第305話-1 彼女は『ルリリア商会』を設立する

 ある時は謎の行商人見習の少年『アリオ』、そして、またある時は

帝国を旅する商会の娘『アリサ』……というところで、彼女は架空の

商会を設立する事にしたのである。


「リリアルやニース商会は不味いので……」


 彼女は『伯爵』の商会を主な取引先とさせてもらう事を思いついた。これまでは王国内で『伯爵』が買付け自身の商会経由で帝国内に流通させていたのだが、販路拡大のために帝国内に直接商品を持ち込む……ということを考えたというカバーだ。


「実際、ワインやポーションはお得意様だから、問題ないかもね」

「姉さんが煩そうね」

「それはそうでしょう。でも、ルーン商会が直接帝国内で商売をするのは無理があるから、納得はするんじゃない?」


 ニース商会は、サボア公国の東部、トレノ以東に拠点となる場所を探しているのだと聞いているが、人を得ていないと姉が愚痴をこぼしていたような記憶がある。


『ムズイだろうな。少し前まで、サボアの東側は現在帝国領のミラン公国の支配下だった都市が多い。帝国とニース領は……仇敵同士だからな』


 王国と帝国も勿論敵対している。リリアルでない偽装が必要であるのはそういう理由である。


『商会の本店どうするんだよ』


 調べられた場合、面倒なことになり兼ねないが彼女には思惑があった。


「子爵家の知り合いで商会を畳む予定の所があって、そこを買い取る事にするの。子爵家が出資したという形でね」


 比較的政治色の薄い王都の管理人然とした子爵家が、知り合いに頼まれ出資するのだから問題ない。


「そこの従業員に積極的に孤児を採用されるのは只の偶然だと思うのよ」


 つまり、リリアルの使用人や商人として将来を考える者の研修先にも活用できるという事だろう。流石に、使用人に孤児が多いという事までは調べないだろう。


 リリアルと子爵家の関係は調べれば解るのだが、帝国に販路を求めるにあまり不自然ではない取引は必要だろう。


「そもそも、帝国に何を持ち込むつもり?」


 伯姪の疑問に、彼女は「蒸留酒とポーション」と答える。どちらも王都近くにルーン商会が工房を持つ……とされる蒸留により精製される商材だ。高価で付加価値が高く、少量で単価が稼げる。行商に近い形態でも、十分に帝国に持ち込んで採算が取れる……と相手が判断してくれればいい。


 ニース商会が直接取引をするのが上手くいかないので、商会頭夫人の実家の持つ商会経由で帝国に持ち込んだ……と思われる程度ならいい。


 ニース商会がニース辺境伯家の旗下の組織であり、騎士団の別動隊と目されていることを考えると、子爵家の出資する商会はそれほど注目されることはないだろう。彼女の実家の子爵家は文官だ。


「商会名を考えたの。『ルリリア』商会よ」

「……いい……名前ね」

『アナグラムじゃねぇか。分かりやす過ぎるだろ!』


 伯姪は声に出し、魔剣は彼女にだけ聞こえる念話で反応する。


 そうと決まれば、早速商会買収の手続きを始めるべく、祖母と父である子爵に連絡を取るのであった。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




