コンビニにて:第3話
狭いワンルームの部屋には350ml缶が12本入る程度の小さな冷蔵庫しか置いていない
欲しいものがあればその都度階段を下りて隣のコンビニで買っている
私はコンビニを冷蔵庫代わりにしている
真夜中に口寂しくなりスナック菓子を食べたくなると玄関を出て鉄製の狭い階段を下りてコンビニのお菓子の棚を物色する
今も正にそうだった
半乾きの髪に長袖のTシャツ1枚と云う出で立ちで毎晩の様にココに来る、云わば常連だ
店員は大抵同じアルバイトの男の仔で、ちゃんと休みを取っているのか、いつも同じ仔だ
大学生だろうか?それともフリーターだろうか?
おそらく年齢は私よりちょっと下だろう
私は彼のコトを心の中で「駄目男くん」と呼んでいる
缶コーヒー1本をレジカウンターに置いて「袋は要りません」と告げたにも関わらず「袋にお入れしますか?」と聞き返してきたり
ヒドい時は返事をしておきながら袋に入れたりする
そんな調子だからよく酔っ払い客に絡まれたりもしている
客が暴れだすと通報ボタンでも押しているのだろう、店の前にパトカーが来て、酔っ払いと数人の警察官が揉み合いになっているコトもしばしばある
お客相手の仕事は絶対に向いていない私と同じ人種なんだなと云う親近感もあるが、全く人と接点のない仕事を選んだ私の方が弁えがあるなと云う優越感の方が大きい
そして今も駄目男くんはお客に絡まれている
私は会計待ちの列で前から2番目に並んで、かれこれ5分くらい自分の順番が来るのを待っている
私の後ろにも次々とお客が並び、こんな真夜中にも関わらず順番待ちの列は店内を半周するくらいまで伸びていた
どうやら駄目男くんがポイントカードの提示を促す台詞を云うのが遅かったか云い忘れた様で、買い物をしたのにポイントが付かないコトにこの客は怒ってるらしい
そんなの一旦全部消して打ち直すなりすればなんとかなりそうなモノだけど、融通が聞かない安定の駄目男くんっぷりだ
ポイントを付けろ、無理です、じゃ偉いヤツを呼べ、寝てます、の堂々巡りで平行線だ
こんな状況なのに待たされている他のお客が1人も怒りだしたり仲裁に入ったりしないのも東京だ
並びながらスマホのゲームを始めるお客もいれば買おうとしている雑誌を開いて読み始めるお客もいた
私はポイントを付けろ、偉いヤツを呼べ、の無限ループを眺めながら「偉いヤツ」と云う云い回しもなんとも頭が悪そうだななどと思っていた
レジの後ろの窓ガラス越しに冷凍車のトラックが停まるのが見えた
なぜそのトラックが冷凍車だと私に分かるか?
あのトラックもこの時間帯に毎晩来て、最初に台車に山積みになった氷を納入して、次にアイスクリームの山を納入、最後に冷凍食品と思われるプラスチックの箱を冷凍食品売場の棚の前に積んで行くからだ
その納入業者もいつも同じ顔で、常にマスクをしているので私は彼の目しか見たことはないけど、1度だけ会話を交わしたコトがあった
その日はタマゴやパンや牛乳を買っていたのでコンビニ袋を肘に掛けていた
会計を済ませて店から出ようと自動ドアの前まで進み自動ドアが開くと同時に山積みの氷の入った段ボール箱と鉢合わせになった
私は明るい店内にいたので暗い自動ドアの向こう側でその業者さんが氷を納入しようとしていたコトに気付かなくて、彼もまた自分の目の高さより高く積み上げられた氷の山を押していたので、私が出て来ようとしているコトに気付かなかったようだ
重たい台車を押しながら緩やかな傾斜のある入口のスロープを登って来ていたにも関わらず、彼は爽やかな声で「失礼しました!お先にどうぞ、通れますか?」と私に先に自動ドアを通るように促してくれた
うっかり「ありがとうございます」と云いかけたが、こう云う時にも無表情で遣り過ごすのが東京の流儀だ
けど、目こそ合わせなかったけど、私は軽く会釈をして彼と擦れ違った
それが私が上京して来てからの、数少ない会話経験のひとつだった
店内に響くような明るい声で「おはようございます!」と挨拶をしながら、やはり氷の段ボールの山を台車に乗せて彼が入ってきた
ポイントを付けろ!と駄目男くんに怒鳴り散らしているお客を見ても彼は全く動じるコトもなくいつもの調子で駄目男くんとそのお客の間に割って入って、バインダーをカウンターに置きながら「検収印をお願いします」と爽やかな声で云うと、直ぐにまた台車に戻って納入作業を始めた
文句を云っていたお客も一瞬彼の方に向き直って彼にも絡みかけたが、彼が黙々とアイスクリームや冷凍食品を店内に納めているので諦めて再び駄目男くんに絡み出した
一通り納入作業を終えた彼がレジカウンターに戻って来て駄目男くんに「検収印オッケーですか?」と尋ねながらバインダーを手にした
駄目男くんはずっとこのお客に絡まれていたので検収印など押していなかった
バインダーを見てそれを確認した彼は文句を云っているお客に頭突きでもしたのかと思う勢いで顔を間近まで近付けて睨んだ後
今までの爽やかで明るい声からは想像も出来ないような低いドスの利いた声で文句を云っていた客に云い放った
「オッサンよぉ、コレ、やるから勘弁してやって」
そう云いながら将棋の駒を進める時に鳴らすようなバチンと云う大きな音を立ててレジカウンターに100玉を置いて見せた
どんなに買い物をしても付くポイントなんてせいぜい5円とか10円単位の話だろう
そこに、まるで5円10円の話で喚き散らしていた自分を嘲うかの様に叩き付けられた100円玉で冷静になったのか恥ずかしくなったのか、お客は我に還ったようで漸く黙った
冷凍車のマスクの業者さんはいつもの調子に戻り検収印を押してもらうと明るく「ありがとうございました」と一礼して店を出て行った
駄目男くんはと云えば私の前に並んでいたお客に「お次にお待ちのお客様」と、頭を使わずに口から自動的に出てくる台詞をロボットの様に吐き出していた
私はレジの後ろの窓ガラス越しに走り出す冷凍車のトラックを秘かに見送りながら
次からは髪をちゃんと乾かして下着もちゃんと着けて買い物に来ようと、そんな風に思っていた
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