第010話-1 彼女は肩の荷を下ろす……はずだった
彼女にはささやかな夢があった。それは、実現可能であり、年相応なロマンティックな少女趣味と言えるものであった。
彼女とて夢を見ないわけではない。例えば、大商会の跡取りとは言え都の本店でふんぞり返っているようでは先のない商会だろう。祖父の代でなりあがった彼の家は、若い頃夫婦二人で数年行商を行うことが通過儀礼となっていたりする。
『なんだかロマンチックなこと考えてるんだな』
「そのくらいの夢を持っても罰は当たらないでしょう」
彼女たちが訪れる小さな町や村は年に1度訪れる彼女たちを楽しみにしているのだ。
「採取した素材で薬を作ってそこで売るか物々交換するのよ」
錬金術師はおろか、薬師もいない辺境の寒村で彼女がもたらす薬は命を救うものなのだろう。どの村でも歓迎されるのだ。
「そこで珍し素材を集めて王都で卸すの。勿論、冒険者ギルドに持ち込むわ」
商業ギルドでは鞘をたっぷり抜かれるが、冒険者ギルドは消費するものに近いのでそこまでではないのだ。ポーション一つとってもわかるだろう。
「王都で流行りの服や質の良い刃物なんかを買って……また訪れるのよ」
時には魔物や野盗に襲われることもあるだろうが、彼女の冒険者・魔術師としての本領が生かされることになるだろう。いざとなれば旦那と貴重品くらいは守り抜いて見せる。魔法の袋もあるのだから。
『ダンナも駆け出し冒険者くらいはなってほしいもんだな』
「まあ、護衛ができるくらいの腕であれば言うことなしね」
多少剣が使え、時間稼ぎか自衛はして欲しい。その間に、彼女が始末するからだ。数年して王都に戻り、そして子供が生まれ、若夫婦として本店を切り盛りする。子供が大きくなれば、また夫婦で行商に行くのも……良いかもしれない。
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『おい、現実に戻ってこいよ』
魔剣の声にふと我に返ると、ここは王宮の控室であった。
彼女は村から戻った後泥のように眠り、翌日も昼食まで眠っていたのである。流石に魔力も体力も限界となった彼女は、そうせざるを得なかったのだ。
昼食を部屋に運んでもらい済ませると、午後は冒険者ギルドに報告へ向かうことにしていた。昨日、野伏と女僧とは馬車の中で寝落ちする前にそう約束していたのである。
ワンピース姿でギルドを訪れた彼女を目ざとく見つけた顔なじみの受付嬢が、周りに気が付かれないうちに2階のマスタールームへといざなう。日頃の冒険者の装いではないので、依頼人かと思われて、数少ない冒険者たちには気が付かれなかったようなのではあるのだが。
マスターの執務室では、彼女を出迎えるマスターの姿が見られた。それは冒険者とマスターという関係ではなく、子爵令嬢に対するそれである。
「よく御無事で戻られました。報告を聞いた時には、胆が冷えましたが」
おそらく、この最初の一言が、彼の言いたかったことの大半であろう。
「ご心配をおかけしましたが、無事帰ることが出来ました。また、代官の娘として王に対する責を果たすことが出来ましたこと、嬉しく思っています」
令嬢の返礼に、マスターも珍しく笑顔で答える。受付嬢が淹れてくれた紅茶を飲みながら、今後についての報告を行う。
「……キングの率いる群れが騎士団の先発隊を襲って行方不明……か。その話は聞こえてこないな」
「そうですか……」
騎士団のメンツがある。ゴブリンに殲滅され影も形も見えないなどと、口が裂けても言えないだろう。とはいうものの、生き残ったゴブリンを吸収し50匹以上のキングが率いる群れが王都周辺に潜伏しているはずなのである。
「商業ギルドに薬師ギルドには話を伝える。騎士団からは出てこないだろうな」
「ええ、そう思います。生き残りのゴブリンを掃討はしたようですが、数が少ないので。おそらく、脅威の元はそのままだと思われます」
少数とはいえ罠にはめて騎士団を殲滅する相手が、そうそう尻尾をつかませるとは思えない。考えるに、今回は威力偵察を兼ねた村への襲撃であったのだろう。大規模な防御施設を備えた村落を襲うことが可能かどうか。キングの子飼いを使うことなく、言葉巧みに二つの群れを誘導し彼女たちにぶつけたのだろう。
「複数の上位種率いる群れを吸収した可能性か……」
「キングに協力もしくは賛同するが、別々の群れが共同で襲撃に参加したように見えました。連携も不十分でしたし、それぞれの上位種が好きに攻め立ててきたようです」
「それと……やはりゴブリンは魔術師を食べることで魔術を使えるようになる……か」
確定ではないがそう見て取れる現象はあった。おそらく、冒険者や騎士団に参加する魔術師は優先的に狙われ、おいしく頂かれることになるだろう。消えた先遣隊には1名の宮廷魔法士が含まれていたようである。
とはいえ、詠唱を伴う魔法は発声ができないゴブリンには難しいので、宮廷魔法士らしい魔法は使用できないと思われる。とはいえ、通常の魔術はゴブリンの能力で減退したとしても冒険者からすれば脅威だろうし、襲われる村からすれば考えられないことだといえる。
「魔狼の群れはどうしたのか、話せる範囲で頼む」
彼女は騎士団に説明した内容より、事実に近い内容で話をすることにした。
「なるほどな。熊除けの油か……」
「熊であれば動きが緩慢なのでうまく命中させられるのですが、魔狼は素早さも危険度も高いので、工夫が必要となるでしょう」
魔力で身体能力を強化したり、魔術で油球を形成して鼻面にぶつけるというのはなかなかに難しい。柵越しに叩きつけるくらいはできるかもしれないので、何も手がないよりはましだろうけれども。
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