第277話-1 彼女は飛来した吸血鬼と対峙する

 空飛ぶ蝙蝠の群れ、彼女が様子を伺っているとヴィーが口を開く。


「ちょっと大勢には見せられないけれど、貴方ならいいか」


 そう告げると、帝国の魔術師は言葉を紡ぎ始める。


『おいおい、風の精霊になにさせようってんだよ』


『魔剣』は既にその呪文の意図に気が付いたようで、彼女に聞こえるようにそう告げる。


「風の精霊シルフよ我働きかけの応え、我の欲する風の翼を与え給え……『疾風sturm』」


 ヴィーの周りを風が取り囲み、その体がふわりと宙に浮く。彼女であれば魔力壁を階段にして駆け上るところだが、似たような高速でさらに滑らかに蝙蝠の群れに向かい飛び去って行く。


「飛行魔術……」

『いや、風を纏って速度を上げる身体強化の一種だが、極めると空も駆けることが出来るみたいだな。初めて見たぜ』


 蝙蝠の群れに飛び込んだヴィーは両手に持った銀色に輝く片刃の曲剣で次々と蝙蝠を切り飛ばしていく。魔力が高いからか、それとも聖なる力が宿っているかは分からないが、パンパンと青白い輝きを発しつつ蝙蝠たちが霧散していく。


「化体だからかしら」

『解呪に近いかもな』


 それに発光が続き、周囲がそれに気が付く。彼女は魔力拡声を用いて吸血鬼の空からの接近に注意を払うよう城内外に広く伝える。


 俄かにミアンとその周辺に駐留する王国軍の野営地が騒がしくなる。幸い、王都からの救援部隊の到着は明日以降であり、野営地にさほどの戦力がいないことは安心材料である。


『見学継続か?』

「下手に参加すると、邪魔になるわ」


 彼女は既に、魔力網を魔法袋から取り出していた。このままでは埒が明かないと考えた無数の蝙蝠の一部が、ヴィーを躱して城壁に近づこうと移動を開始し始める。


「何だかとても気持ち悪いわね」

『蝙蝠自体が気味が悪いだけじゃねぇな。化体ってのはそいつの魔力で形成された分身だから……不快に感じるんだろうさ』


『魔剣』曰く、本体は一つで、それ以外は自らの魔力を蝙蝠の形に変化させたものだという。


「大きな樽からワインを小分けにしているわけね」

『その逆が人化なんだろうな。俺は専門外だから分からんが』


 分身を作るという行為が慮外ではある。出来れば、便利な技能だろう。囮や一人時間差攻撃など使い道がある。


『何らかの触媒が必要みたいだな魔術師の場合。普通の人間だからな』


 中空に魔力壁を展開し、一気に階段状のそれを駆け上がる、そして、彼女は魔力網の端を握り、魔力を通しながら一気に蝙蝠の存在する空間に網を投げ入れ振り抜く。


 パパパパパパパパパパーン!!!


 花火のようなマスケットの連続発射音のような爆発が周囲に巻き起こる。さらに……


 パパパパパパパパパパーン!!!


 パパパパパパパパパパーン!!!


 彼女の『聖性』を纏った魔力を通した網に振れた吸血鬼の化体は、ドンドン数を減らしていく。最初の頃の数分の一にまで減ったであろうか。僅かな時間でこれほど数を減らせるとは思いもよらなかった。


「アリー 良い感じね、一旦降りましょう」


 風を纏ったヴィーが中空の魔力壁に拠って立つ彼女に声をかけ、彼女は壁を蹴って城壁の上へと降下する。城壁の上の兵士たちは大盛り上がりのようだが、吸血鬼が接近してくると伝えると、俄かに怯えの色を宿す。


 吸血鬼とは血を吸う『オーガ』なのだから当然だろう。そして、蝙蝠が一塊となるとやがて小さな人型を取るようになり、空を風を纏ったかのようにふわりふわりと降下してくる姿が見て取れるようになった。


「あいつ、随分と小さくなったわね……」

「……え……」


 ヴィー曰く、本当はビルより少し年上の額の広い中年の軍人の姿をしているのだというが、いま目にしているのは……


『どう見てもガキだな。あれだ、癖毛の小僧が学院に着た頃に似てる』

「ああ、感じの悪い捻くれた餓鬼そのものの頃ね。分かるわ」


 目が細く、印象の良くない目つきの子供がそこにはいた。


『オリヴィ・ラウス、久しぶりであるな』

「……そうね、男爵」

『ふむ、君はいくつになっても美しいな』

「女性を褒める時に年齢を含めるのは失礼よ。それにしてもウォーレン男爵は随分とちんまりしたわね。どうしたのかしら? いつもに増して器が小さいわね」


 オホホと挑発するかのように笑う帝国の魔術師。ウォーレン男爵と呼ばれたその少年にしか見えない吸血鬼は、城壁の高さの空中に浮かびながら、「煩い!!」とか「無礼者!!」などと大声を上げている。


 話が進まないので、彼女も声を掛ける事にした。


「ウォーレン男爵。始めまして、王国副元帥リリアル男爵です。夜分に先触れもなく他人の家に押し掛けるのは帝国流の礼儀作法なのでしょうか?」


 ヴィーは平民であるからという理由で礼儀を踏みにじるのであれば、同格の男爵にはどう出るだろうかと、彼女は身分を明かし相手を値踏みすることにした。


「おお、君が名高いリリアル男爵か。これは随分と可愛らしい少女ではないか。どうやら王国の人材難も極まっているようだな」


 自分の外見が十歳そこそこのクソガキにしか見えないことを失念したのか、ウォーレン男爵は彼女の外見を馬鹿にしたいようである。


「どうやら、心と知性の貧しさが見た目の貧相さに滲み出ているようですわね。夜分にコソコソドブネズミのように忍び込もうとして、大半の化体を叩き落とされ、恥ずかしい姿でしかない男爵閣下に言われる謂れはございません。

 鏡見て、出直す事を勧めます」

『まあ、吸血鬼は鏡に映らねぇんだけどな』

「では、ブーメラン乙とでも言いましょうか」


 半ズボンが似合いそうな外見のウォーレン男爵は『無礼者!!』などと激高している。


「忙しいのだけれど、用件はなんなのウォーレン男爵」

『いや、君の無事を確認したかっただけだよ。追い掛け回されて逃げまどっている君が焦燥していないか心配でね』

「お生憎様。散々繰り出したアンデッドたちも粗方討伐されて、無駄に王国を警戒させて、ミアンも取れなかったあんたに、上がどんな処罰を下すか、楽しみなんですけど! ぷー くすくす」


 意外と低レベルの煽り合戦となっている。


『ば、馬鹿者! 我主はしばらくお目覚めにならぬ。その間に軌道修正は可能の範疇だ』

「無理だよ、この街アンデッド対策すすめられちゃうもん。だよねー」

「ええ。全周を水堀で囲んで、哨戒所も拡充させますし、市民兵用の退魔装備も売りつける予定ですから、多分攻略は不可能となるでしょう」

「だってさー ざ・ん・ね・ん だねー」


 そもそも、大聖堂を持つ司教座都市なのだから、そう簡単にアンデッドに制圧されることは今後あり得ないだろう。一万のスケルトンを用意し、千のワイト擬きも数百年は素材が集まらないだろう。百年戦争の時の死体は今回粗方浄化してしまったはずである。


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