第338話-2 彼女はオリヴィと別れメインツへと戻る

 ビゲンの街の手前を流れるナベ川がメイン川に流れ込むその河岸の丘の上に『ルツ修道院』は建っていた。


 川向うに見えるビゲンの街には古の帝国時代のメイン川を守る砦の後を改修した城塞を丘の上に構える、大聖堂を中心とする街壁に囲まれた程よい大きさの市街が見える。


 メイン川とナベ川沿いには船着き場が設けられており、ナベ川を渡る石橋が上流に見て取れる。


「将来的には、王都の傍にリリアルの街がこんな感じであると良いわね」


 王都はメインツと異なり入場税は不要だが、その代わり何もかもが割高である。王都に商用で立ち寄っても、できれば城外で宿泊したい者も少なくない。城外の門前町は少々安全性に疑問があることもあり、リリアルならば数時間で辿り着けることもあり、行きに泊まる、帰りに泊まるという事も可能だろう。


 当然、宿屋や食堂にはリリアル関係の孤児を配置し、情報収集に当たらせる事を考えている。


『リリアル大好きだなお前』

「……街づくりの参考になるような場所が王国の中には少ないのよね」


 領都を持つ貴族が数を減らした王国内では、領都を持つ大貴族と館を構えるが領地の中の大きな都市をそのまま独立させている場所が少なくない。貴族は税を納めてくれるのなら、平和な時代にわざわざ城塞を維持する必要が無いからだ。


 ニースも旧市街は城塞に囲まれているが、新市街は多少の防柵ははあるものの、旧市街とはかなり異なる。


「土魔術でちょっと土塁だけでも作れば何とか行けそうね」

『あの坊主とかセバスが頑張るんだろうな』

「当然ね。私は鉄の聖別で忙しいのだから。適材適所でしょう」


 癖毛と歩人は『土』の精霊の加護を持つはずであるので、加護無しの彼女よりも効率よく壕や土塁を作ることができるだろう。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 ルツ修道院を訪問し、喜捨をしたいということと、一晩の宿を求めたいと伝える。院長に、蒸留酒とトワレを、院には赤ワインを一樽進呈することにする。勿論、金貨も少々。とは言え、お金があれば手に入る物よりも、お金では手に入らないものの方が『貴族』は喜ぶ。


 案の定、丁寧に院長室に案内されることになった。


「初めまして」


 院長は痩せぎすの神経質そうな中年の女性であった。彼女は『ルリリア商会の娘でアリサ』と名乗り、実家は子爵家であることを伝えると、最初商人と聞き胡乱な表情を浮かべた院長は、爵位を聞いた途端に一気に親し気な笑顔を浮かべた。


「そうですわね。このような高価な品を贈れる方が、ただの商人であるわけないですもの」

「院長様は慧眼ですね。これは、王国の王妃様の御用達の物で、近々私共の商会で扱う事になるものなのですわ」

「王妃様の……それは素晴らしいですね」


 院長のテンションが上がり、口の動きが滑らかになる。


 修道院の来歴や、ビゲンにまつわる故事などを話題に話を聞いていると、「最近は嘆かわしいですわね」と話が続く。


「コロニア辺りには、原神子信徒の教会が大いに増えているそうですわね」

「はい。ネデルからの避難してきた方達も多く、コロニアは騒然としている様子でしたわ」


 そして、川向こうの領地であるナッツ伯は、領地にも多くの原神子信徒をかかえ、自身もそうである事から「困ったものですわ」と続く。


「伯の兄に当たるオラン公爵様は、従兄から公爵位を相続する為に、原神子から宗旨替えした方なのです。ですので、御神子を信じると口では申していても、教皇様や教会の考えとは少々違う事も平気でなさいますのよ」


 それはそうであろう。そもそも、教会の考えが必ず正しいというのは、方便である。元々、帝国は皇帝が国内を掌握する為に、部族を跨ぐ組織として教会の司祭・司教を自らの官僚として頼る時代が長く続いた。


 独立した部族の連合体である帝国は、そうせざるを得なかった。


 王国ではむしろ、教皇や教会が王国の政治に干渉する事を排除して今日に至っている。その最大の物が、修道騎士団の異端認定であり、王国出身の教皇を擁立する働きかけでもある。


 王国の安定にとって妨げにならない限りにおいて教会を尊重し、王国人の司祭や司教もそれを理解した者が役職についている。帝国と王国では教会との関係性が異なると言えるだろう。


「それも、神国から遣わされた『使徒』の皆様のおかげで、ネデルも原神子信徒も大人しくなるのですわ。あの方たちは、教会を守る守護者ですもの」


『使徒』とは何を示すのであろうか。彼女は院長の言葉を慎重に聞くことにした。どうやら、教会の教えに従わぬ者を『導く』存在であり、その在り方は、旧聖典でラビ人を導いた『戦士長』を示すようでもある。


