撃が必要なのかしら」
「いいえ。斬り込んだ瞬間に一度斉射してから斬り合うんだってさ。だから、嵩張らずにすっきりしたデザインで、作動性の良い銃にしたいんだって」
余計な意匠・飾りがない分価格も安くなる。貴族の装備は華美さを競う面があり、目だってなんぼなのだが、実用品である銃には象嵌だ叩き出しだといった余計な装飾は確かに必要ない。
その分、使い勝手の良い銃が望ましいだろう。出来ればコストを下げた分、二丁目だって購入できるかもしれない。
「ダーリンには魔装銃に改造してあげたいしね」
「ニースの騎士様たちは、魔力持ちだから、魔装拳銃のような装備が良いかもしれないわね。リリアルに戻った時に、相談してみるわ」
「頼んだよ妹ちゃん!!」
無骨なデザインを好む老土夫にとって、リジェの銃は気に入らないかもしれないが、弟子筋に依頼するなり、リジェの銃を魔装銃に改良するなりすることもできるだろう。
「拳銃に騎兵銃はリジェに一日の長がありそうだもの」
恐らく、近衛連隊の装備も更新していくことになるのであれば、仮想敵である神国兵の装備や連合王国軍の銃兵の情報をリジェの職人から入手する事も可能だ。
『騎士は貴族の係累だが、銃兵は扱いさえ学べば誰でもなることができる分、簡単に強兵が作り上げられるだろうから……』
銃を購入する経済力、揃える経済力があれば簡単に戦力を強化することができるかもしれない。
「騎士ではなく銃士の時代になるのかもしれないわ」
剣技を磨くより、銃を磨く方が遥かに簡単であるのだから、銃の装備比率を上げていくことを王太子殿下辺りは計画していそうではある。
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