Syber-Fantasy:第7話

ピピッ


来客を知らせるエントランスの電子音と同時にバイトの仔が元気よく「いらっしゃいませ」と云う。

心元なさそうな表情をした女性が一人、入口まで入ってきて立ち尽くしていた。

「いらっしゃいませ」

バイトの仔の後に続いてあたしも声をだす。

このお店では見ない顔だがどこかで会った事があるような気がした。

細身で高めの身長に短めの真っ黒い髪、どこで会ったんだろう?

「あの、ちょっとお伺いしてもいいですか?」

彼女の声、間違いなく聞き覚えがある!

「はいはい、なんなりと」

変わらず明るいトーンでバイトの仔が対応する。

「マリファナ、初めてなんですけど何が必要なんですか?」

大抵はマリファナ常習者の知人に勧められてその知人からノウハウを教わるのが一般的な入口なのに、彼女はなんの情報もなしにいきなりこの店に飛び込んできたのだろうか?

バイトの仔はその女性に「お時間、大丈夫ですか?」と聞き、

あたしに「デモ入りまーす!」と、嬉しそうに云った。

デモと云うのは勿論デモンストレーションの略で実演販売のことだ。

初心者や一見さんを相手にバックルームで麻薬の服用方法や伴うリスクなどを説明し失客を防ぐのが目的だが、実演販売の名の下、執務中に堂々とマリファナを吸えるのでバイトの仔はあたしに軽くガッツポーズをして見せて彼女をバックルームへと案内した。

「あまりぶりぶりにキマらないようにね」

と云い、振り向いたバイトの仔にあたしはそっと微笑んだ。

俯きながらバイトの仔と一緒にバックルームに入るその女性を見て、一瞬脳味噌が疼いた。

この細い二の腕、腰をくねらせる独特な歩き方、彼女の醸し出す空気。

様相はかなり変わってしまってはいるが、チャロだ。

チャロとは以前勤めていた会社の同期で、彼女は入社式の日に一人だけ髪を茶色く染めて来ていたので暫くは孤立していた。

初めは新入社員の中にも溶け込めずにいて周囲からは髪が茶色いことから「チャロ」と云う隠語でよく話題にされていた。

帰りの電車で一緒になるコトもあり、あたしは早い時期からチャロと会話を交わすようになっていた。

たしか先に声を掛けたのはあたしだった。


「よく電車で見かけるんですけど、総務課の方ですよね?」

「あ、やっぱり?同じ会社の人だなと、私も気になっていたんですよ」

「ええ、よく同じ車両に乗ってるのに会釈もしないのってぎこちないなと思ってて・・・」

「あはは、それ、私も同じように感じてました」

「よかった、思い切って声かけてみてよかったです」

「どこか、いいお店とか、ご存知ないですか?」

「はい?お店って・・・?」

「あ、ごめんなさい。変ですよね?」

「いえ、別にそう云う・・・」

「私、昔から友達がいなくて、お誘いする時にどう云えばいいかわからなくって」

「お誘い?」

「お友達が出来たら喫茶店とか飲食店に入って楽しく会話をしたり」

「あ、あたしもこの度就職でこの街に出てきたばかりだから、右も左もまだ・・・」

「そうなんですか、そうですよね。それでは、どうしたらいいのかしら・・・」

「あの、別に難しく考える必要ないですよ。普通に通勤で会った時にこうして会話すれば」

「え?そう云うものなんですか?」

「それじゃ今度、お休みの日にでも一緒にいいお店を探しにいきましょうか?」

「は、はい!ありがとうございます!すごく、すごく嬉しいです!」

「やっぱりチャロさん、あなた変わってますね」

「え?チャロ・・・て?」

「あ、ごめんなさい。髪が茶色いから勝手にチャロって・・・」

「えーっ?ニックネームまで?嬉しいです!チャロ、気に入りました」

「あは、あはは、あはははは・・・はぁ」

変り者ではあるが悪い人ではなさそうだ。と云うのがあたしのチャロに対する第一印象だった。

その後はチャロが色々と調べてきた話題になっているらしいお店を見に行ったり一緒に買い物をしたりもするようになりチャロの身の上話も沢山聞かせてもらった。

チャロの親御さんは厳格な人達で、特に父親は躾にも厳しく一切逆らったりはできなかったらしい。

一度、同級生達とビリヤードに行きたいと申し出た時は父親がビリヤード台を買い与えて「ビリヤードがしたいのなら家でやりなさい」と云われたらしい。

チャロが求めていたのはビリヤードではなく、放課後に友達と遊ぶという行為だったのに、そこまで気持ちを汲んではもらえずにただただ父親の布いたレールを黙って走り続けるようにと育てられてきたらしい。

