第352話-2 彼女は『伯爵』に問う

 彼女の記憶において、そこには以下のように記してあった。


 吸血鬼とそれ以外のアンデッドの差が、御神子教において認められる事はあまり知られていない。


 本来、死者が蘇るという事は、天の国に受け入れてもらえなかった事を意味し、死して得られる安らぎを与えられない責め苦、異端者への神罰に当たるが本来の不死者への評価なのである。


 ところが、教皇の影響下にある御神子の価値観はそうではないのだ。死してなお、生前の姿をとどめる者は、永遠の美の象徴であり、聖なる存在として尊ばれる……という評価に変わる。


 永遠の美しき生を生きたいと願う者は、御神子原理主義者に少なくないであろうし、吸血鬼になりたい、吸血鬼を神に選ばれた者……と考える者もまた少なくない。


 死してなお生前の姿をとどめる者を「聖人」に列する事も、御神子教と教皇周辺では起こり得る事なのである。


――― 吸血鬼は、生前の姿をとどめる尊い存在であり、永遠の美の象徴。「聖人」でもある。


 とても興味深い倒錯した発想である。





 彼女が伯爵にその旨を伝えると『その通りだね』と帰ってくる。


『つまり、アンデッドの中でも生前の姿を残した吸血鬼は教皇の影響下にある御神子教においては全く問題がなく、むしろ「聖人」のように考えられる存在だと思えばいい』


 それが、御神子原理主義者たちの間の共通認識であるとするならば、吸血鬼は『聖人』であり、異端を討伐する為に積極的に関わってくれるのであれば、諸手を挙げて歓迎する可能性が高い。


「とても理解しやすい物差しです。では、皇帝の配下にいるであろう人狼や吸血鬼に関しては……どう考えれば良いのでしょうか」


 吸血鬼は、人喰鬼オーガに匹敵する身体能力を持ち、自己回復・治癒の能力も高い。人の血液を吸い、また吸血した人間を操る事もできる。


 蝙蝠・狼・鼠などの動物を使役し、それらの姿に自らを変える事ができる。霧と化すことができ、天候を操る能力を持つ高位の存在もあり得る。また、不老にして不死である。これは、殺せないのではなく、老化による死亡がないという意味だ。


 食事を必要とせず、吸血のみで力を回復させる。鏡に映らず、影も存在しない。とは言え、裸で歩く者はいないので、着衣すれば着衣の影は写る。鋭い犬歯を持つと言われるが、八重歯がチャームポイントと言える範囲だ。




 神の息吹の掛かったものを忌避すると言われ、聖水や護符といった聖別されたものを避ける。


 また、首を斬り落とすことはアンデッド共通の退治方法であり、復活を避けるため、焼却し灰を川に流すといった方法をとる事もある。


 神に反した存在とされる吸血鬼を「永遠の美」ということで曲解するのであれば、教皇であろうが、皇帝であろうが国王であろうが等しく背神者ではないのか。


『言うなれば、皇帝とその周辺と言うのは帝国と言う海に浮かぶ浮島のような存在なんだろうね。風が吹けばあっちに行ったり、こっちに行ったりするし、今は御神子派で教皇側にいるけれども、教皇と皇帝は利害対立がある。それに、本質的には原神子に肩入れしようという部分もある。神国の国王周辺程確固とした考えがあるわけではないよ』


 都市の有力者は教皇とその影響下にある教会の存在に対して反発を持っている。自分の利益を掠め取る存在であり、できればその存在を無視したいのである。


 概ね、都市貴族を頂点とする都市の指導者は自分たちも帝国と言う海に浮かぶ浮島だという事に理解が至っていないのではないかと彼女は感じている。神と聖典があれば聖職者不用であるという考え方は、聖職者のすべてがなんら意味のある存在ではないかのような物言いだからだ。


 信徒の代表者である『牧師』しかいない教会で、誰が孤児院や施療院を運営するのだろうか。教会が金を集めて全て自分自身の為に使っているのだろうか。篤志家の出資で運営されている施療院だとしても、そこで手当をしている者は、シスターのような教会に関わる存在ではないのだろうか。


 つまり、どちらも自分たちの都合の良い理屈をつけて相手を攻撃したい……だけの存在だろうと彼女は理解した。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 彼女は『伯爵』に、吸血鬼が神国軍にいると仮定した場合、どのような行為を行う事が最も打撃になるだろうかと問う事にした。


『まあ、ほら、当然現場に『ギー』は出てこないわけだよ。真祖の配下の貴種が女吸血鬼だとして、その配下の従属種辺りが前線に出てくる。そいつらの狙いは、魔力持ちの兵士や騎士から血液を通して魂を奪う事にある。自分が、貴種へと成り上がるためにも、配下の隷属種を作り出す為にもそれが必要だからね』


