第381話-1 彼女は吸血鬼の森を知る

 狼人からの報告を受け、彼女はサブローこと『デュラン』から詳しく話を聞くことにした。


『窓のない馬車に乗せられたんだよ。だから、外の景色は見えなかったし方角も分からねぇ。ただ、時間的には半日くらい移動したと思う』


 ロックシェルからデンヌの森まで約50㎞ほどだろうか。半日馬車で移動したとすれば、十分デンヌの森のどこかしらに到着だろう。


「周りは森で、道らしい道が見えなかったというのかしら」

『途中で目隠しされて馬に乗せられ一時間くらい歩いた場所に連れていかれて降ろされたんだよ。周りは獣道のような感じの山道しかなかったな。それも、あんまり人が通っている感じはしなかった』


 目隠しを解かれる前に腕を縄で縛られ、木に固定されたという。


「本当に置いてきぼりにされたのね」

『マジでな。縄は暫く動かせば抜けられる程度に締められていたけど、その間に馬に乗ってきた奴らは消えちまった』

「馬の足跡を追えばいい」


 赤目銀髪が言うまでもなくサブローもそうしたのだというのだが、小川に達した時に対岸には足跡が残っていなかったのだという。


「形跡を追わせないために暫く川の中を歩いたのでしょうね」

『……そうだよなぁ……まあ、そんなことをしている間にすっかり日が暮れて野宿だよ。普通は野営の時は毛布とか、その代わりになる分厚いマントを使ったり、火を起して体を温めたりするんだけどな……』


 着の身着のままの男にはそんなものはない。デンヌの森は霧が出やすい。明け方には体がビショビショになったという。それでもその場にいるわけにはいかないので、川に沿って下ることにしたのだという。


『なんだかんだで、デンヌの森の中の川はリジェかナミュザルの前を流れるムーズ川に合流するというのは知っていたからな。そこまで行けば、なんとかなると思っていたんだよ』


 ところが、そうはいかなかった。二日目も森の中で過ごし、三日目も森の中で過ごす羽目になりそうだったと言う。街道なら一時間に4㎞は歩けるが、森の中を川沿いに歩くというのは崖があったり、滝があったりで川の流れに沿えずに、迂回する場合もあった為だ。


『水はあっても食いもんはねぇからな。都合よく木の実なんて生食できるものもない。変な物食べて下痢でもすればヤバいしな』


 飢えて生モノを食べたりして戦場で病気になるのはありがちな事である。傭兵として経験を積んでいるサブローは、その愚を犯さなかったという事だろう。


『けど、三日目の夜も野宿かと思うと気が遠くなってきてな。だが、森の中に城塞みたいなものが見えた』


 川から少し離れた場所に見える、緑灰色の石材で作られた城壁。恐らく、枯黒病が流行った時代に放棄された古い城塞を持つ村落の一つではないか。


「何故、遠目で見てそれが分かったのでしょうか」

『門が……壊れていたからな。それに、人の気配がしなかった。道らしい道はなく、廃墟にしか見えなかったんだ』


 そこに近づいて、何か道具でもないか、雨露をしのげる場所で休みたい、食べられる果物でも生っていないかと考えたのだという。だが、中に行く前に不思議なものを見つけてしまった。


『そりゃ、人の形をした……若い女の上半身形をした等身大の何かだった』


 髪の毛は緑の蔦のような物で形作られており、臍から上は裸体の若い女性そのものにしか見えない。


 空腹でちょっとテンションがおかしくなっていたサブローは、その緑色の植物のようだが若い女にしか見えないものに「何か食べる物はないか」とうっかり訊ねてしまったんだという。


「それで?」

『返事が返ってきた。私の蜜ならありますよ……ってな』


 言葉を話すことができる植物の魔物。それは何かと考えていると、『魔剣』曰く『アルラウネだな』と呟く。帝国では古くからその存在が知られている植物の魔物で、夢魔の一種であると言われる。


