第009話-1 彼女は星空を背に宙を舞う
もしもこの夜、月が輝いていたならば違っていたかもしれない。
もしもこの夜、雨が降っていたならば違っていたかもしれない。
村の柵越しに眺める彼女とジェネラルの死闘は、その魔力の輝きで彩られる姿を目にした村人からは妖精が戯れあっているように見えたという。
堀で暴れているゴブリンチャンピオンは上ることできず、そして奴はカナヅチであったことから、水を大量に呑み込み溺死していた。群れには1体のキング、1体のジェネラル、1体のチャンピオンが所属しており、彼らは元々別の群れであったものが、キングの元に集まった集団であった。
故に、チャンピオンの群れはチャンピオンが死んだ途端、村を離れ始めたのである。敗走の始まりだ。ジェネラルの群れの仲間は既に、ホブゴブリンが戦死してしまい、雑兵のゴブリンがジェネラルの転げまわる姿を見て激しく動揺しているのである。
『少しアクションを変えよう』
「いいわね。少し舞を踊りたい気分なのよ」
彼女は体を左右に入れかえながら、魔力で身体強化を行いつつゴブリンの首を軽やかに切り落としていく。あくまでもジェネラルをけん制し、警戒しつつその周囲の子分どもの首を跳ね飛ばしていくのだ。
足を振り上げる反動で宙に舞いあがり、腰をひねって左右に飛ぶ。魔力による筋力強化で三回転半ジャンプも空中でできる勢いだ。
『いいね、その調子だ』
「だんだん足の置き場がなくなるわね」
『ならば跳躍すればいい』
魔力で強化された体は容易に数メートルを跳躍する。舞を踊るように飛び跳ねつつ、ゴブリンの首を刈り取る姿は遠目では幻想的であったろうが、ただただ血腥いと彼女は感じていた。
『ゴブリンは臭いからな。あとで水洗いしないとな』
「いますぐしたいくらいだわ」
魔力を纏わせた水でゴブリンの返り血を洗い流したいのだが、そんな贅沢は明るくなるまでは無理だろう。
それぞれのリーダーに従うゴブリンの数はおよそ40匹。チャンピオンの率いる群れは半数が倒され、半数が逃げ散った。ジェネラルの群れは今現在進行形で彼女が狩り尽くそうとしている。
『もういい加減大丈夫だろう』
魔剣は全身焼け爛れた将軍の権威のかけらも残っていない崩れた肉と鎧の持ち主にとどめを刺すよう彼女に促した。
「いいえ、いい声で鳴いてもらいましょうか。もう一度」
彼女は例の油球(辛)をジェネラルの残骸に叩きつけた。
『GGGGyooooooooo!! Lolollololo………』
全身の皮膚が焼け爛れているところにカプサイシン色の油をまかれたなら激しい絶叫とショック死するくらいのダメージが入ったのだろう。大きく叫んだのち、ジェネラルだった肉の屑は動かなくなる。
『さて、夜食の時間だな』
魔剣はジェネラルの持つ魔石を吸収した。その感想は……
『ゴブリンの魔石じゃねえな。こいつ……魔導騎士を襲って喰ってるな』
鎧の出どころとはちがうのであろうが、魔導騎士を食べた結果、魔力を操れるようになるとは……とんだカニバリズムである。
今回の群れでは今のところ見かけないのだが、ゴブリンのメイジやシャーマンが魔術を扱えるのは人間の魔術師を食べたから、より具体的には死にたてほやほやの新鮮な脳を食べたからではないかと言われている。
とはいうものの、その実験と検証を行うには……いろいろ問題があるので推測の域を出ない。完全な臆測とはいえ荒唐無稽でないといえるのは、魔術を使うゴブリンを倒した後、腹を裂いたところ、胃の中から魔術師の物と思われる遺留品がでてきたのだ。
「眉唾ね」
『そうともいえない。遺留品は死んだ魔術師の指輪のついた……指だからな』
彼女は心底嫌そうな顔をした。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
既に夜半を過ぎ、ゴブリンの襲撃は峠を超えたと思われている。実際、稼働戦力の2/3は討伐され無力化された。彼女はいったん村の中に引き上げ、破壊された柵の確認や、堀に落ちたチャンピオンにとどめを加えたりして、一旦戦線を整理することにした。
襲撃開始前に作り置きしたスープを夜食代わりに皆で交代で食す。明るくなるまであと一刻というところだろうか。空と地面の境目が明るくなってきているのだ。
「お嬢、助かりそうですな」
村長が疲労の濃い顔を見せながらも朗らかに話しかけてくる。周りの村人の表情も明るい。
「門の前には逆茂木も増やしましたし、死んだゴブリンの死体はまとめて後で穴を掘って埋めないといけませんね」