「ヨズアやギデンの如き方々です。今も、帝国やネデルの周辺で悪しき存在と戦っておられるはずですわ」


 何らかの啓示で「人智を越えた力」を得た方達だという。その力をもって教会の敵を打ち払う為にこの地を訪れ、神の兵を導いているのだという。


「興味深いお話です」

「ええ。オラン公爵様もナッツ伯様も早く目が覚めて頂きたいものです。神の鉄槌を受ける前に悔い改めて頂きたいのですわ」


『使徒』は『神の鉄槌』を与えることができる存在であるというのだろう。帝国内においても神国国王らを支持する原理主義的御神子派はそれなりに存在し、原神子派を懲らしめたい、罰したいと思っているのだろうか。


『碌な者じゃねぇな。案外それが……』


『魔剣』の言葉を聞くまでもなく、彼女は『使徒』が何を示すのか察していた。





 旧聖典には『使徒記』という部分が存在する。


 聖典は、ラビ人の民族史的部分の『旧聖典』と、その導師の一人として多くの人に自分の考えを解いた御神子様の逸話を集めた『新聖典』から成り立っている。


 御神子様は古の帝国時代にカナンの地に生まれた方なので、それ以前から何人もの導師が存在していた。神の教えを説く存在が導師であり、サラセンにおいては御神子様よりのちに生まれた導師を『真の神の教えを説いた導師』と考え、御神子様の考えは「先駆者」という評価をしている。


 勿論、ラビ人は御神子様の教えは「解釈が違う」という考えであり、信者を弾圧したこともある。


 ラビ人の神話とも言える旧聖典に描かれている『使徒』は、神の代行者とでも言うように、様々な人の能力を超えた力を神から授けられ、民族を指導したとされる。


 その『使徒』になぞらえた存在を『吸血鬼』共が演じるとするなら、とんだ茶番であると彼女は思う。


『神国の国王はそうは思わねぇんだろうな』

「本来は、世界を統べる皇帝様になる予定だったのだもの。自分の価値観や考えが世界の基準、全てなのだと考えれば、それに逆らう者たちを滅ぼすことは至高の行いなのでしょうね」

『夷を以て夷を制すってのは、確かに皇帝の発想だ。吸血鬼も原神子信徒もアレからすれば同じものなんだよな』

「残念ながら、そこには王国も含まれていると思うわ」


 先々代の国王の時代、王国は神国国王の父である先々代皇帝と法国で戦争を何年、何度にも渡り行った。結局、サボアを王国に、ミランを帝国にそれぞれ保護国化することで手打ちをした。


 王国とは境を接し、また、王国西部の少数民族を煽り、ギュイエの地を侵略しようとしている。もっとも、百年戦争後半に王国も神国の中央まで軍を進め、散々に略奪を行った事がある。欲深な騎士達が山ほど財宝を馬車に乗せ王国に帰還しようとする後背を攻撃され、散々に打ち破られたのだが、侵略は侵略だ。


「神国とネデル、どちらと妥協できるかと言えば……」

『そりゃ、宗教的原理主義より、商人と取引する方が簡単だろうし、少なくとも利がある間は関係は続いていくだろうさ』


 彼女は、吸血鬼を討伐する為に神国軍と戦う愚を王国は犯さないと考えていた。だが、吸血鬼を含め、神国の力を削ぎ、王国に仇為す存在を駆逐する必要は感じている。


 ならば、ネデルの貴族達に「魔物討伐」の依頼をさせ、冒険者として神国の吸血鬼を狩ればいい。依頼があれば、それは戦争ではなく討伐に過ぎない。魔物が混ざっている事の方が、表に出れば問題だろう。


『吸血鬼』というのは、神の加護から最も程遠い存在であり、反御神子の象徴でもあるのだから。





 翌日、修道院を出た彼女たち一行は、早々にメインツに移動した。


 その後、直ぐにメイヤー商会に『ナッツ伯とオラン公に商談を持ちかけるので、居城のディル城へ遣いを出すように』と依頼をした。


 その後、拠点となる錬金工房に赴き、リ・アトリエメンバーにその建物の使い方を教えたり、歩人が土魔術で補強をして時間を使う事にした。


 家具も不足しており、とりあえず、椅子とテーブルを中古で調達、また、食材を購入して、お疲れ様会をアジトである錬金工房で行う事にした。


 神国の吸血鬼討伐に向け、先ずは、自分たちの売り込みと、一度王国に帰還し、報告と王国がどの程度ネデルに関与するか内諾を得たいと彼女は考えていた。





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