Syber-Fantasy:第16話
「ピピッ!」
あたしが店に入るとあたしが入店したことを知らせるエントランスシステムの音が店内に響いた。
週末にこの店に遊びに来るようになって3ヶ月くらい経っただろうか?
この店に出入りする主立った仲間達と一通り面通しが済んだ頃だったと思う。
いつもなら遊びに来た仲間達がバックルームに集まり持ち寄った麻薬を分け合いながら談笑していて、マスターはカウンターに座りバックルームの扉を開けっ放しにして申し訳無い程度の店番をしながら話に参加しているのだが、その日はバックルームの扉が閉まっていて、店内には誰も居なかった。
いつもはマスターが明るく出迎えてくれてバックルームに通してくれてたので、マスターが居なくてバックルームの扉が閉まっていると、勝手にカウンターの中を通って扉を自分で開いて中に入っていいものか躊躇われた。
毎週毎週、週末になるとここへ足しげく通う事が当たり前になっていたので、たまには真っ直ぐに帰宅して家でのんびり過ごすのもいいかなと云う思いが頭を過った。
あたしはここでみんなに分けて食べれるようにとショッピングモールで買ってきた手土産の茶菓をカウンターに置いて帰ろうと思い、買い物袋の中を手探りで物色しているとバックルームの扉が開き、マスターが顔を出した。
「お姐、何してんのさ?早く入っておいでよ」
いつも程の能天気な明るさではなかったが、他意のない笑顔であたしを出迎えてくれた。
「あら、今日はまだ素面なの?」
あたしがそう訊くとマスターは笑顔のまま
「ああ、まだね。これからさ」
と云い、更に笑いながらバックルームの中を指差して
「アイツなら、お姐を待ってたんだよみたいなキザな台詞を云うんだろうけどね」
と云い、いつもの能天気な笑顔を見せた。
あたしは安心して
「今日は扉が閉まってたからあたしは席を外してた方がいいのかなと思って」
と云いながらカウンターに入り、バックルームに入って行くマスターに続いて中に入った。
中に入ると初めに休憩用のテーブルに座っていたあの大男と目が合った。
吸飲用のガラスのパイプに覚醒剤を仕込んでいた手を止めて
「お!来たねぇ、待ってたんだよ」
と云って笑った。
マスターは小声で「な?」と云い、あたしに目配せをして微笑んだ。
大男と向い合わせに赤毛の女性が座っていた。
ここではパッチと呼ばれていたが、その呼び名の由来も知らなければ彼女の素性も知らなかった。
ただ週末にここで顔を合わせる率は高く顔に見覚えはあった。
いつも彼女が登場するのはあたしよりも遅く、大抵あたしがドラッグにキマった頃に現れたので、素面同士で会うのは初めてだったかもしれない。
あたしは両手で拳を作りテーブルの二人に突き出すと二人ともあたしの拳に自分の拳を突き合わせた。
この店で覚えた仲間の証のような挨拶で、話をしたことのない相手でも顔に覚えのある者同士なら誰とでも拳を突き合わせて挨拶をしていた。
あたしはバックルームの隅にあった長椅子を休憩用のテーブルの側に引寄せてそこに座り、自分の脇に買い物袋を置いた。
「パッチ、解脱するらしいぜ」
大男があたしにそう告げた。
扉を閉めて3人で何か深刻な話でもしていたのだろうとは感じていたけど、解脱などと云う聞き慣れない単語があたしを困惑させた。
「出家でもするって云うことかしら?」
見るとテーブルの上にパッチが持ってきたのであろうドラッグが山積みにされていた。
「それとも、ドラッグを断つってこと?」
あたしがそう訊くとパッチは頬杖をつきながら気怠るそうな声で応えた。
「解脱なんて云うからさぁ、なんかマジメな感じに捉られちゃうんじゃん?
