コンビニにて:第5話

高校を卒業してすぐに上京して来て、人と接点のない仕事に選り好んで就いて

テレビもラジオもないこの狭いワンルーム・マンションで暮らしてはいても、目や耳から勝手に情報と云うモノは入ってくる


気儘な独り暮らしにも慣れて1年が過ぎた去年の梅雨明け頃に、誰から聞いたワケでもなしに、新社会人は初任給で自分へのご褒美などと称して少し贅沢な買い物をする風習があるコトを知った

私は上京して以来、これと云った高い買い物などしたことがなかった

このワンルーム・マンションを借りる為に保証人として付き添ってくれた父親と家電量販店に寄り一緒に冷蔵庫や洗濯機を見て回った

云えば何か買ってくれそうな雰囲気もあったが、この狭いワンルーム・マンションを一緒に見た直後だったのもあり、安くて小さい冷蔵庫を後で自分で買うと云う話でまとまった

云うまでもなく洗濯機を置けるスペースなどなく、不動産屋に近所のコインランドリーを教えてもらっていた


テレビやラジオは実家で使っていないのを持って行けとも云われていたけど、結局何も持たずに手ぶら同然で新生活に臨んだ

私にはとことん物欲がない

そんな私には初任給で自分へのご褒美を自分で買うなどと云う心境は全く以て理解出来なかった

人から何かを貰っても然して嬉しいと感じないのに、自分で自分にご褒美をくれてやって、いったい何が嬉しいのか


自分へのご褒美と云うツモリではないけれど、上京して1年間仕事も続き、加えて誰にも祝われるコトのなくなった自分の誕生日に何かを買ってみようと思い立ったのは気紛れ以外の何物でもなかった


一般的に自分へのご褒美と云うと無駄に高いブランド物の財布や鞄、私とは全く縁のないような高い洋服やアクセサリーが主流の様だけど、どうせお金を出すのなら実用的な物が欲しいと思い私は折り畳み式の自転車を1台購入した


正直に云うと、自転車は嬉しかった

少なからず私はその自転車が気に入った

自転車に乗ると東京には意外にも坂が多いコトを思い知らされる

けど、自転車があればどこまでても行けるような気がした

通勤電車の窓から見てた風景を頼りに自転車で職場まで行ったことも何度かあった


マンションには駐輪スペースなどある筈もなく、帰宅すると自転車を折り畳んで狭い階段を担いで登って部屋の中に置いていた

雨に降られた日などは雑巾で隅々まで拭いてあげた

情こそ移らなかったけど楽しみにはなっていた


ある日、いつもの様に自転車を拭き上げている時に車輪のリムの部分の光沢がくすんでいるコトに気付いてしまった

買った当初は拭いている自分の顔が歪みながらもくっきりと反射していた筈なのに白っぽくくすんで反射している自分の顔が霞んで来ていた


金属が空気に触れると酸化するコトなど物理の授業で充分承知していた筈なのに、何かとてつもなく残念な気分になった

よくよく見るとリムとスポークの結合部がサビ色に変色し始めていた

この時にも私はあの感情を思い出した

物欲の成れの果ては決まってこの残念な気持ちになるってコトを


手入れはかなりしていたツモリではあったのに自転車が新品同様の状態でないコトに諦め始めていたある日のコト

帰宅して自転車を担いで自宅に上がる前に、手前のコンビニで買い物をした

今思えばコンビニに寄る前に一旦自転車だけ部屋に置いてから買い物をすれば良かったのかも知れない


買い物を終えて店から出ると、自転車は無かった

カギは掛けていたけど私が担いで階段を登れる程度の軽さの折り畳み式自転車なんて簡単に持ち去るコトが出来たんだろう

自転車が盗まれたと云う現実を私は物凄くすんなりと受け入れていた

盗まれたと云う悔しさよりも、盗まれた自転車を悔やむ自分を認めたくないと云う思いの方が遥かに上回っていた


これが、東京よね

と、誰にも聞こえない小さな声で呟きながら、もともと自転車など無かったかのような澄まし顔で私はマンションの階段を上った

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