第五幕『ディルブルク』

第339話-1 彼女はディルブルクに事を伝える

――― ディルブルク


 メイン川の支流ディー川(メインツとコロニアの中間あたりで合流)及びディー渓谷(ディー川上流域)を擁する場所にある。


 ナッツ伯家の居城であり、川沿いの丘の上の砦を改修した近代的城塞。三十年程前から改修が進んでおり、渓谷の中心地となっているが、街を囲む壁は無い。伯爵の居城に必要な官吏・使用人が住む居住区が付随している。


 ヴィルムの父の代に大きく手が入っており、元は丘の上の城塞、キープkeepもしくはドンジョンdonjonのことを、帝国ではベルクフリートBergfriedと言うが、それを大いに拡張し、丘の上全体を一個の要塞とした。


 大砲の攻撃に耐えうる外壁、銃の射線を確保する外構、防御拠点として西側に塔が増築されている。街壁がない代わりに住人を城内に収容可能であり、その人数は二千人とされている。


 帝国では末葉の貴族であるナッツ伯爵の居城としてはとても堅固であると言える。





 メイヤー商会には『王の百合が届いている』と伝言を委ね、蒸留酒とトワレを一揃い贈らせたのだが、まだ返事がない。恐らくは、彼女たちの存在を調べさせているのであろう。


 オリヴィ達がネデルで調査をしているので、お相子である。


「上手く会えるのかねぇ」

「どうでしょうね。相当お困りのようだから、何とかなるのではないかしら」


 彼女はそう答えると、リ・アトリエメンバーに、これまで知りえたオラン公ヴィルムに対する情報を説明し始めた。今までのように、彼女一人で考え行動するのを少しずつ変えようと考えていたからなのだが。


 彼女の知るオラン公ヴィルムの来歴は以下の通りだ。


 ヴィルム十二歳の時、従兄であるオラン公ルネからオラン公の爵位を相続することになる。オランは人口わずか三千の王国内の公国に過ぎないが、独立した君主としての地位を保っており、王国の王、帝国の皇帝と対等の対面を保つ存在であった。


 オラン公の爵位が、彼の存在を特別な物に祀り上げて行くことになる。


 また、この相続により、ネデルに相続財産が発生し、その相続条件が御神子の信仰であったことから、オラン公ヴィルムとなる為に宗旨替えを裁判所で行う必要があった。原神子信徒としての教育を受けながら、改めて、御神子の教育を受けなおす機会を得たことが、この先の人生に大きな影響を与えた。


「珍しいですね。まあ、財産の為なら仕方がないか」

「おいしい相続」


 十八歳で最初の妻と結婚する。妻はネデルに領地を持つ伯爵の娘でありこれを契機に、ネデルとの関わりを深めて行く事になる。


 その後、皇帝の宮廷で外交官として教育を受ける。帝国語・王国語・神国語・法国語・ネデル語を修め、数年間、そこで仕事をする。


 先々代皇帝の退任式において、足の悪い皇帝の支えとなり介添えをするほどの信用を得る。この時二十二歳。現在の神国国王とは、父である皇帝の宮廷において既知であり、親しくしていたとも言う。


 神国王の代、ヴィルムを懐柔する為、帝国金毛騎士団の一員に任じた。これは、国王の最も信ずる騎士を示すものであり、本来は、皇帝が相続した物なのだが、父である皇帝から騎士団の権利を神国王が直接相続した為『帝国金毛』の名称を有している。元は、ランドルを領した君主が設立した

騎士団であり、ランドルを婚姻により皇帝が得たため踏襲しているものだ。


 また、王の顧問としての役割を与えられ、ネデル北部臨海部三州の総督に任じられている。




 二十六歳の時、ネデルには王の異母姉である公妃マルガリータが総督として赴任し、原神子信徒を弾圧し始めた。その行動にヴィルムは他の貴族と共同で反対する意見を具申したが、政策が改められることは無かった。


 この意見具申が神国王の感情を害したとされている。


 また、二十八歳の時、ネデル貴族の妻が病死し、帝国・神国との関係を改善する意味もあり、二人目の妻は帝国貴族の娘を娶る事になる。


 とはいえ、神国の圧政は緩む事が無かったことから、総督諮問機関である各評議会からヴィルムは距離を置くことにし、また審議の内容に対し抗議を行い始める。


 総督は『ロックシェル』に滞在し、中央政府を運営していた。そこには、税と配分を司る財務評議会、日常の統治を行う法律家からなる枢密院評議会、ネデルの上位貴族が在籍し主要な政策を決定する国務評議会がある。


 総督の下には、十七の州を統べる『州総督』が存在し、州議会を運営し、其々の州の軍を統括する司令官を兼任していた。神国国王とその代理人である総督と、地元の利益代表である州議会の間の調整役を務める者が『州総督』であると言えよう。