そんなんじゃなくて、どっちかと云えば家出か駆け落ちってとこだねぇ」
この店には色んな人種の仲間達が出入りしていて、この店で出会わなければ話をすることもないタイプの人達と仲良くなれた。
このパッチと云う女性もあたしとは真逆な性格で、仮に学校のクラスメイトだったとしても一年間会話を交わさずに過ごすような相手だっただろう。
好きとか嫌いとかの問題ではなく、お互いに合わない相手だと認識して距離を保つような間柄になっていたのではないだろうか。
あたしから見てパッチは、男性に免疫があると云うか、男好きなんだろうなと思った。
いつも決まって男性の隣に座るし、大抵その隣に座った男性にもたれ掛かる様にして腕や太股を撫でるような仕草をして甘えた声で男性に顔を近付けて話をしていた。
「このドラッグ、もう必要ないから全部持ってきたんだけど、欲しかったら好きなだけ持って行きなよ」
パッチがそう云うと大男がそれに続いて
「他の連中が来る前に目ぼしいの選んじゃいなよ、包むからさ」
と云った。
覚醒剤やLSDにコカインと、彼女らしいアッパーなドラッグばかりが揃っていた。
パッチの印象がハイな感じなのは彼女がアッパーのドラッグを好き好んで使っていたからなんだなと納得した。
性格も真逆ならドラッグの好みまでパッチとは合わないんだななどと思った。
「あたし、家ではあまりドラッグやらないし、ここでみんなとキマった方が楽しいから」
と云い、二人のご厚意を角が立たない程度に丁重にお断りして、あたしは脇に置いた買い物袋からお菓子を出してテーブルの空いている場所に並べ始めた。
「あー、ありがてぇ」
パッチはあたしが並べていた茶菓から小袋に小分けされていたクッキーを1つ摘まむと、頬杖をついたままあたしに軽く会釈をした。
それに続いて今度は大男がパッチに、覚醒剤の仕込まれたガラスのパイプを見せて
「パッチ、ご馳走になるよ」
と云い、ガラスパイプを口に運び、それをライターで炙りながら吸い込んだ。
大男はガラスのパイプをあたしに寄越しながら
「お姐もやんなよ、パッチの奢りだぜ」
と覚醒剤を勧めてきた。
あたしはとりあえず、いつものようにまず最初に大麻を吸って落ち着きたいと思い
「あたしは、いいわ」
と断ると、マスターがそれに付け足すように
「まだね」
と云って笑った。
そしてマスターは巻きたてのジョイントをあたしに手渡しながら
「お姐は、まずコレだよな?」
と、したり顔を見せた。
「そうね、彼女はいつも私が来ると石みたいに固まってるもんね。ダウナーが好きなんだろうなとは思ってたわ」
とパッチもマスターの察しに感心する様な顔をした。
普段は弾けた様に明るいパッチが素面の所偽もあってか、今日は大人しい。
加えて、男性にしか興味がないと思っていた彼女があたしのことをそんな風に見ていたと云うことには少し驚いた。
今日のパッチとなら普通に色々と会話も出来そうな気がした。
ただ、あたしは余り自分から話を振るのが得意ではないので、敢えてあたしから話し掛ける事はしなかった。
マスターから受け取ったジョイントに火を点けて一口目の大麻を思い切り吸い込むと、あたしは暫く息を止めた。
すると唐突にパッチが誰にともなく質問を投げ掛けた。
「ねえ、彼女って、どっちかと付き合ってるの?」
髪の毛を編み込んだ幼い女の子があたしの席に向かって歩いてくる。
それに気付きあたしが微笑みかけると女の子はあたしの席の前で立ち止まる。
「タコさんウインナーやハンバーグ、ありがとう」
無邪気な笑顔で女の子はあたしにお礼をした。
あたしが女の子が歩いて来た方角に目を上げると、その女の子の母親がこれまた上品で優しそうな笑顔であたしにお辞儀をする。
「おねぇちゃん、えらいわね。お礼を云いに来たの?」
と訊ねると女の子は嬉しそうに大きく頷く。
「おねぇちゃんは良い子だから大丈夫だと思うけどね、さっきあたしと一緒に居たおじちゃん、お行儀悪かったでしょ?大声出したりしてみんなに迷惑をかけたでしょ?
大人でも悪いことをしたらお詫びしなきゃいけないのよ。あの料理はさっきのお行儀悪かったおじちゃんからのゴメンナサイの印しだから、おねぇちゃんは食べていいのよ」
と云い、あたしは女の子の頭を撫でてあげる。
女の子はまた嬉しそうに頷くとスキップをしながら母親の座っている自分の席に戻った。
あたしは目の前の自分で小皿に取り分けた料理を眺めながら
「ちょっと取り過ぎちゃったわね」
と独り言をこぼし途方に暮れる。
お店でバイトの仔から聞いた話を思い起こしながら、この料理が明日のあたしを形成するのかなどと思いを巡らせる。
そう云えば、あの若い女性の店員は最初に来た黒服の男性店員のことをオーナーと呼んでいたな、オーナーだったのか。
チャロの髪の色が昨日の時点ではまだ茶色だったと云っていたが、だとするとバイトの仔の推理は当たっていることになる。
バイトの仔と話をしていた時は、まさか昨日のチャロの髪の色を確認出来るとは思っていなかったのであまり真剣に聞いていなかったが、バイトの仔の話をもう一度思い出して整理してみようと思う。
バイトの仔が云うには、チャロは入店してからずっとあたしに背を向けていたらしいが、どうだっただろう?
エントランスシステムの音が鳴った時、チャロはまだ入口を入ってきたところだったので当然顔を覆い隠しでもしていなければ顔は見える。
その後チャロはレジに歩み寄って来てあたしの前を通り過ぎてあたしとバイトの仔の間で立ち止まった。
確かに不自然と云えば不自然な位置だったかも知れない。
お店の入口にはあたしの方が近くに立っていた訳だし、先に「いらっしゃいませ」と声を出したと云う理由でバイトの仔と話すのであれば、バイトの仔の云う通りバイトの仔の真ん前まで歩み寄って向き合って話すのが自然だ。
バイトの仔と向き合えばあたしの位置からもチャロの顔を見ることは出来たが、チャロがあたしとバイトの仔の間で立ち止まったことであの時点では顔を見ることは出来なかった。
けど、そんなのはたまたまだろうと云えば、たまたまで片付けられる程度の不自然さだと思う。
その後、バックルームに案内されてレジカウンターの中を通る時はどうだっただろう?