薄黄僧侶も少し気分が高揚しているようだ。とはいえ、濃黄野伏がキングの存在が不明であることに注意を促す。
「チャンピオン、ジェネラルが前線に出て討伐されたのにまだゴブリンが逃げ散らないというのは、キングの存在があることを裏付けてるだろう。明るくなるまで、救援が来るまでは油断できないぞ」
彼女はその通りだと思う反面、なにをキングはするつもりなのだろうかと考えているのだった。
薄黄僧侶は彼女が村の外でゴブリンを刈り取っている間、村長と同行し村人に助言をし、怪我をしたものを治して回っていた。とはいうものの、村の中に入り込んだゴブリンはわずかであり、怪我の主な理由は投石によるものであったりした。
明るくなるまでのわずかな時間、破損した柵の修理の指示を出し、死んだゴブリンの討伐確認部位を切り落したのち集めたり、彼女は冒険者としての仕事をしつつ、村長の相手をするのであった。
「このようなことは久しく聞いたことがありませんな」
村長はどこか他人事のようにつぶやく。村の外ではゴブリンの断末魔やわめき声が聞こえてくるものの、数刻前のような悲壮な緊張感は失われている。女僧は相槌を打ちながら、知らぬ間に廃村になってしまっていた村の噂を思い出し、「もしかすると」と思わないでもなかった。
それは、主な街道から外れた山村。半農半猟の村であったり、さびれた漁村であったりするのだが、久しぶりに行商人が訪れると、建物も破損しており、人の形跡も残っていなかったりするのだという。
「人の消えてしまった村というのは王都でも噂になっていたりするのです。災害や野盗に襲われて人が住めなくなった可能性もあるのですが、もしかすると……」
「今回は幸い、冒険者の方のおかげで気が付くことが出来ましたが、運かタイミングが悪ければこの村も同じような目にあっておったかもしれませんな」
あのまま、調査を依頼しなかったとすれば、不気味に思いながらも毎日をやり過ごすことはできたのかもしれない。不安に思いながらでもあるが。
やがて、ある時、夕闇か雨音に紛れてゴブリンの軍勢が不意を衝いて村を襲ってきたのであろう。男は殴殺され、子供は食い殺され、女と家畜と道具や武器は持ちさられる。
ある日行商人が村を訪れると、誰もいない廃村と化していることに気が付くことになったのだろうか。とはいえ、王都にも近く、代官が配されているような村の住人がすべて消え去るというのは大事件になったであろう。
「それでも、お嬢がいて下さらなかったら……」
「我々も残念ながら……この場には居合わせることはなかったと思います」
女僧はごまかすことなくそう告げる。何より、自分たちの仕事は調査であり、ゴブリンの大規模な群れを単独で討伐することなど慮外である。ギルマスも出立の際、念を押して送り出したではないか。
「お嬢は、大丈夫でしょうか?」
これが、何の関係もない冒険者であればギルドから処分が下されたかもしれない。彼女はこの村の代官の娘であり、調査に協力する書状を携えて訪れているのである。ギルドからの依頼を受けて冒険者として訪問した訳ではない。
むしろ、彼女が「王家の代官である子爵家の令嬢」として振る舞ってくれたおかげで、冒険者二人が村に残ることができた。彼女の護衛という名目でだ。
「無事に朝を迎えることができれば、子爵家は褒められることはあったとしても譴責されることはないでしょう」
「それはなによりです。村を守ったために、お嬢が罰せられるのなら、村人こぞって王都に陳情に伺うことも辞しませんぞ」
まるで孫娘でも慮るように村長は言葉にするのである。女僧も騎士の娘としてそれなりに貴族の娘と接することもあったし、冒険者としても貴族の子女の護衛をする関係で、会話をすることがある。それでも、村長と彼女のような心の距離感を感じる事はいまだかつてないのである。
貴族と平民の間には、本来大きな隔たりがあってしかるべきというのが貴族としての常識であり、平民としての常識でもあるのだ。
「彼女は村の方に愛されているのですね」
「はあ、恐れ多いとはおもいますけど。人間として扱われたら、それは愛さずにはおられんお方ですからの」
小さなころから見知った存在であり、屋敷で働く村人も友人知人として大切にしてきた彼女だからこそであろう。村を守りたいと思えたのも、そのことがあったからに違いないのだ。
とはいえ、本人は今現在闇にまぎれてゴブリンの首を切り落としてまわっているのではあるが。
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