が、ある日その父親が脳溢血で倒れてしまい、家を出て就職をする運びとなったと云っていた。

親元を離れる不安と厳格な家庭から脱して解放された反動とで、その時に髪を茶色く染めたと云っていた。

学生の頃に出来なかったことを思い切りやってみたかっただけらしいが、周囲は就職に向けて身なりを整える時期で、入社式の日に自分だけ世間と逆行していると気付きはしたものの後戻りが出来なかったと笑い話のように話していた。

例の宴会でも度々顔を合わせたりもしたが、酒煙草をまったくやらないチャロはいつもつまらなそうな顔をしていた。

配属された部署が違ったので仕事中には殆ど係わりがなかったが、暫くするとあたしの部署でもチャロのコトが話題に挙がるようになってきていた。

「総務課にデキる仔が入ってきた」「今年の総務課は処理能力がすばらしい」「後処理は総務課に丸投げすればきちんとやってくれる仔がいるから安心して任せられる」

会議中にそんなフレーズを耳にすれば、疑いもなくそれがチャロのコトだと判ったし、友人としてどこか誇らしくもあった。

その頃になるとあたしも「お姐」と呼ばれるようになり部署内でも仲の良い仲間も出来、一方チャロもチャロの周囲と馴染み始めチャロにはチャロの仲間も出来、あたしとは少しずつ疎遠になって行った。

退社後や休日に一緒に遊んだりするコトもなくなってしまったが、あたしは何故かいつもチャロを見ていた。チャロの周囲の友達は、入社当初は「チャロ」と云う隠語を用いてあることないこと噂話や陰口を叩いて楽しんでいたクセに、あたしの方が先にチャロとは仲良くなってたのに、などと、嫉妬にもよく似た感情を覚え始めていた。

いつしか自分の部署でチャロが評価されているのを耳にすると対抗意識のようなものが芽生えるようになってきた。

部署も職務内容も全然違うので同じ土俵で競うと云うような気持ちは全くなかったが、あたしはあたしで自分の部署で頑張っているのだとチャロに届けばいいなと、どこかで敗北感や劣等感を抱き始めていたのかも知れない。

最初は友達もいない変り者だと、あたしは心のどこかで優越感を持っていたのかも知れない。

それが何故か自分がチャロの後ろを追うカタチになってしまっている。

社内でも上司や同僚の評価よりもチャロがどう思うかが気になった。

周囲はあたしのコトをどう思うかを考える際にはいつもチャロが「周囲」の筆頭に挙がった。

云ってみればあの頃のあたしにとっての「世間様」とはチャロ以外の誰でもなかった。

独り相撲で対抗意識を燃やし、チャロに全く見向きもされていない実状に虚しさと焦りを感じていたのだろう。

実業家の家庭に生まれ育ち、かっちりと枠に納まった高等な教育を受け、仕事に長けているチャロのコトを、あたしは友達もなく対人関係に於いても経験の浅い、どこか可哀想なヒトだと認識し違えていたのだ。

チャロが総務課でチームリーダーと云う肩書を与えられた時は、何か裏切られたような感覚にさえ苛まれた。

そうか、今思えばあたしがあの会社を辞める発端となったのはチャロだったのかも知れない。

あたしが退職する時、同じ課の課長が一人転勤になるのが決まっていて、その課長の送別会と称していつも通りの宴会が催された。

まさに取って付けたかのようにオマケであたしの送別会も一緒に取り行われた。

宴会で隣の席に座っていた上司があたしにお酒を注ぎながら云った。

「どうして辞めちゃうの?勿体ない。お姐はみんなに愛されてるのにぃ」

愛されているですと?

