蕾桜


 男性は体勢を崩して地面に手を突いた。その傷を川沿いの冷たい風が撫でる。擦り傷となって血が顔を出していた。


「まーたあいつだよ。本当に下手くそだよなー」


「それな。馬鹿みたい」


 河川敷に並ぶ蕾桜の方向から、中坊の揶揄する声が聞こえる。もちろん、男性は気にしていない。それは、相手が子供だからではない。むしろ、下手であることを認めているからだ。


 痛みを堪えて立ち上がる。まだアンバランスな足元を支えるため堤防の手摺につかまり、ゆっくりと進んでから、手を離す。足が縺れて思い通りの方向へ進めない。そうしてまた、地べたに手を突く。


 ローラースケートをしてみたいという彼女の要望に応えるためにも、自分自身がローラースケートを完璧にできるようになる必要があった。


 右足を若干右斜め前へ突き出し、次は左足は右足と対称になるように突き出す。それをテンポよく繰り返し、少しずつ波に乗っていく。最初の頃に比べれば、かなり上達していることは実感できていた。しかしまだ、彼女に教えられるほどの技術は持っていない。


 男性は、明日も登校中の中坊に揶揄されるのだろうと思いながらローラースケートを外した。




***




「珍しいな、夕方にも来るようになったのか」


「ほんとだ。しかもなんか女の人もいるな」


 男性は滑らかで快活な動きで彼女にお手本を見せる。それに続いて女性もぎこちない動作でローラーを回す。男性は女性の隣で手摺の代わりとなって一緒に進む。


 練習の甲斐もあって、以前のようによろけたりせず、安定したフォームで思い通りの動きができる。


「あっ――」


 不意に女性が足を滑らせて、お尻から勢い良く倒れそうになった。


「大丈夫?」


 しかし、男性が背中を支えたおかげで踏み留まることができた。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


 女性は自分のことを支えている手を見て微笑んだ。男性は女性に絆創膏を貼っている理由を悟られたのかと思ったが、女性は何も言わなかった。


 穏やかな川と満開の桜の狭間にはただ、笑顔が咲くだけであった。

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