「お話は旦那様から聞いてますわ。私が商会頭を務めるわね」

「お母さんが商会頭って大丈夫なの。心配よね妹ちゃん」


 子爵邸に『ルリリア商会』の設立の挨拶に出向いた彼女は、商会の運営に関して母が関わる事になるとは全く思っていなかったので驚いていた。


「……名義上商会は存在しますが、主に私が個人的に活用するつもりで……」

「公務でしょ公務。詳しい事は聞かないように旦那様に言われているけれど、名前からして、あなたが王国の為に働く商会であるという事はしっかり伝わってきます。


 それはそうだろう。『だから言ったじゃねぇか。もう少し隠せって』と魔剣がぼやいているが、彼女自身はルリリア商会とアリサという名前が気に入っている。


「まあ、お母さんと私はこれから取引先になるから。改めてよろしくね」

「ええ本当に。帝国でお知り合いになった商人さんが王都に来るさいは是非とも接待させてもらいたいわね」

「……危険なので辞めて頂けますか……」

「なに、大丈夫だよ。その時は私も人を出すし、リリアルの一期生の侍女を配置すればいいでしょう。あの子達もすっかり大人だし。いい経験になると思うよ」


 そういう問題ではないだろうと思うが、本人はすっかりヤル気なのであまり細かい事は言わないでおこうと思うのである。


「姉さん、それで申し訳ないのだけれど、蒸留酒を用立てて貰えるかしら」

「勿論だよ。どのくらいの数があればいい?」


 今回は小さいサイズで数を揃えたいと考えている。瓶詰にして、ラベルもルリリア商会ということがはっきりわかる物を揃えたいと彼女は考えている。


「香水も出そうか」

「……可能であれば」

「勿論だよ。まあ、花畑を用意するのに今のところ限界があるから、どちらかというと贈答品扱いになるだろうけれどね。気に入ってもらえるなら、それで注文を取ればいいと思うよ」


 貴族相手の商売となれば、本人のみならず奥方にも必要だろうし、同時に愛人にも必要かもしれない。


「それと、数を売るなら香水をアルコールで希釈して香りが直ぐに広がる物がお奨めだね。香水の場合、体臭と混ざると危険な人もいるからね」


 姉曰く、「ハンガリー水」と呼ばれるアルコールとハーブを素材とする化粧水は『トワレtoilette』と王国では呼ばれている。トイレの意ではあるが、身繕いの意味もあり、この場合は後者の意味に当たる。


「戦場で怪我した時の消毒にも使われるんだって。まあ、その場合、アルコールがメインになるんだろうけどね」


 清潔な水を調達することが難しい戦場において、度数の高い酒で傷口を消毒するという話は聞いたことがある。これは、ポーションよりは安価であり、消毒用に用いられる味は二の次のアルコール製品であると言えるだろう。


「戦争中のネデルを抱えるから、帝国にもその相手にも需要があるね。まあ、平和な武器商人って感じでうまく取り入ればいいんじゃないかな。戦争で儲けるけれど、命を救う方向だから悪い事じゃないよ」


 戦場に持ち込むのであれば、破損しにくい金属容器の方が良い気がするが、それは成型が難しいかもしれない。


「確か、枯黒病の対策のためにアルコールとハーブを使った消毒の薬が作られたと思うわ。薬用酒という位置づけの物もあったから、飲む薬で消毒にも使えるというものが売れそうね」

「あはは、体の中からアルコール消毒って、駄目な酔っ払いの戯言じゃない。まあ、売れれば何でもいいんだけどね」


 何でもいいのよねと彼女も少なからず同意する。主原料をワインとして、それに薬草の成分を抽出した物を添加するのであれば、ポーションを加えてみるのも良いかもしれない。高価なものになりそうだが、相手は貴族であるから問題ないだろう。


――― 帝国の皇帝は二度戦費で破産しているというのも頷ける。


 そして、ラベルのデザインは、如何にも王国・王都の商会であり、王国貴族がオーナーの商会であるという事を明らかにするために百合の意匠を加える事にした。


「帝国とネデルが戦争しているところだから、問題ないよね」

「製品としてよい物だったら、王国の軍にも採用されないかしらね」

「それは大前提だよお母さん。出来たら、騎士団と王宮にも献上して、商会頭は王妃様にご挨拶に行かないとね」


 母は「えー」という顔をしているのだが、王家の臣下である子爵家が王家の象徴である百合の意匠を用いるのだから、一言あってしかるべきだと思われる。


「まあ、妹ちゃん連れて行けば一発で許可してもらえると思うよ」

「そ、そうよね! 王妃様と昵懇の間柄ですもの、きっと喜んでいただけると思うわ」


 トワレは王妃様に、ブランデーは国王様に喜ばれるだろうとは思われる。意匠のデザインは母と姉に委ね、彼女は一先ず話を終える事にした。


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