Syber-Fantasy:第14話
警察はここまで話終えると暫く珈琲を眺めた。
「特定するツモリはないが、ママもよく知っているであろう製薬会社での出来事だ」
珈琲を眺めたまま、警察はまた別の話を始める。
別の話ではなく今の話に繋がるのかも知れないが、こうして警察が一方的に話していてくれるとあたしは相槌を打つだけで済むので助かる。
「人類最大手の製薬会社で、その会社の部長と生物学者と薬学博士の3名の研究チームがあったんだ。
研究内容は企業機密で詳しくは知らんのだが、その3名は日夜社内の研究室に入り浸って自宅にも帰らずに社運を賭けた研究に没頭していたらしい。昼も夜もない研究室では正午過ぎ頃からつけっぱなしのモニターからDrゴンの配信が垂れ流しになっていたそうだ。
彼等の研究データは厳重に管理されており、データファイルを開くには3人がその場に揃ってIDチップをスキャンしなければアクセス出来ないようセキュリティロックが掛けられていた。
ところがある日、忽然と学者と博士の2人が消えたんだ。即座に捜索願も出されたがIDチップ反応もなければ足取りの手懸かりもなく、部長は二度と開く事の出来ないデータファイルを自宅に持ち帰って保管する事となった。
学者と博士だけがDrゴンの演説の中の何かに共鳴してしまったのだろう。その部長さんには申し訳ない云い方になるが、凡人には何の効力もない演説だと云う事が如実に判る一件だ。
昨日未明、部長さんはそのデータファイルの入ったマイクロチップを持って帰宅したんだが、自宅に着くと玄関が開かなかったらしいんだ。
ママの家もそうだろうが、この部長の家もキーレスエントリーで主人が帰宅すると玄関は自動で開くようになっていた。
センサーかシステムの故障かと思い扉をガチャガチャと無理矢理開けようとしたら警報が鳴ってしまい直ぐに警官が駆けつけた。
部長さん、駆けつけた警官に訊かれるまで気付かなかったそうだよ、額の傷はどうしましたか?と。
そこが部長の自宅であることには何の疑いもなかったが、念のため警官が部長さんの額と肩にスキャナーをかざした時に初めて、IDチップが無くなっている事に気付いたらしい。
部長は慌てて鞄の中やポケットを探したが、マイクロチップも消えていたんだ。」
この話は夕方あたしが起きた時にニュースで報道されていたので覚えている。ニュースをチェックした時にはまさか今日、このニュースの詳細を聞く事になるとは思ってもみなかった。
「何者か・・・」
無意識にあたしは夕方のニュースのもどかしい云い回しを口にする。
「そうだ。何者かだ。」
自分にしか聞こえないくらいの小さな声だったが、警察はあたしの発した言葉を繰り返す。
「本人も気付かないような速業で腕時計の裏側にゴマ粒大のチップを仕込んだり落描きの出来るような人間離れした者にしか成し得ない手口だと思うんだがね、ID情報も末梢されて存在していない事になっている何者か・・・」
警察の云いたい事が大分見えてきた気がする。
「企業機密のファイルを開くのに必要な残りの2つのIDチップは昼間に配信されていた何者かの演説を聞いて同時に消えた。偶然とは思えんのだがね」
けど、その研究室にいた2人の天才はDrゴンの演説を聞いてIDチップを自ら摘出したと断定できるのかしら?
まぁ、今あたしに警察が話している事が全てではないのだろうけど、その部長さん同様に気付かぬ間にIDチップを奪われていたとしたらどうだろう?