 吸血鬼が戦場に現れる理由の多くは、簡単に魔力持ちを『狩る』ことができるからだという。戦場で活躍する者の多くは魔力保持者であり、その魂を獲得し、自らの中に取り込む事で、自分の下僕である隷属種を作るための材料として使ったり、自らの能力を高める為の原資とすることができる。


 市井の中で魔力持ちの魂を取り込むために殺すことは不可能ではないが、数を纏めるのには骨が折れる。従属種から貴種に成り上がるために必要な魔力持ちの魂の数は凡そ九百。戦場で何年もかけて積み上げねば到底到達することができない。


 隷属種が従属種に成り上がるためには凡そ九十の魔力保持者の魂を得る事が必要であり、それも同様である。


『まあ、戦場でそれなりの数の吸血鬼が魔力持ちを狙っていると考えれば、君たちが群れているのは、絶好のチャンスだと思って寄って来るだろうね』


 吸血鬼が戦場に出る理由が『魔力持ち狩り』だすれば、構成員全員が魔力持ちのリリアルの部隊はとても魅力的に思えるだろう。


『それが奴らの運の尽きだろうね』

「そうですね。吸血鬼は複数で行動する事はあるのでしょうか?」


 彼女は、今まで吸血鬼が二体以上同時に現れたことを見たことがない。


『可能性的には従属種が隷属種を、貴種が従属種を従えている可能性はあるね。但し、その場合、男性の主は女性の従者を従え、女性の主の場合は男性の従者を従えるから、分かりやすいと思うよ。戦場で異性を侍らせているなんていうのは、余りないだろうからね。サラセンの君主ならそういう近衛を揃えているかもしれないけれど』


 吸血鬼が劣位の種を生み出す場合、異性を対象とするのが基本である。但し、始祖はどちらも可能だと言われている。実際、確認したわけではないので確かなことは言えないのだが。


「戦場で吸血鬼は単体であるならば、比較的容易に狩れるでしょう。従属種ならギーの陪臣、隷属種なら……」

『従属種の女吸血鬼がいるという事で、貴種の男の吸血鬼がいる可能性があるね』


 下位の従属種辺りでは、天候を操り霧と化すことは出来ないというのが『伯爵』の見立てである。


『霧には注意だね』

「……川の周りや森では霧が出るのは普通ですよ」

『そうだね。魔力走査で引っ掛かる者がいれば、それは吸血鬼を含めた魔物なのだから、君たちは問題なく討伐できるよね』


 うんうんと頷きながら、『ネデルで吸血鬼がまた沢山討伐されるわけだね』といささか嬉しそうなのである。理由を聞く気もないのだが、『伯爵』が語るには、『獣に姿を変え、卑しく人の血を吸う為に死にぞこなっているヒルや蚊のような存在の癖に自らを高貴と勘違いしている魔物』であるのが気に入らないのだそうである。


 王族が『王冠をかぶった野蛮人』と称されることは良くある話であり、そういう意味では吸血鬼は貴族然としていると言えるかもしれない。





『伯爵』は帰り際に、彼女にとある物を預けたいという。


『それとリリアルにいるアレに、この武器を渡してもらえるかな』


 それは、両手遣い用の戦斧であった。片刃であるその斧の刃は、まるで三日月のような弧を描いている。バルディッシュの刃を半円型に引き延ばしたようなデザインと言えばいいだろうか。


 その鉄は黒々としており、古い製法で造られたもののようだ。


三日Hache de月斧croissantですか。これは、アレの持ち物であったのでしょうか」

『いや、そうじゃないよ。でも、似たものを昔使っていた』


『アレ』こと、半人狼であるワン太守備隊長が、『伯爵』の戦士長であった時代、これに似た戦斧を用いていたというのである。もしかすると、北の入り江からやってきた海賊戦士たちの末裔であったのかもしれないと彼女は思うのである。


 ハルバードを用いるよりは、この斧を修復して与える方が良いだろうか。狼人には目立ってもらい、敵を引き付けてもらう役割を担ってもらう予定であるから、この異国の古い武具は、目的に合致すると考えられた。


「お預かりして、必ず渡します」


 彼女が恭しくも三日月斧を受け取り、『伯爵』に応える。


 それでは失礼しますと彼女が退席しようとすると、それでねと『伯爵』が一言付け加える。


『ほら、私の場合、どちらを選ぶかで自分だけで成り立つエルダーリッチを選んだ訳だけれど、見た目が永遠に劣化せず生前のままの姿を維持できるという点では、吸血鬼と変わらないわけだから、御神子教的には『聖人』なわけだよね』


 自称『聖人』のエルダーリッチ伯爵様は、次回の来訪時に彼女謹製のポーションだけでなく、母の商会で作成した蒸留酒とトワレも所望なのだという。

 

 聖人に捧げ物をするのが礼儀らしいが、『聖人』は人にものを集ったりしないので、聖人ではないなと彼女は『伯爵』を内心評価したのである。


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