「その蜜を貰ったのでしょう?」

『まあな。そりゃ……』


 空腹であったこと、そして、その蜜を植物とはいえ美女の顔をしたそれの口移しでもらうという状態に一も二もなく受け取ったのだという。


『そのまま気持ちよくなっちまった。夢うつつというか、羽化登仙という奴だな』

「難しい言葉を使っている。自慢?」


 赤目銀髪はさげすむような目でサブローを見る。そのまま気を失い、楽しい夢を見たような記憶があるのだが、そこで何かの約束を了承したと思われるのだという。


『あくまで合意の上だな』

「合意の上でノインテーターになったというわけね」


 その合意は、一度死んでノインテータとなって永遠に共に生きる……といった他愛のない約束だったのだろうとサブローは一人呟く。いい年をした傭兵が恥ずかしいのだろう。


『おじさんにだって、夢があっていい』

「それで、夢はともかく現実はノインテーターなわけでしょう? 吸血の衝動とか、その……人を殺すといったことはなかったのかしら」

『俺は天涯孤独だからな。家族がいるような奴は、その家族の元に行って衰弱死させるみたいだけど、それは無かった。というより、後から考えると、馬車で送り込まれる奴らは、故郷に家族がいない孤児や一人生き残ったようなのばっかり選ばれたみたいだな』


 その後、捜索に来た総督府軍のメンバーに回収され、原隊復帰……ではなく、特別部隊に配属になったのだという。


 ノインテーターばかり集めた特殊部隊。ネデルの神国軍の中に設けられた傭兵をノインテーターに変えたものを集めたそれは、とある高級軍人の部隊長の元に十数人が集められていたという。


「その指揮官はノインテーターだったのか」

『……いや。別の……本物の吸血鬼だったと思う。神国軍には何人かその手の存在が所属しているって噂もあったが、少なくとも一人は確実だ』


 吸血鬼の指揮官の下、ノインテーターは幾つかの傭兵団を取りまとめた小隊長格として配置されていた。恒常的にではなく、戦列の要の位置に配置する事が多かったという。


『いざとなったら、部下を支配下において従順に軍紀に従わせるってのが俺達の役割りだったんだ』

「それでは、あの魔剣士は何者だったのかしら」

『軍監のような役割だな。あれは、神国から将軍が連れてきた近衛の一人で、かなり腕の立つ男だった。同行したのは今回が初めてで、あの男が実質的な指揮官だったんだ』


 ノインテーターの指揮官を置いたのは、野盗と変わらぬ行動を取る際に、余計な欲を掻いて『公女誘拐』という本命の任務を疎かにさせないため強制力を持たせる意味があった。


「その十数人は、神国や法国出身の連隊に所属しているのでしょうか」

『いや、将軍が連れてきた兵はベテランだから、そういう奴は必要ないんだ。ネデルや帝国出身の傭兵を早急に戦力化するための方便だと思うぜ』


 実際、魔力持ちの中からノインテーターになっても親族を襲わない天涯孤独な者を選抜し、デンヌの森に着の身着のままで放置し死に掛けの状態にした上で、植物の魔物の前に誘導し死に掛けたところを不死者に変えるという行為は、成功率が三割程度でしかないものの、百人投入すれば三十人の不死の指揮官とそれに無条件に従う小隊が生まれる為、割の良い策だと考えられていたのだという。


『生き残った奴らだから本音が聞けたって感じだな』


 七割はデンヌの森の中で遭難して死んでいるか、どこかへ逃亡しているのだからどうかとは思う。とは言え、魔力が多少ある冒険者なら帝国にはそれなりに沢山いるし、傭兵であればさらに少なくない。ネデルで集めた数万の傭兵の中から百分の一程度の魔力持ちを選抜し、その三割が人を越えたノインテーターの隊長となるのであれば、大いなる脅威となる。


 今のところ十数人程度でとどまっているが、順次、同じことは繰り返され、時間の経過とともに、不死の指揮官に率いられた精強な部隊がネデル神国軍の中核となっていくのだろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る