だとしたら気付いた時点で本人が被害届を出すだろう。被害届を出せない状況、例えば監禁状態にあったり殺害されているとしたなら・・・。
「ただ、腑に落ちない点も幾つかあるんだ」
あたしがいつもの癖で頭の中で推理ごっこをしていると警察は更に話を進める。
「私の印象での彼なら、実行犯が自分であると云う印を遺すくらいの自己顕示欲の持ち主だと思うんだ。
これまでは顔の落描きを遺し、今回に限って絵を遺さない事で自分ではない等とカモフラージュするような稚拙な人間でもなさそうな気がしてならんのだよ。
もしくは、今までのは悪戯で、これからは本番だ、お遊びはお仕舞いだ等の合図なら理解は出来るのだが、こんな真似の出来る人間は彼しかおらんのだし、他にもそんな事が出来る人間がいたとしたなら、正直お手上げだな」
もしも警察の云う通りDrゴンが本当に時間を操る事が出来るとしたなら、時間を停めてその間にダミーIDチップをばら蒔いたりマイクロチップを奪ったりは出来る。
話の辻褄が合い始めると同時に、洗脳されようとしているのではないかと云う不安と拒絶反応があたしの中で膨らんでくる。
「おいっ!ちょっと待て!!」
突然大声を上げた警察は片方の耳を手で抑え通信に応答した。
「すまん!ママ、本当にすまん。
緊急事態・・・待て!待てと云っているんだ!!」
血相を変えて警察は立ち上がった。
あたしは恥ずかしくて目を閉じて俯いた。店内に響き渡る程の大きな声で通信に応答する警察に、店内中の視線を浴びているのを全身で感じた。
「やめろ!馬鹿かっ!誰かそいつを制止しろ!」
何が親友だ!こんな親友は願い下げだ!あたしは心の中で叫んだ。
「ママ、すまん!この埋め合わせは必ずする」
通信の内容こそ判らないけど何か大変な事態になっているのはよく判る。
一刻を争う緊張感の中、何かを必死に抑制しようとしつつも、合間合間であたしへの謝意を伝えようとしているのも解るが、この恥ずかしい状況に耐えられず
「いいえ!結構です!埋め合わせとか不要です」
と、冷たく返してしまう。
「なんだ今のは!誰だ!私が行くからそれまで待ってろと・・・ママ、次の約束など出来ないほど申し訳無いと思っているから埋め合わせと云ったんだ、とにかく、すまない!」
もはやどの部分が通信への応答でどこからがあたしに話しているのか判らない状態になっている。
流石に店内で注目を浴びてしまっている事に気付いたのか、警察は席を外して店の出入口付近まで大声で通信を続けたまま歩いて行った。
内容までは聞き取れないが、警察の大声は暫く聞こえていた。
あたしはテーブルに俯伏したまま、消えたい、店から早く出たいと思っていた。
何分くらい経っただろう?
警察の声はいつの間にか聞こえなくなっていて、店内では何もなかったかのように他の客席から閑談する声や食器の音がし初めていた。
けど、あたしはまだ顔を上げる気にはなれずにテーブルに伏せたまま、店内の音楽を聞いて気を落ち着かせようと努力し始める。
ホスピットへ向かうまで、あとどの位時間を潰さなければならないのだろうかと頭を過ったけど、まだ、時計を見る気にもなれない。
あともう暫くこのままでいようと、動かずに、否、動けずにいた。
「やぁ、ママかい?仕事中にごめん。マスターの端末に掛けてるんだけど出ないんだ。マスターとちょっと緊急で話がしたいんだけど・・・」
ある日、マスターと二人でお店に出てる最中、普段は鳴ることの殆んどないあたしの端末の呼出し音が鳴った。
画面には373351の文字が表示されていた。
あたしがこの店で働く切っ掛けとなったもう一人の男、例の警備員だ。
「マスターならここに居るわよ。ちょっと待っててね、今代わるから」
何かとても焦った様子で、いつも冷静沈着なイメージなだけに気にはなったが 緊急だと云われたので余計な話はせずにあたしの端末をマスターに手渡した。
「あーすまんすまん、今端末をバックルームに置きっ放しにしてて気付かなかった。ん?どーした?」
警備員が二言三言話したであろう間隔を空けてマスターの顔色が真剣な表情に変わった。
チラリとあたしの方を見ると済まなそうな顔をしてバックルームへと歩き始めた。
「いやぁ、おまえには借りしかないからな。少しでも借りを返せるなら慶んで力になるよ!どーしたらいい?」
などと云いながらマスターはバックルームへと消えた。
バックルームの扉は開けっ放しになっていたが、あたしが聞いてはいけない内容なんだろうと思い、あたしはレジカウンターを離れて店内をうろうろと徘徊した。
「変わんねぇな、おまえ母ちゃんにも飼えないなら拾ってきちゃ駄目だって叱られてたよな?」
断片的に聞こえてきてしまうマスターの台詞からはいったい何の話をしているのかサッパリ判らない。
暫くすると
「とりあえず裏口から入って来いよ、鍵は開けておいたから」
と云いながらマスターはバックルームから出てきて服の袖であたしの端末についた自分の汗を拭くと
「ごめん、ありがとう」
と云ってあたしに端末を返した。
