Syber-Fantasy:第9話
裏口から店を出て、駅へと続く道を歩きだす。
こんな時間に表を歩くのは久しぶりで新鮮だ。
あたしは何気なく空を見上げてみた。
街中にある路地を照らす照明が眩しくて、期待をしていた訳ではなかったが当然星など見えはしない。
「アクアセクタまで行けば星が見えるかしら」
不意に口から零れ落ちた独り言があたしの中で小さな期待となって広がり、薄れて消えていった。
思えばこの路地であたしの人生が変わった。
あの日、絶妙なタイミングでマスターと警備員に呼び止められ、あの退屈で息苦しかった会社勤めの脱け殻の自分と決別することが出来た。
出逢うのがもう少し前だったならあたしは立ち止まらなかっただろうし、もっと後だったなら、何か手遅れな事態になっていたかもしれない。
偶然とはとても思えないくらいに好条件が重なっていた。偶然なんかじゃない「奇跡」と呼べるくらいの必然だったと思う。
あの日、二人はなぜ店の前に座っていたのだろう?
言い出したのはきっとマスターに違いないが、思えばあの日以来、店の外で仕事中にガンジャを吸うなどと言う場面には遭遇したことはない。
お茶を運んできた警備員がお盆を持っていたことを思い出した。
準備されていたのだろうか?それともまさか他に誰か中にいたのだろうか?
もしかしてマスターは初めからあたしを雇う目的で声をかけてきたのだろうか?
いや、それは考え過ぎだろう。
あたし以外の誰かを待っていたのかもしれない。
バイトの仔が雇われる時も無計画に流動的な勢いとノリで採用していた。
とにかく、今振り返ると不自然なことも多いが、あの日の出逢いがなければ今のあたしはいなかっただろう。
「おやおやおやおや、これはこれは」
あたしは人より歩くのは速い方だが、物思いに更けていた所為か今は普段よりもゆっくり歩いていたようだ。
後ろから耳元で聞き慣れない声がして不意に立ち止まりそうになってしまった。
あたしは我に返りいつも通りの早足で歩き始めた。
「お姉さん、そりゃないよ。買い出しか何かで?」
この二言目でどうやらその声があたしに話し掛けているのだと気付きあたしは後ろを振り向く。
「2・3分でいいんだ」
声の主は店に来た警察の痩せ形の方だった。
あたしは返事をするでもなく駅への道を歩き続ける。
彼はあたしの隣りに並んで一緒に歩きだした。
「ぶっきらぼうな物言いは職業柄もともとだが、加えてさっきは丁度しくじっていた最中だったもので・・・」
露骨に無視をするつもりもないが、特に返事をする必要も感じず、彼の顔を一瞬だけ見て目を合わせ、更に歩き続ける。
「そんなに急いでどちらまで?2・3分くらい立ち止まって話せないかな?」
彼が繰り返した2・3分と言う時間に油断をしてあたしは足を止めてしまった。
「行き先は、お答えする義務があるんですか?」
お店での彼の態度と今あたしの目の前に立っている彼の様子とがあまりに違うので、どうも調子が狂う。
警戒心を剥き出しにしながらも、ついついつっけんどんな反応をしてしまう。
「私がこれを職務質問だと言えば当然お姉さんはなんかしらの応対をしなければならなくなる、と言う抑制力は持っているが、私は今それを行使してはいないよ。だから答えたくなければ答える必要はない。ただ、先程は善良な一般市民に対して無礼をしたなとお詫びがしたかっただけだ」
なんだこの低姿勢は!?これではまるであたしの方が悪者みたいではないか!
