第336話-2 彼女はようやくコロニアに到着する
メインツの黄金の蛙亭程評価をしていないものの、コロニアでは比較的マシであるという『虹色の蜉蝣亭』に宿泊を勧められた。中心街から離れ、北の城門に近い場所にある静かな宿である。
食事はさほど良くないが、環境で選んだのだとオリヴィは言う。
「食事は外でも頼めるけれど、周囲の環境はそうではないからね」
部屋はやや狭いものの、寝具や落ち着いた宿の使用人の態度も印象の良いものであった。
「ここの従業員はコロニアの外からの通いなの」
「何故ですか?」
コロニアには徐々に原神子の信徒が増え、三分の一ほどの教会も原神子派に変わっているのだという。故に、宗派対立が表に出始めていることもあり、地の人間だと、宗派の摩擦を仕事に持ち込みかねないという事で、この宿では近隣の村落から使用人を採用しているのだという。
「ネデルでの一件の影響ね」
「……どういう意味でしょうか」
彼女はネデルはランドル同様、商人中心の自由都市が多く、自治を行っているという認識であった。
「神国の影響。王様が変わって、皇帝が変わって甥と息子の世代になったのよつい最近」
今の王の父親である先々代の皇帝は、ネデルで生まれ育ち、ネデル語も帝国語・神国語など多くの言葉を話すことができた。身体の不調から、弟に皇帝位を譲り引退したものの、その後は弟から息子に代を継がせる予定であったが先に亡くなった。
弟は兄の子ではなく、自分の子に皇帝位を譲り、自分が元々治めていた帝国の領地を委ねる事にし、兄の物であった神国、内海の所領地、そしてネデルは兄の子である現在の神国国王が治める事になった。
「元々、帝国の中で、原神子派を面白く思わない教皇と教会が皇帝に色々圧力をかけていたんだけれどね、税金を払う帝国自由都市の中には沢山の原神子信徒がいるわけで、自分の保護する立場にあるその人たちを庇うのがそれまでの皇帝のスタンスだったのよ」
先々代、先代と原神子信徒へ宗旨替えはしなかったものの、弾圧や教皇の意を代弁する教会関係者の意見を押さえ、両宗派にそれぞれの信仰を認める法を定めた。
「ところがよ、皇帝と別れた神国国王は、元々教皇の意を重視する人だった事に加え、異端審問の盛んな神国の考え方をネデルにも持ち込んだわけ」
自分の生まれ育った地という父親と異なり、言葉も話せず、足を運んだこともない「植民地」であるネデルで、原神子派の貴族や市民が自分の政策に反対し、あまつさえ、自分たちの主張を国王に認めさせようとする叛乱を起すに至り、国王は強硬策を指示し、現地の総督とその側近に原神子信徒を厳しく取り締まるように命じた。
「とまあ、こんな感じで更に叛乱が拡大してね。サラセンの軍隊とも戦った軍の重鎮が総督になったの。それが、私が王国に足を運ぶ少し前ね」
婚姻により帝国皇帝の直轄領となったネデルは、富裕な都市とその周辺の農村で大きな心理的隔たりを有していた。都市の住民は、帝国の皇帝領に属しているとはいえ皇帝に従属しているわけではなく、多くの商業的繋がりから、連合王国や帝国内の自由都市との関わりを強く持っていると理解していた。
反面、神国国王はネデル領の統治を他の神国の領地や植民地と同様に中央集権的統制下に納めようと考えており、最初から政治的対立関係が成立していたと言えるだろう。
現在の神国国王は、厳格な御神子信徒として神国宮廷にて育てられ、その考えをネデルに及ぼそうと考えていた。三部会を招集し、自分の考えを受け入れるように再三要求し、異母姉である公妃マルガリータをネデル総督とし、その宰相として王国人枢機卿でありながら、公会議で知り合い側近としたアンリ・グラントを配した。姉が任された理由は、ネデル語と王国語を話せたからだという。
五年間の強硬な政策に、ネデルの都市は大いに反発。当時、総督府のあった宮廷に出向き、異端審問を行い、原神子信徒を弾圧、都市の自治権を剥奪し、市民には重税を課すなどの政策を中止するように申し入れた。
この申し入れを行ったネデルの都市貴族は宗派を問わず四百人にも
のぼる。廷臣たちは総督である公妃マルガリータに「あ奴らは
西ランドルの原神子教徒は、教会や修道院を暴動で破壊し、それがランドル・ネデル全体に広がった。これは、偶像崇拝の否定する行動であり、聖人の像や祭壇などが破壊されている。
南ネデルではその状況が激しくなり、総督は軍を招集。幾つかの蜂起した都市を包囲し陥落させ、その指導者たちを処刑したが、反乱が収まる事はなかった。
しかしながら、ネデルの原神子教徒を『乞食』と称するようになり、都市の蜂起が相次ぎ神国国王の要求を拒み始めるようになる。やがて新たな課税を否決し、神国軍の撤退を求めるなどした。宰相を解任、総督は一時国外に脱出する。
「神国兵を一万引き連れてやってきたのよ。今の総督は。それで、反発する貴族や都市の富裕層に異端審問をし始めたの」
自分たちの考えに従わない者は『異端』とする事で、容易に弾圧することができるようになったのだ。
「ほら、メインツの対岸のナッツ伯領に滞在しているオラン公ヴィルム様もそれで避難しているの。他にも、帝国内や連合王国に逃げ出した貴族は沢山いるのよね。もっとも、連合王国も迷惑だから追い出したがっているみたいだけどね」
ここで話が繋がる。つまり、当初考えていた神国軍との補給の関係でコロニアが接点になるのではないかという考えではなく、神国軍に反発、対抗する貴族・市民がこの街に逃げ込むなり、関係者が多くいるということでコロニアは一層、騒々しくなっているのだろう。
「神国兵はサラセンとも戦ってきた精鋭が相当含まれているそうよ」
「……なるほど……」
「その他に現地で相当の傭兵も抱えているそうね」
「オラン公やネデルの都市も相応に抱えているのでしょうね」
いつ本格的な内戦に突入してもおかしくはない。その状況からすれば、ネデルを脱出したオラン公が軍を編成し、ネデルへと帰還する可能性も十分考えられる。
「折角、ナッツに滞在しているのだから、顔くらい見ておきましょうよ」
「ふふ、そうですね。それでも、相当に警戒しているでしょうから、簡単には会えないのではないでしょうか」
「まあ、あなたが本当の身分を示してメイヤー商会経由で連絡を取れば、窮しているだろうから、多分飛びついて来るわよ」
王国副元帥リリアル男爵。とは言え、彼女に軍を編成したり派遣する権限は全くない。便宜上、リリアルを王家以外の存在に利用されないために与えられた職位なのだから。
それが、ネデルの貴族に分かるかと言えば分からないだろうし、彼女と接触する事で、王国を味方にできると考えるかもしれない。連合王国と結びつきが強いネデルの貴族は、潜在的には王国の敵に回る可能性も否定できない。
反面、連合王国と切り離し、神国に抵抗させることで、連合王国・神国の王国に干渉する力を削ぐ事ができる可能性もある。
『まずは、連絡してみればいいだろ』
『魔剣』が言うまでもなく、相手がどのような反応をするか、彼女は想定してみることにしたのである。
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