「みんなに愛されてる」と云うのはまさにチャロのようなヒトのコトを云うのだと、その時も頭の中であたしはチャロを引き合い出したのを覚えいる。

宴会の後あたしが一人で外へ出て、帰路に着こうとした時、チャロがあたしを追って出てきた。

チャロはあたしの右手を両手で握りしめるとそのまま泣き崩れた。

「お姐、なんで辞めちゃうの?」

と繰り返すチャロを見下ろしながら、あたしは何か根本的に大きな勘違いをしていたのではないかと、つまり自分の選んだ退職と云う選択が間違いだったのではないかと一瞬不安になった。

あたしが周囲をなんとも思っていないように周囲もあたしのコトなんてなんとも思っていない。

もっと云うなら、あたしのコトを「初めてのお友達」と云ってくれたチャロでさえあたしのコトなんて眼中にないのに、その他の同僚達や上司たちがあたしを見ていてくれる筈などない。したがって、ここはあたしの居場所ではない。と云うあたしの導き出した結論が一瞬にして根底から覆されそうになった。

しかし小一時間前に宴会で、お別れの挨拶を述べた課長にみんなの見ている前で抱きついて泣いたチャロの姿が脳裏に過り、チャロがお酒に酔った勢いに任せて感傷的になっているだけだと気付き、あたしは我に返った。

お酒を煽るようになったチャロの姿を見て、あたしが好きだった下戸のチャロはもう居ないのだと悟った。あたしがいなくなった後もチャロはまた変わらない毎日を平然と過ごすのだろう。

その予想も、二次会に場所代えする集団の中に紛れてゆくチャロの後ろ姿を見て、数分後には確信に変わった。

あたしはずっと、いったい何と闘っていたのだろう?実体のない「周囲」を意識し続けて、文字通り独り相撲をしていたのだ。

あたしが退職した直後に、風の噂でチャロが課長に昇進したと聞いた。社内でも初の女性課長だと全社的に取り沙汰されて注目されたらしい。エリートコースを順調に、否、勢い良く駆け上がるチャロに対しては素直に「よかったね」と祝ってあげたかったが、同時にあたしは自分が社内に居なくなった後でよかったと胸を撫で下ろした。あのまま同じ会社に居て、チャロが上り詰めて行く様を目の当りに見せ付けられていたなら、きっとあたしには堪え難いものがあっただろう、と。


暫くするとバックルームの扉が開きバイトの仔が出てきた。

「今、マスターから連絡があって、もう取引先を出てこっちに向かっているらしいから、ママはホスピットに行っちゃって下さい」

一通りのレクチャーを済ませ実演でジョイントを巻き、既に2本目か3本目のジョイントを吸っているであろうくらいの時間は経過した筈なのに、バイトの仔は普段通りの口調だったので、あたしはバイトの仔の瞳を覗き込み、充血していないのを確かめてから

「あら?まだ素面なの?」

と尋ねた。

バイトの仔は「待ってました」とばかりに話し始めた。

「そうなんですよ!聞いてくださいよ。あのお客さん、ちょっと様子が違うんですよ。なんて云うか、初心者を装って調査か何かをしに来たかのように、物凄く詳しい話まで色々と聞いて来るんです」

たしかにチャロは仕事でも他人に頼って尋ねたりはせずに何でも自分で調べたり、一人で何でもしようとするタイプの人間だったから、宴会等で回ってくるジョイントを口にする前に自分でその危険性等を下調べしに取扱店に足を運ぶのは頷ける話だ。

「彼女、慎重派だからね」と、ついうっかり口を滑らせてしまった。

勘の鋭いバイトの仔がそれを聞き逃す筈もなく、

「あれ?ママはあのヒトと知り合いなんですか?」

と透かさず聞いて来た。

どう話したらいいのだろうかと戸惑いながらも

「以前ね。一方的にあたしが彼女を知っていたってだけで、知り合いではないわ。

彼女、マリファナや巻紙を買ったか何も買わずに帰ったかだけ、後で教えてね」

と、それとなく話を終わらせようとしてみた。

「もしかしたら、彼女もママのコト知ってるかも知れませんよ」

と意味深な笑みを浮かべるとバイトの仔はバックルームへと戻って行った。

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