「忘れてたわ。気を悪くもしていなければ怒ってもいません。
なのでお詫びしていただく必要もありません。
警察も、お仕事が大変そうですね。頑張ってください。」
どうだろう。あたしの方が悪者みたいな構図からは脱却できただろうか。
これでこの警察との会話も締め括れるなら尚いいんだけど・・・。
「とにかく、嫌な思いをさせてしまった。すまない」
と軽く頭を下げ、更に何かを云おうとしている様だが、あたしはこれ以上会話をするつもりもなく、また駅へ向かって歩きだそうとした。
「まだ分からないんだがね」
歩きだそうとしているあたしの動きを制すかの様に彼は話し始めた。
「お姉さんとは次回、取調室で再会する可能性があってだな、お姉さんもその時に見ず知らずの強面の親爺とにらめっこしながら話をするよりは面識のある多少なりとも気心知れた相手と話す方がいいだろう?少しでも打ち解け合いながら素直な気持ちで話を聞けたならこちらとしても仕事がしやすくて好都合だ。そんな思惑も籠めたお互いのための面通しなんだがね、ママ」
IDシステムの構築により個人情報の開示が余儀なくされている今日、プライバシー等と云う言葉は遠い過去の物となってしまってはいるが、あたしが親しい人物から「ママ」と呼ばれている事はデータベースに目を通しただけで分かる事ではない。
あたしの事を終始「お姉さん」と呼んでおきながら最後の最後に切り札の様に付け足された「ママ」と云う二文字が歩きだそうとしていたあたしの足を止めた。
「ホスピットよ。今日はディデーですので・・・」
彼があたしの事を「ママ」と呼んだ事で、彼が口にした「取調室」と云うのもあながち出任せでもないと直感し、あまり事を荒立てないようにと質問された事に自ら答えてみる。
「これは困った!」
彼は発した言葉とは真逆な嬉しそうな笑みを見せ付ける。
「知らんのかね?ホスピットの受付は23時半から25時までは休憩中だよ。今からホスピットに行けば小一時間待つ事になる。
加えて私は、こうは見えてもディデー前の女性にご飯をご馳走する程度のデリカシーを持ち合わせている。いずれにしてもミッドナイト・ランチはどこかで摂るんだろう?私がご馳走するからなんでも好きなものを云いたまえ」
毎月ディデーは深夜前半休にして寝坊をして適当な時間にホスピットへ出向いていたのでホスピットの受付の休憩時間など気にした事もなかったが、云われてみれば確かに23時半から25時までは受付が閉まっているんだった。
警備員が栄養ドリンクをくれたように、ディデー前に男性が女性に栄養の付く物を贈ると云う気取った風習も定着していない訳ではないが、今しがた「ママ」と威圧的に宣戦布告してきたこの警察と顔を合わせて食事をするだなんてまっぴらごめんだ!
「知らない人に声をかけられても着いて行ってはいけませんと云われていますので、ではこれで。」
あたしなりに彼の申し出を本気でキッパリとお断りしたつもりだったのだが、まるで通用しない。それどころかむしろ逆効果だったようだ。
彼はこれでもかと云うくらい大きな声を出してしばらく笑い、笑いが納まるのを待たずに話し出す。
「ユニークだ!実に面白い。こんなに笑ったのは久しぶりだ。お姉さんはあのいかがわしい店の店員で、私は警察だ。卑屈な強面の親爺ではあるが、自分の非を認め自ら謝罪の出来る大人だ。そしてディデー前の女性への労りの気持ちもある紳士だ。知り合ってから極めて日が浅いと云うだけで他人ではない。そう、知り合いだ。有意義な対談ができそうだ。今日は私の奢りだ、何が食べたい?」
彼の云う通り、お世辞にも愛嬌のある面構えとは云えないしお店での偉そうな態度に心象が悪いのも否めないが、今目の前で大声で笑った顔や自分の事を大人だの紳士だのと照れもせずに云ってのけるあたりに少なからずあたしの心は和み始めていた。
「ごめんなさい。あたし、本当に普段からランチを食べないんです。仕事中に栄養食をつまみ食いする程度でして。なので、こうしませんか?今から軽くお茶にして、お話をお伺い出来ればいいと思うんですが、割勘で・・・」
連飛を匿ったことであたしが警察に呼び出され取調室で何かを聞かれるのであればそれに備えて予め彼と話をしておくのも無駄ではないと思いはじめた。
あわよくば、この後アクアセクタで連飛と話をする際に有効な予備知識や情報を得ることが出来る可能性だってなきにしもあらずだ。
「最後の部分が上手く聞き取れなかったが、要するにお茶にしようと云うことだな。同意するよ。ショッピングモールまで行けば何でもあるとは思うのだが、あいにく私はお姉さんのような可愛らしい若い女性を連れて入るような小洒落た店とは縁遠くてね、お勧めのカフェか何かあれば紹介してくれないか?」
そのショッピングモールにあるフードコートには何度もチャロと行ったことがある。4・5年も前の事なので大分様変りはしているだろう。
二人のお気に入りだったあのお店、まだあるかしら?