マスターは落ち着かない様子で店内から痛み止や傷薬を揃え始めながら、あたしに聞いてほしそうな顔をしているが、あたしからはちょっと切り出しづらいと思い、あえてこっちからは何も訊かなかった。
程無くして裏口が開く音がして子供の怒声がバックルームから響いた。
「触んなよ!臭っせぇな!自分で歩けるよ!」
あたしはビックリしてマスターの顔を見た。
マスターも驚いたような顔を見せたが、直ぐに笑顔を作りあたしに
「大丈夫だから、たぶん。一応一端、店を閉めておこうか。シャッターを半分だけ下ろして店内の灯りを落としたらバックルームに来てくれ。ママにも手伝って欲しい」
と云うと先にバックルームに向かった。
あたしはマスターに云われた通りに店を閉めてバックルームへ向かった。
バックルームに入ると最初に視界に入ったのは警備員の右腕だった。
紺色の制服の肩の辺りから袖口までがぐっしょり濡れて真っ黒に見えた。
そして次の瞬間あたしは息を飲んだ。
ぐっしょり濡れた袖口の先から血まみれで真っ赤になった警備員の掌が目に飛び込んできた。
「でアンタは誰?何者だよ!」
声こそ子供の様だけど狂気に満ちたような鋭い眼をした女の子が、やはり額や身体のあちらこちらに生傷を負ったまま意気込んでいた。
「あぁ、オレかぁ。コイツのマブダチでこの店の店長。マスターでいいよ、みんなそう呼んでる」
今にも飛び掛かって来そうなくらい興奮しているその女の子にマスターは怯むこともなく微笑みながら返事をした。
「マスター、すまんがとりあえずその仔の手当を頼んでいいか?俺は片腕だから満足に診てやれない」
暴れだして襲い掛かってきそうな状態のこの傷だらけの女の子を目の前にこの二人はよく平静を保っていられるなと感心した。
「じゃママ、そっちを頼む」
とマスターは警備員の手当をあたしに頼んだ。
「服は自分で脱げるから、すまないが止血して切り口を何かで塞いでくれないか。この程度の傷なら自分で縫えるんだけど、運の悪いことに右手が使えない。ママ、頼むよ」
あたしは足がすくんで腰が抜けそうなのを堪えながら立っているのが精一杯だった。
「うるせーよ!手当なんて要らねーよ!」
と、マスターの手当を拒む女の子の声が耳をかすめていた。
「よし、分かった!落ち着け、落ち着くためにオレが特上のガンジャをご馳走してやる。幾つだか知らないけど、云うなよ!?未成年と知っててガンジャなんか吸わせたらオレはこの店を畳まなきゃならなくなる。だから年齢とか云うんじゃねーぞ?」
警備員が服を脱いでいる間にあたしは治療のため薬や包帯を店内から持ってこようと思い一端バックルームを出た。
「馬っ鹿じゃねーの?自分の歳なんて数えてるワケねーじゃん!知りたい奴等は勝手に眉間にスキャナー当ててくるし、自分の歳とか興味ねーから!」
女の子の罵声を背にバックルームを出ると既にカウンターの上に必要な救急医療用品は列べて置かれていた。
マスターは警備員が来るまでの合間に手際よくこれを用意していたのか。
あたしはそれを両手で抱えるようにして持ってバックルームへと戻った。
休憩用の小さなテーブルにそれを下ろして誰に向かってと云うわけでもなしに
「怪我してる人はこっちへ来て座ったらいいと思う」
と、云ってみた。
正直、警備員が連れてきたこの女の子は恐くて凝視できなかった。
制服の上着を脱いで半袖シャツの袖をたくしあげた警備員がまず席に着いた。
「そうだな、まぁお前さんもこっち来て座れよ」
と、あたしに同意して女の子をテーブルに招いた。
あたしが椅子を引いてあげると意外にもすんなりと女の子は着席した。
「ぅあ!痛そう」
警備員の肩に指一本分くらいの長さの深い切り傷があり、パックリと口を開いてる。
「捲った袖が脇の下の静動脈を止めてるから、このまま一思いにやっちゃってくれ。ママ、遠慮は要らないよ。実は、痛いのは好きなんだ」
と云って自分で笑ってみせた。
冗談なのか半分本心なのか判らないけどあたしの精神状態はとてもじゃないけど笑えるような余裕はなかった。
テーブルの上からピンセットを取り、コットンの脱脂綿を挟んで消毒液を染み込ませた。
「こんなもんで足りるかしら」
マスターはデスクで大麻を吸引する準備をしながら、振り向きもせずに
「そいつ、本当にマゾだから盛大に滲みるように消毒してやって!」
と云って笑った。
それを聞いて警備員も声を出して笑っていた。
コットンを挟んだピンセットを恐る恐る傷口に近付け、自分に云い聞かす為に
「いい?いくわよ!」
と声に出していざ消毒をしようとすると、それを遮るかのように警備員は茶化した。
「いいね、いいね!ゾクゾクする。ママ、差し支えなければ、今のをもう一度云ってくれ」
とふざける警備員に続いてマスターも悪乗りして「耳元で囁くように」などと云い、冷やかした。
今思えば二人して緊張していたあたしを和ませてくれてたのかも知れない。
■Drゴン
□シナゴグの美香
□クリエーター
□ウィル
□スペア・コピー
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