Syber-Fantasy:第5話

「彼は誰に対しても優しいのよ」

と云おうと思ったがタイミングを逃してしまい、あたしはそのまま連飛を見送った。 連飛の後ろ姿を眺めながら足の長い人だなと思った。

あたしはバックルームに戻りデスクの上の店内を映し出している監視モニターを見て客がいない事を確認し 今連飛が座っていた椅子に腰掛けた。 警備員が置いていった栄養ドリンクの残り1本を取り蓋を開けてそれを一気に飲み干した。

壁に掛かっている時計を見上げると21時半で、バイトの仔が来るまで30分近くある。 あたしはタバコをまた1本取出し火を点けた。


あたしは毎週のようにショッピングモールで買い物をした後そのお店に遊びに寄るようになっていた。 毎週、二人の学生時代のエピソードを聞いて笑ったりお店の中を案内してもらいながらドラッグの話を聞いたり お店の経営の裏話を聞かせてもらっていた。 彼等の話はいつも楽しく毎週ものすごく笑わせてもらい、つまらない日常を忘れさせてくれた。

この時間が自分にとって大事な時間だと気付く頃にはドラッグに対する抵抗も全くなくなっていた。

あたしはいつも聞き手で、二人はあたしが笑いながら二人の話を聞くのでいつまでも色んな楽しい話をして聞かせてくれた。 二人以外にも二人の知人や常連客を交えて話をする事もあった。


「ねえ、彼女って、どっちかと付き合ってるの?」

大男が慌てて否定する。

「そんなんじゃないよ!」

するとマスターは悪戯っ仔のような笑顔で口を挟む。

「まだね」

「ははぁん、ってことは、どっちかが狙ってるんだぁ」

頬杖をついて片目を吊り上げたまま彼女はあたしに視線だけを移し話し掛けてきた。

「えっと、お姐だっけ?この二人だったらどっちが好みのタイプな訳? バックルームに出入りしてこうしてジョイントを回してるんだからそれなりに親密なんでしょ?」

「え…」

あたしが言葉に詰まってしまい困惑していると大男が助け船を出してくれた。

「やめなよ、そんな質問。お姐、困ってんじゃん」

笑いながらマスターが続ける。

「もしも無人島で俺等二人と三人だけになったら、舌を噛み切るってさ」

「そ、そんなこと…」

と否定しようとしたがみんなの笑い声であたしの声は掻き消されてしまった。

「二人とも、すごくもてるのよ。 もしもどっちかに告白されて断ったりしたら二人のファンから剃刀とか送り付けられちゃうわよ」

笑いながらそう云い残すと彼女は彼氏との待ち合わせの時間だと云い、 マスターにだけ軽くハグをして裏口から出ていった。

今じゃ顔も思い出せない仲間達が大勢でき、みんな色んな話を聞かせてくれた。

あたしは自分が人に話すような面白い話も持ち合わせがなく話をするのも下手だと思い始めていた。

でもこの店に遊びにくる輩はみんなお構いなしに自分の話をし続けてくれるので あたしはそれを聞いて楽しんでいるだけでよかった。


「お姐さぁ、仕事楽しい?」

ある日マスターと二人きりになった時に不意にマスターが聞いてきた。

「お姐、会社勤めしてんだよね? ま、会社の話だけじゃなく自分の話ってあんまりしないじゃん? もしかして会社、つまんないのかなと思ってさ」

そう云うと返事を待つ訳でもなしに巻きたての細いジョイントに火を点けた。

そのまま一気に煙を吸い込むと息を止めてジョイントをあたしに差し出した。

「退屈よ、とても…」

あたしはマスターの手からジョイントを紡ぎ取るように受け取りそれを眺めてから思い切り吸い込んだ。

マスターは炭酸水を一口飲んでからあたしの顔を覗き込んだ。 眉をあげて「で?」と続きを促す表情をした。 あたしは肺の中に溜めていた煙を吐いてから

「自分の話をするの、苦手だなぁ」

と前置きをしてジョイントをマスターに差出した。

マスターはあたしの目を見たまま微笑み、ジョイントを口に運んだ。 大麻の効能か、マスターの人柄があたしの心を優しく抉じ開けてるのか、 あたしは自分の話をしようと思った。