突然あたしの目の前に姿を現したチャロを見たこともあってか、以前よくチャロと喋り続けたあのお店に行きたいと思った。
「ショッピングモールのフードコートには永いこと足を踏み入れていないのですが、何年か前によく通よったお店がありますので、まだあるか分かりませんが、行ってみます?あたしも久しぶりにそのお店に行ってみたくなりました。」
彼はこれまで見せなかった優しい笑顔で頷いた。
「お任せするよ。何年か前に通よったと云うのは、恋人とってことかな?お姉さんの大事な思い出の場所だったりするなら違うお店でも構わない。とにかく、お任せするよ」
気を配っているつもりなのは分かるがデリカシーがあるんだかないんだかよく分からない云い方だ。
それが彼のキャラクターなのだろう。この短時間の会話で既にあたしは彼の言い回しには慣れたようだ。
「大きなお世話です!それと、深夜過半休をもらって更に早めに早退してますので、ショッピングモールに行くのにまたお店の前を通るのはちょっと跋が悪いのですが・・・」
あたしが言葉に詰まると彼は既に察していてかの様に素早くあたしの言葉に続けて答えた。
「賛成だ。遠回りをしよう。私としてもその方が都合がいい。願ったり叶ったりだ」
終業時間が近づくと、社内のネットワーク経由であたしのデスクにメッセージが届いた。
メッセージの本文には「チャコット」と一言だけ書かれていた。
あたしはいつもそのメッセージに「ガラガラ」と、これまた一言の返信をしていた。
このやりとりは週に一度か二度のペースでしばらく続いた。
送信元はもちろんチャロだった。
「そろそろ鬱憤が溜まってきてしまったのですが、また愚痴を聞いて頂けないでしょうか?気晴らしにちょこっとお茶か、ご都合がよろしかったらディナーでも、ご一緒できれば嬉しいのですが」
どことなく調子っぱぐれで堅苦しい文章で彼女はあたしをご飯に誘ってくれた。誘うのはいつも決まって彼女の方だった。
そのメッセージを受け取るとあたしは適当な口実を作って社内接待の宴会を断り返信をしていた。
「あたしの方は常に予定はありません、ガラガラです。いつでも喜んでご一緒しますよ」
ある日、彼女の寄越したメッセージの「ちょこっとお茶でも」の部分が「ちゃこっと」と打ち間違えられていた。
あたしはすかさず返信に「ちゃこっと?」と返した。
その日のディナーでは彼女は終始笑っていた。
あたしからの「ちゃこっと?」と云う返信を見た時は一瞬何の事かわからず困惑したらしい。そしてそれが自分のメッセージの打ち間違えへの指摘だと気付いた時にデスクで声を出して笑ってしまったらしい。
事務所内全員の注目を浴びてしまい取り繕うのが大変だったと楽しそうに話して聞かせてくれた。
それ以来、彼女からのお誘いのメッセージは「チャコット」と一言だけになり、あたしも「ガラガラ」と一言で返すようになっていた。
チャロとの会話もほとんどが彼女の話であたしは常に聞き手役だった。
その日にあった面白かった出来事は勿論のこと、鬱憤や愚痴まで彼女は面白可笑しく話して聞かせてくれた。
馬の合わない上司や癖のある先輩の話などは物真似を交えたりしながら話し、あたしを笑わせてくれた。
部署こそ違うが、同じ社内にいるのであたしも知ってる人達の特徴を誇張した彼女の物真似はとても面白かった。
彼女も自分にストレスを与える上司達を小馬鹿にした物真似をすることで、またその物真似であたしが笑うことで発散出来ていたようだった。
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