第337話-1 彼女は食器と剣を買い求める
ナッツ伯領はメイン川を挟んだメインツの東側にある領邦である。元々この伯爵家の息子のうち、母方の実家であるオラン家の直系が絶えたため、ヴィルムが跡を継いだのである。
ナッツ伯領は幾つかの鉄鉱石を産出する鉱山、石炭の鉱山を持つ小規模ながら充実した鉱山資源を持つ領邦と言える。この地の司教からナッツの街を領有したことでナッツ伯を名乗るようになるが、以前の居城はナッツ伯領で最も大きな都市である『ヴァイスデン』にあった。
本当にメインツの目と鼻の先にある都市であるが、農民反乱に加担した結果、四十年に渡り特権を剥奪されており、つい先年、回復している。この地は、原神子教徒の教会が多く、その信徒も多い。ネデル全体で原神子教徒が多いとはいえ、高位貴族であるオラン公が皇帝の側近を務めながらも原神子教徒側に付けたのは、生まれ育った場所の問題もあるかも知れない。
軍を発するのであれば、糧秣の手配も始めているはずであり、メインツの商会の中でも大きな力を持つメイヤー商会にも商談があるはずだろうとオリヴィは言う。
「直接私が話をしてもいいけれど、それはそれで憶測とか、いらない気を使う事になるだろうから、普通にメイヤー商会から蒸留酒なんかで繋いでもらえば話は出来ると思うわ」
神国の支援、施政権徴税権を持つ総督の軍の補給には問題が無い。反面、これから軍を起してネデルに向かうオラン公軍は全てが不足している状態だろう。話がどちらに伝わりやすいかは、考えるまでもない。
「軍を出すなら、来春からでしょうか」
「寒い時期は動かせないでしょうね。それに、異端審問の進捗も関係して来ると思うわ」
一万人にも及ぶ召喚状を発しているネデル総督の異端審問所は、貴族も富裕な商人も財産没収、騒乱を起こした責任を取らせ貴族は処刑される場合もあるという。
「時間が経てばたつほど、ネデルに残った味方が処刑されていくから、オラン公も待っていられないと思うわ」
今までの統治も決して優しくは無かったが、財産没収と処刑までには至らなかった。それを『異端』として処理する事で神国本国の統治法を持ち込み、抵抗する人間を排除し抑圧を強化していく。
「神国本国ではね、ラビ人から御神子教に宗旨替えした商人たちをターゲットにしたと言われているわね」
兄弟の宗教と言われるラビ教と御神子教だが、厳密にはかなり異なる。宗旨替えしたといいつつ、以前の信仰をそのまま行っているとされ、財産没収の上国外追放という処理をされた商人は数千人にも達するという。
この後、何が神国で起こるかは想像できるが、今は上手くいっているのだろう。騙し討ち同然に様々な国に同族の住むラビ人商人を追い出し、神国の経済がどうなるのか、これからが見ものでもある。
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翌日、オリヴィと別行動をする事にし、一先ず冒険者ギルドに『リ・アトリエ』宛の伝言を伝える。あと二日程度であれば同じ宿でも構わないと彼女は思い、『蜉蝣亭』に宿泊しているので、到着しだい依頼をしたいので宿に来るようにと受付に伝える。
街は喧騒に包まれているが、活気があるという事ではなく、何かせっぱつった空気が街を占めている。
『ここには長居は無用だろうな』
『魔剣』の言葉に彼女も内心同意する。遅くとも明日には依頼を終えたリ・アトリエの四人が宿に現れるだろう。その後、メインツに戻り、オラン公との接触と拠点の整備に時間をかける方が良いだろう。
「商店を見ても、あまり良い品ぞろえではないわね」
「いっそのこと、王都にもどって注文した方が早いだろ?……でございますお嬢様」
「それもそうね。趣味も違うし、内々で使う物だから、その方が良いかもしれないわね」
と考えていたのだが、一軒の食器を扱う店で目に付く一揃いの食器のセットが目に付いた。
その皿は、磁器のようで、とても細やかな絵柄が施されていた。
「良い物でございましょう。お嬢様はお目が高い」
とあるネデルの身分の高い貴族が手放したものだという。
「即金でお支払いでしたら、いくらか御値引いたしますよ」
「値引きは不要なので、手放した方がどなたなのかお教え下さいませんでしょうか」
主人らしき男は暫く逡巡している。
「何か悪いことに使おうという事ではないのです。これほどの物をお持ちの方とどこかで知り合ったときに、できればお返しして差し上げたいのです」
彼女の話に主人は納得すると名を教えてくれた。
「オラン公爵様の物でございます」
彼女は金貨十枚で買い取り、店を後にする。金貨十枚というのは、兵士の年収、騎士の俸給三か月分に相当する。決して安くない買い物であったが、彼女はオラン公に献上するつもりであった。
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