とある朝のパステルレイン
靴はすっかり濡れて、歩くたびに靴下から水が出てくる。なのに、鬱々しくは思わない。
あの子がいなくなる。大っ嫌いなあの子が。だから、雨粒は幸せ、歓喜の象徴なのだ。七色の絵の具が降り注ぎ、私に潤いを与える。傘も置いて街を歩く。行く人々に明るい表情は見えない。そりゃそうだ。あの子がいなくなるのだから。
どう足掻こうと、体に染み付いた雨の色は落とせない。運命は変えられない。七色の雨があの子を間接的に刺し殺す。
今日の朝、あの子は傘を持たずに家を出て、地上へ降りてくる。すると、自分の体に色が付いていることに気がつく。もうその時点で手遅れである。私が事前にかけた魔法で、あの子の死は確定する。
私は雨女だ。私が行事に関われば大抵雨が降る。だからみんな雨女だと言った。タチの悪い人たちは、私が雨を降らす魔法を使っていると言ったりしていた。でも、実際のところ、あの子――雲の上に住む謎の少女――が雨を降らしているのだ。
そもそも、私が使える魔法は「水を生成する」とか「室内の温度を少し変える」などの簡単なもの。あるいは、条件が回りくどくて面倒なものである。
いつの日か、あの子が私の前に現れた時こう言った。
「今のあなたには雨が似合っているわ。だから私は、雨を降らせる。私はこの星のどこかで応援し続けるわ」
何が私のためだ。雨のせいで何人もの友達を失くし、いくつもの青春が朽ち果て、数え切れないほど涙を流した。雨に紛れて流す涙ほど切ないものはないだろう。その日から雨の色が七色に見え始めた。
七色の雨は狂ったように世界を塗りつぶす。色同士は混ざり合い、灰色の世界が出来上がる。私の心象にぴったりの風景。
いつものようにあの子は雲の向こう側から現れる。私は信号の前で立ち止まり、それを確認した。もちろんあの子は傘を持っていないし、体中に雨の色が付着している。
完璧……あとはあの子が太陽の光を浴びるだけ。そうすれば、七色に導かれて太陽の光があの子に集約し、焼け死ぬ。そうなるようにいくつもの魔法を使った。
そんなウキウキ気分でいると、あの子は地上へと着地した。そして、何も知らぬ様子で歩き始め――誰かとぶつかった。
最悪だ……私があの子にかけた魔法は、あの子が触れた人も対象に入ってしまう。それに、この魔法の解除方法は――思いながらあの子とぶつかった相手の顔へと目を向けた。冷たい雨に反して私の顔は熱くなった。
――学園祭の時、雨が降ると分かっていたのに傘を忘れてしまった。大雨を目の前に、玄関の軒下でどうしようかと悩んでいた。もちろん、濡れて帰るしかないのだが、学園祭後の疲れで怠さが最高潮だったため、帰ろうに帰れなかった。
「傘、忘れたの?」
そんな時、偶然通りかかったクラスメイトの男子が声をかけてきた。
「うん。雨女なのに傘を忘れるなんてバカだよね」
「雨女だなんて言われてるけど、俺はそう思わない」
不意打ちだった。陽光のように優しく手を伸ばされ、私はこの瞬間だけ別世界の花咲く女の子になれた。
「そもそも、みんな魔法のことを知らないんだよ。天気を変える魔法が使える人なんていない。せいぜい神様くらいだよ。それに、止まない雨はない。明日には晴れてるさ」
泣きそうになった。胸が苦しくなり、咄嗟に逃げよう、という考えが浮かんだ。現実世界と別世界の差異に耐えきれなかった。
「そうだね……。ありがとうね、元気出た。じゃあまた」
さっきの躊躇いを忘れ、雨の中へ入って行った。濡れることよりも、泣いてしまうことの方が怖く感じた。そして、雨に濡れれば自分ですらも涙を感じずに済むと思ったのだ。
赤、青、黄色……たくさんの色が私を染めていく。色は次第に裏返り、淀んだ灰色へ。
しかし、急に雨の落ちる道が遮断された。
「家まで送るよ」
さっきの男子だった。涙を雨で誤魔化せていたか、今でも心配だ。
――私は恋をしたのだ。
その男子が、あの子がぶつかった相手であった。そんでもって魔法の解除方法は接吻――キスなのだ。
好きな人をこのまま見殺しにするほど臆病でもない。かといって、「キスしてください!」なんて言えるはずもない。
「おっと! 間違えて、君に『死』の魔法をかけちゃった。解除方法は異性とのキスなんだよなぁ」
他の方法を考える暇もないまま事は進む。あの子はどこか演技くさいセリフを無駄に大きな声で喋る。
「あっ! レイちゃん! こんなところで会うなんて偶然ね!」
あの子は分かっていたかのようにこちらへ目を向け、手招きした。私は仕方なく二人の方へ行った。
「あ、レイさん、びしょびしょじゃないですか。風邪引きますよ」
「だ、大丈夫」
「あれ、レイちゃん、この人と知り合い?」
少しばかり嫌な予感がする。
「はい。クラスメイトなんです」
私が黙っても会話は進む。
「へぇ、じゃあレイちゃんとキスしてよ。そうしたら魔法も解除できるしさ」
「「えっ?」」
私は彼と顔を見合わせた。彼は半信半疑のようだ。無理もない。雨を降らす魔法ですら神にしか扱えないと思っているのだから、こんな少女が使えるはずないと疑っているのだろう。
「早くしないと死んじゃうよ」
私の顔はおそらく真っ赤。嫌な予感が的中した。なんなのこの子……と思いながらも憎めないのが卑怯である。
「早く早く!」
お互い様子を伺い合い、話が進まない。それを焦れったく思ったのか少女は急かす。
「俺は構わないんだけど、レイさんに申し訳ないし……」
「わ、私もいいよ――」
もう一押しだと自分に言い聞かせて、口が閉じるのを、言葉が引っ込むのを、食い止めた。
『天気を変える魔法が使える人なんていない。せいぜい神様くらいだよ』――この子は天気の神様だろうか。おそらく違う。『私はこの星のどこかで応援し続けるわ』――きっと恋の神様だ。
灰色の心から輝かしい虹色の言葉を、今、吐き出す。
「だって私、サンくんのこと、好きだから!」
虹色の雨にも負けない声で叫んだ。
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