私を忘れたあの人
咳をした。それは「おはよう」の一言を飲み込んだからだ。恥ずかしくて口を閉じたまま咳をしたものだから、口内で唾液が散乱する。そして、通気性の悪い口内は空気で渋滞し、ずる賢い二酸化炭素が鼻から吹き出た。
私が変に音を立ててしまったせいで"あの人"はこちらに目を向ける。そうして私は自信を客観的に見ることができ、口元を抑えることを思い出した。遅れて口元を抑え、視界の端で"あの人"の様子を伺う。喜ぶべきか、"あの人"は自身のスマホに目を戻す。
咳を無理に止めようとしなければ電車の揺れる音と重なって日常に溶け入るだけだったのに。そんな後悔は一瞬のことで、今日も"あの人"に話しかけられないまま、下車することになる。交通整理がてらにため息一つ。
"あの人"の雪に埋まった記憶が夏の暑さで溶けますように。私は私のために願った。
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