「あのね。あたし会社人間には向いてるみたいなの。 与えられた仕事はそつがなくこなしてるし周囲の同僚や上司達ともなんの問題もなくうまくやってるわ」

マスターは一度煙を吐き少しむせながら

「だろうね」

と云いもう一口ジョイントを吸い込み息を止めたままあたしにジョイントを寄越した。

あたしはジョイントを受け取りながら更に一言

「でもあそこにいるのはあたしじゃないのよ」

と云いジョイントを思い切り吸い込んだ。

マスターはあたしの手からジョイントを取りながら話始めた。

「ここにいる時のお姐は楽しそうだよ。すごく楽しそう、うん。 ものすごく無邪気な笑顔で笑ってるし、俺等もそんなお姐を見てると楽しくなる。 空気って云うのかな?それとも水?とにかくお姐はここが居場所なんじゃないかなって…俺の思い上がりかな?」

そこまで云うとマスターはまたジョイントを口に咥えた。

あたしの話す番?

そんな風に思えたのであたしは応えようと口を開いた。

「それ、あたしも思ってた。 ここの人達ってみんな気兼ねなくなんでも話せるって感じでしょ? あ、あたしはあまり喋るのが得意じゃないから聞いてばっかりだけど…。すごく楽しいわ」

「あと全部いいよ」

と短くなったジョイントをあたしに差し向けて、更にマスターが話し出した。

「ねぇ、お姐さぁ、ここで働かない? お姐はもうこの店の事はなんでも知ってるから試用期間なんて要らないし、 雇用条件は、店が365日年中無休だから好きな時に云ってくれれば休めるようにするし、 知っての通りあの裏でプールしてるドラッグはIDなしで好きなだけ持っていっていいよ。

悪くない提案だと思うんだけど、どうかな?」

あたしは唖然とした。

マリファナにキマってたのもあっただろうけど、何も言葉が見つからなかった。

「あとひとつ!」

マスターが思い出したように大きな声で付け足した。

「お姐がこの店で働いてくれるなら、もうお姐って呼ぶのはやめてママって呼ぶよ」

あたしは思わず吹き出した。

「あははは。なあにそれ?」

笑いながら聞くとマスターも微笑みながら

「お姐は今の会社での呼び名だろ?この店で働くなら俺はお姐をママと呼ぶ」

と、もう一度繰りかえした。

あたしはマスターがどのくらい本気で云ってくれているのか判らなかったけど

「それじゃ明日、辞表を出してくるわね・・・覚えてたら・・・」

と茶化して二人でしばらく笑っていた。


音もたてずに落ちた煙草の灰で、あたしは我に返る。

短くなった煙草を灰皿に押しつけて消し、ひとつ溜息をこぼしてあたしは立ち上がる。

そしてさっき青年にあたしのマリファナを渡してしまったことを思い出し、在庫帳簿には載っていない棚から5グラムずつ小分けになっているパケを三つ鷲掴みにしてポケットに押し込んだ。

頭の中がスッキリしない。

色んな事が一気にありすぎて整理しきれていない。

あたしはまた店内へ移動しレジカウンターの中にある椅子に腰掛ける。

モニターを眺めながら、さっきの青年の事をマスターに報告するかどうかを考えながら両腕を大きく上に伸ばし深呼吸をひとつ。

この後、バイトの仔が来て、深夜過ぎにはマスターが戻ってきて、あたしはホスピットへ行く。その後あたしはアクアセクタまで行く。連飛に会い彼等の話を聞きに、シナゴグと云う指定された場所まで電車に乗って行く。