チャロはバイトの仔と話をしていたのでバイトの仔の方を向きながらレジカウンターの中に入ってきてバックルームへと歩いて行ったけど、あたしがバックルームの扉の反対側に立っていたのでチャロが終始あたしに背を向けていたのは全然不自然ではない。
以前チャロと終業後に遊びに繰り出していた頃、二人で街を歩いていた時は、勿論大抵は二人横に並んで歩いていたが、いつも行き先はチャロに任せていたので、あたしはチャロの後ろを付いて歩く事が多かった。
記憶の限り、あたしが前を先導して歩いたりはしたことがなかったと思う。
だからあの細い二の腕や腰をくねらせて歩く独特な後ろ姿はチャロの印象としてあたしの脳裏に焼き付いている。
正面から顔を見る以上に、あの後ろ姿を見た方がチャロをチャロだと気付き易かったと云っても大袈裟ではない。
まさか、チャロはそこまで計算してあたしに自分の後ろ姿を見せ付けたのだろうか?
そんな訳はない、完全にそれは考え過ぎだ。
バイトの仔が妙な事を云うものだから深読みし過ぎてしまっている。
このショッピングモールはあの頃からチャロの、チャロとあたしの庭みたいなものだった。
そのショッピングモールから駅に向かう近道の路地にあるあのマスターの店に立ち寄るのもまるで自然な話だ。
やはりわざわざあたしに会いに、若しくはあたしの様子を見に来た訳ではないんだろうな。
そう結論着けて自分を納得させると、何気無く口に運んでいた料理の味覚が一気に口の中で広がりだした。
このパスタ、美味しい。
チャロとこの店に通っていた頃は飲み物だけ注文して随分と長居したものだったが、こんな美味しい料理があったならチャロと来た時にツマミに頼んでおけばよかった。
チャロはあたしが退職した後、この店に独りで来るようになったと聞いたけど、この店の料理は食べたかしら?
ないとは思うけど、もしもまたチャロとこの店に来るような事があったなら、今度は料理も頼んで一緒に食べてみたいと思った。
あたしは自分の端末を取り出すと誰からも連絡が入っていない事を確認し、表示されている時計を見る。
もうすぐ24時半になろうとしているところだ。
このフードコートから、マスターの店の前を避けて遠回りして駅まで歩いたとして、それから電車に乗ってホスピットまで行っても充分に時間に余裕がある。
あたしが指定されるホスピットは大抵は自宅のあるネオサバーブと呼ばれている町の駅前の建物なのだが、極稀にこのショッピングモール内にあるホスピットを指定されることもあった。
今月がその、こっちのホスピットに指定される月だったら良かったのに・・・。
ホスピットへ行った後、そのまま帰宅するのであればどちらでも構わないのだけど、今日はホスピットへ行ってからアクアセクタへ行くつもりなので、もう一度このショッピングモールのあるこの駅に戻って来なくてはいけない。
同じ区間を行ったり来たりするのが何か勿体無いような気がする。
取り過ぎたと思った料理も、味付けが良かったので意外にもすんなりと食べれた。
最後に口に入れたフライドチキンの肉汁を濯ぐようにミルクティを口に含む。
満腹で動きたくない衝動と、別に受付が始まる25時ピッタリにホスピットに到着しなくてもいいんじゃないかと云う思いとがお腹にのし掛かってくる。
連飛も、遅ければ遅い程好いと云っていたのを思い出して、あたしは食後の一服をすることにし煙草に火を点ける。
自分の吐いた煙を眺めながら、この後用事がなければ大麻を吸いたいところだなどと思いながら、また煙草を口に運ぶ。
今日あの警察と、この懐かしい店に来て色々と話をしたのは有意義だったかどうだか判断し兼ねるけど、この店の料理が美味しいと云う事を知れたのは良かったと思う。
マスターの店からも近いので、また時間を作ってはちょくちょく遊びに来ようと思う。
図らずもオーナーさんとも面識が出来て以前より入り易くなった気もする。
あたしは煙草の煙を吐きながら灰皿で火を消し、ミルクティの最後の一口を飲み干す。
手荷物を小脇に抱えてレジまで歩いていき左手をついた。
厨房からさっきの女性店員が出て来て
「お客様、お帰りですか?
御代はお連れ様から頂いています」
と云い微笑んだ。
「とっても美味しかったわ。バリスタさんにも宜しくね」
と、あたしが云うと
「ぁ、オーナーてすね?お呼びしましょうか?」
と女性店員は少し早口で慌てた顔をしながら応える。
「いいえ、またこのお店、来させていただくから呼ばなくて結構よ」
と断り、あたしは女性店員に笑顔を返す。
「ありがとうごさいました」
とレジ越しにお辞儀をする女性店員に
「ごちそうさまでした」
と軽くお辞儀を返し、あたしは店を出る。
□シナゴグの美香
□クリエーター
□ウィル
□スペア・コピー
□クローン・ドナー
□グロリエ
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