 近年は、徴税を強化する必要性から、州議会の代表者を集めて国王の意を伝える「全国会議」が開催されるようになる。


 次第に、皇帝・国王の側近からネデルの君主として行動を取り始めたと考えられるのだ。




 三十一歳の時、国務院においてヴィルムは一時間にわたる演説を行い、『王が人々の良心を支配し、信仰と宗教の自由を奪うことを喜ぶことができない』と自由を求めてオープンで明確な嘆願をした。


 翌年、神国王は国務院評議会でのヴィルムたちの要請を完全に拒絶。ヴィルムたちネデルの貴族は連合し、総督に対して請願書を提出、原神子信徒の弾圧を止めるよう求めた。


 しかしながら政策の変更はなく、原神子派による教会や修道院への偶像破壊の暴動が発生する事になる。ネデルにおいて数百の施設がその破壊の対象となった。


 ネデルの騒乱を鎮める為、総督マルガリータはヴィルムたちネデルの貴族と提携することをになり、ヴィルム等は騒乱の激しいロックシェルRocksellに部隊を率いて入城し、暴動の鎮圧にあたるなど試みたが、既に、次の政策が神国から発せられていた。




 三十四歳の時、神国王はネデルの騒乱を修める為、バレス公フェルナン派遣。ヴィルムはナッツに退去したものの、残ったネデル貴族は叛乱の責を問われ二人の伯爵を含む二十人が処刑されている。


  ヴィルムの十二歳の長男はこの時、ネデル領内で学生生活を送っていた為、家族のナッツへの退去に一人同行していなかった。フェルナンは長男を神国へと送り出す処理をした。


 融和政策を指示するマルガリータと強硬論を主張するフェルナンの関係は並行線となり、マルガリータは総督の座をフェルナンに譲りネデルを去る。


――― そして、弟が領主を務める実家のナッツ伯領に至る。




「自分だけ逃げた……か」

「そうじゃないでしょう? 逃げなければ処刑されるかもしれないんだから。一度国外に脱出して機を伺っているんだと思う」

「同感。だけど、どういうつもりなのか、何をしたいのかは不明」

「そりゃ、何時かの俺らみたいに、自分たちの存在をネデルの市民にアピールする必要があるから、早急に挙兵するだろうさ」


 ミアンに無理やり入城した聖リリアル学院のメンバーのお陰で、ミアンに立て籠もる市民は大いに士気を挙げた。ネデルに駐留する神国兵を即座に撤退させることはできなくとも、軍を起して留まる市民や味方を勇気づける事は必要だろう。


 軍が動けば、異端裁判の捕り手も手薄になるわけで、刑罰が進まなくなる可能性も高いだろう。軍を起し、神国兵を引きずり回すだけでも意味がある。


「それでも、兵が集まるかどうかというのもありますね」

「神国兵何人くらいいるんだよ」

「ネデル全体だと数万という規模らしいわ。全部を動かせるかどうかは分からないけれどね」

「そりゃ、国王陛下クラスじゃないと動員できない数じゃないの。知らんけど」


 最初から勝てるわけはない。時間をかけて疲弊させる必要もある。長い時間戦えば、戦費も掛かるし士気も下がる。少数の軍で何度かに分けて侵攻するだけでも効果があるだろう。


 但し、こちらも傭兵、あちらも傭兵だと話が難しいのだが。


 彼女が騎士学校で教わった限りにおいて、神国兵の用兵は大いに進化しているという。


 それまでの方形の槍兵の集団が、騎士の突進を受止め跳ね返す為の移動陣地であったのに対し、横長の方陣に変え、正面を広げるとともに、その前列と左右に銃兵を配置し、更に大砲を並べ射撃を持って歩兵の方陣にダメージを与えた後、突撃する形に進化させた。


「銃が沢山必要」

「そうね。一隊が三千人で、その内六百人が銃兵を構成しているわ」


 それまで、五千から八千の歩兵の集団を分割し、三千程度の集団として機動性を良くし運用しやすくしているとも言われている。


 銃の登場のお陰で、騎兵の突撃に薄い縦列でも対応できる様になり、むしろ、方形の長槍の集団では移動速度が低下することを少人数化することで改善しているとも言える。


「俺達には関係ないけどな」

「そうね。でも、その内騎士学校へ通う事になる時には、散々勉強させられるから、知っておいて損はないでしょう」

「……かなり先」

「あはは、私は騎士ではないですけど、でも、知るのは楽しいです」


 碧目金髪は騎士の叙爵を受けていないので騎士学校へ行く予定はない。赤目銀髪は、あと五年は行く事は無いだろう。


「その銃も練度もたっぷりの軍隊に、その辺の傭兵集めて攻め込むなんて、随分と無茶振りされるね」

「でも、行かないと立場を失う」

「没収された財産もね」

「けっ、金なさそうな公爵様だな」


 相続したネデルの領地も、場合によっては国王に没収されるかもしれない。異端審問で有罪となれば、財産没収の上漏れなく死刑である。逃げれば財産没収だけで済むのだから、逃げたという事だろう。


「とにかく、連絡を待ちましょう」


 アジトの整理整頓をしながら数日、彼女はそれなりに充実した日々をメインツで過ごす事になった。



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