意味もなく目先の予定を整理しながら気を沈めようと努力してみる。

落ち着かない時間がただだらだらと流れている。

暇つぶしにモニターに映し出されている青年のIDを付箋にメモしてモニターの縁に貼り、あたしは立ち上がる。

とにかく落ち着かない。妙な、胸騒ぎのような感覚に襲われるが為す術なくカウンターの中を行ったり来たりとうろうろ歩いていた。

物音が聞こえた訳ではないがバックルームに人の気配を感じた。きっとバイトの仔が来たのだろうと思いつつ徘徊を続けた。

かすかにタイムカードにIDをスキャンさせた時の音が聞こえた気がし、あたしはバックルームの扉を開き顔だけ覗き込ませた。

「ママ、おはようございます」

バイトの仔は後ろ手にエプロンの紐を縛りながらあたしに挨拶をした。

「あれ、今日は早いのね。いつもギリギリに駆け込んでくるのに」

あたしは扉から顔だけを覗き込ませたままそう云うとバイトの仔は

「マスターが今日はいないから早めに出てきてあげてくれって、マスターに云われたんですよ」

と、明るく云い、こっちの方に歩いて来はじめた。

あたしは扉を大きく開きながら

「別にこの時間帯は暇だからそんな気を遣わなくてよかったのに」

と云い、バイトの仔と一緒にカウンターに入り、あたしはまた椅子に座った。

「マスターってぇ、あまり考えてなさそうに見えて実は物凄く気ぃ遣うし色々考えてくれてたりしますよね?」

マスターの話をする時、このバイトの仔は目を輝かせる。とてもいい笑顔でバイトの仔は話を続けた。

「私ね、マスターのそんな意外な一面に気付いてからできるだけマスターの云う事を聞こうって思ったんです。マスターはいつもママや私に配慮してくれてるから、その真意が見えない時でもマスターの云う事には聞き従えるんですよ!」

「信頼…だね?」

と、あたしは微笑みを返して応える。

彼女は、もともとあまり家庭環境もよくなく、物心付いた頃は心を頑なに閉ざし、やがて多感な年頃になると周囲の大人には手に負えない問題児になってしまっていたらしい。学校を追い出され政府機関の教育システムでも担当教員がサジを投げ、更正プログラムにまで送り込まれたが彼女が大人に心を開く事はなくドラッグに溺れこの店に出入りするようになり、きっとマスターが生まれて初めて心を開いた大人なんだろう。

社会には受け入れられなかった彼女だが、あたしは彼女の真直ぐさや強さや明るさは好きだ。

無論あたしが見てる彼女はマスターと出会って信頼や人との繋がりを覚えた彼女なので、マスターと出会う前の彼女だったら、もしかしたら拒絶してたかもしれない。

巡り合わせとは本当に不思議なものだ。

「あ、ママ、今朝のニュースは見ました?DNAの話…いよいよですね?」

「あぁ、そうみたいね」

彼女は学校での勉強は嫌いだったが、生物学に興味があり、その手のテキストを読み漁ってきたらしく、時折あたしに染色体の話や進化論の謎について熱く話してくれる。

興味のある話題ではないが彼女の説明は物凄く理解り易く聞いていて楽しいのでいつも彼女が話終えるまで聞いてしまう。

「ママの身体って、生まれた時からずっと同じ物質だと思うでしょ?」

また、唐突に突拍子もない質問から始まった。彼女は頭もいいが人に話をするのも上手だと思う。

現にこの質問を投げ掛けられた時点であたしはこの話の最後までを聞きたいと、引き付けられてしまう。

「身体って?この手や足や顔のことよね?もちろん生まれてからずっとあたしにくっついてたし、切り離したり付け足したりもしてないわよ」

彼女は彼女の予想してた通りのあたしの反応にニヤリと右の頬を盛り上げて微笑み話を続けた。

「ところが、それがね、違うんですよ。全ての物質は時間の経過にともなって必ず朽ちる方向へと進んでるんですよ。物理学的に云うとですけどね。でも、ママの身体は生まれてから成長してるでしょ?正確に云うと、成長してるように見えるでしょ?」

必ず朽ちる方向へ進んでいると云う前提が腑に落ちなかったけど彼女の話への好奇心の前では然して問題ではなかった。

「そうね。生まれてから10倍以上目方は増えてるわね」

彼女の話の腰を折らない程度に茶化してみた。

「ママの細胞って、否、原子レベルでの話なんですけどね、常に毎瞬毎瞬入れ替わってるんですよ。ママが今日起きてから食べた物や飲んだ物、吸った空気や煙草やガンジャから吸収して、必要な分子を取り込んで古くなった分子を切り捨てる。云い換えれば新陳代謝が物凄いスピードで行われてるんですよ」

なるほど、話の筋はよくわかる。

「ってことは、昨日のあたしと今日のあたしとでは構成する原材料が違うってこと?」

あたしが理解した範囲で言葉を変えて云い換えてみると彼女は釈然としない表情を浮かべて更に話し始めた。

「厳密に云うと、原材料の成分は同じなんですけどね…」

彼女はレジ脇に陳列してあるピルを二つ手に取りカウンターの上に並べて置いた。

「ママ、この二つのピルケースには全く同じ成分のピルが同じ数だけ入ってますよね?」

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