第92話-2 彼女はリリアルの紋章を考える
一旦学院に戻り、調査の仕切り直しを行うことにする。『伯爵』からの情報も検討の余地があるだろうが、手元にある情報ももう一度精査するのである。
「発生している場所って、最初はスラム周辺で起こっていたけど、移動しているみたいじゃない?」
伯姪と二人で騎士団の報告書を時系列で確認し直すと、一年程前はスラム周辺で襲われている事件が発生していたものが、最近では山手もしくは川沿いのエリアで発生しているのである。
彼女は、『伯爵』が自分の配下の街娼のレヴナントを育ててきた時期に一致するように思えた。仮に、人攫いの組織にレヴナントが関わっているとすれば、『伯爵』のテリトリーとなっている墓地周辺は避ける事になっているのだろう。それは、他の人攫いの構成員も同じなのだろう。
「王都周辺で発生しているとか……行方不明とかね」
「正確に把握されているのは納税する者だけだから、子供に関してはわからないのではないかしら」
人がいなくなっても騒がれないスラムで人攫いができなくなって、下町から山手に働きに出ている女性の帰宅時を狙って襲うように推移していることが報告書から読み取れる。その延長線上には、王都外の集落でも同じような事件が発生していることが想像できる。
「でも、誰がどこに連れて行くのかしらね」
川を下ればロマンデ最大の都市『ロアン』に辿り着く。ロアンは、ロマンデ公国が存在した時代においては公都であり、大きな港を有しているレンヌをさらに栄えさせたような街である。
また、百年の連合王国との戦争の時代、連合王国に占領されていた時期も長く、連合王国とのつながりが深い都市でもある。条件としてはレンヌより王都と連合王国に近い分、レンヌと同じ組織が関わっているのかもしれない。
レンヌの人攫い・非合法な奴隷商人も末端の関係者以外は捕まえる事ができていないのだ。組織自体は健全で、取り締まりが強化され、組織が破壊されたロアレ川を使った活動より、王都を流れるルーテ川を利用した活動に重点を置いているのかもしれない。
「ありえるわね」
「山手のどこかの建物が集積場所になっているとか?」
「ニースであったのと同じパターン……かしらね」
彼女と伯姪は穀物倉庫に収容され、樽に入れられて法国に『出荷』される予定であったのだ。王国でも、商人が荷物の中に紛れ込まして船で持ち出すのであれば、人目に付かず簡単に連合王国に持ち出すことができるだろう。
「連合王国から帝国内へさらに出荷されていたりするのでしょうね」
「一度王国から出されてしまえば、もうわからないものね」
山手の商会で働く使用人の若い女性の人攫い……ニース商会で情報収集をしてもらい、彼女と伯姪が囮となって今回もまた捕まるのも一つの案だろう。
「時間が掛かるわよね」
「そうね。レヴナントの男を探し出すことができなければというところかしらね」
捜索の範囲を山手方面に切り替え、魔力を有する怪しい男を探すことに目標を切り替える。レヴナントが捉えられず事件が継続するようであれば、ニース商会に使用人として通いつつ、攫われることで囮捜査を行う。
「一先ずはここまでにしておきましょうか」
事件自体は人攫い失敗による傷害事件の発生と考え、実行犯のレヴナントの捕捉に注力することに、今後の方針を定めるのであった。
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学院を空けている間、実は大猪がかなり頑張っているようで、学院の周辺に畑が拡大しているのである。勿論、薬草以外の野菜畑が主であるのだが、可能であれば小麦の栽培なども行うことになるだろう。癖毛と伯姪が夕食後久しぶりに会話をしている。
「畑の開墾順調じゃない」
「ラモンに鋤を引かせてるからな。いい傾向だろうな。抑えるのだって力がいるから、魔力による身体強化の練習にもなる」
最近、大猪の仮小屋も畑の横にできているので、畑仕事の時間もそれなりに確保している癖毛と歩人である。
「流石に、あいつが畑の周りにいるとだな、鹿やら兎やらが近づいてこないから良い傾向だよな」
畑を荒らすウサギや作物を食い散らかすシカやイノシシも魔物の大猪が傍にいると、近づいてこない。この学院周辺が「大猪の縄張り」と認識されているようで何よりである。餌代は馬鹿にならないのだが……
「ゴブリンの死骸とかでもいいんだよな……」
「狼とかにしておいてもらおうかしらね。流石に、魔物とはいえ人の形をしているものを目の前で食べられるとみんなが怖がるでしょ?」
最近、大猪は彼女のことを『主上』と呼ぶ。理由は、主の主であるからだそうだ。癖毛は『主じゃねぇ』と説明したようだが、実態で把握されたようだ。つまり、この群れの主は彼女であると大猪も認めているのだ。
その畑周辺で、彼女は『アコナ』の花も栽培できるものなら栽培しようかと考えている。伯姪に『アコナ』についての話をする。
「魔物退治にも一工夫しようかと思って」
「……それがこの花『騎士の花』なのは、なんで?」
その花は、魔術の女神を司る花と言われ、一般には庭に植える事を禁忌とする。また、悪魔の雫と呼ばれる場合もあるが、この植物の持つ危険な特性からくるものなのだ。
「『アコナ』の花の地下茎や葉には強力な毒が含まれているのよ」
「……どのくらい?」
「小指の爪ほど口にすると、痺れて動けなくなるくらい?」
伯姪は彼女の話を聞きドン引きする。葉の一枚も食べれば心臓が痺れて死に至るのだという。
「東方の猟師はこれを矢に塗り獲物を倒すそうよ」
「……毒のついた肉って危険だし、食べられないじゃない」
「その部分を大きく斬り落としてしまうという事と、毒は熱に弱いのでどの道、焼いて食べる分には問題ないのよ」
とはいえ、何でもかんでも使いたいとは思わないのだが。
「魔物討伐、弓に塗るとか有効なのよね」
「なんで知られてないの、あなたは何故しっているの?」
勿論、こんな危険な毒を扱うのは危険であるし、毒性の強さから毒殺の危険を考えると知られるのは余りよいことではない。彼女は薬師として毒に関しても勉強しており、この毒は強力で解毒効果も効きにくいので注意しているものなのだ。
「でも、扱いが危険なのでしょう?」
「ポーションにして、放つ直前に矢を浸すとかかしらね。鏃には魔力を通せると更に効果的なのだけれど」
「鏃に横溝入れたミスリルの矢という感じね」
「ポーションも粘度を高めてある程度流れ落ちない物にするとかかしら」
「ああ、塗り薬みたいにするとかね!」
粘膜から浸透するのが危険であるので、付いたとしても洗い流せるものではある。とはいえ、危険であることには変わりがない。
「魔力付与しないと活性化しないように工夫ができると良いのだけれど」
「ああ、魔物には魔力があるから、そういう意味では魔物に限定された攻撃手段になるかもしれないわね」
伯姪の言葉に「研究の余地があるわ」と彼女は思うのである。
とはいえ、生花でも危険な存在であることから、学院の生徒には注意しておかねばならないだろう。
「リリアルの紋章を定めるとすれば、この白い花を使うつもりよ」
「どこにでも咲いている、知らずに触れれば命を失うかもしれない花というのは、いいんじゃないのかなリリアル学院ぽくってね」
さりげなく咲き、気にも留められないが触れば危険を伴う存在だと認知されるのは悪くないことだろうと彼女は考えるのであった。
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