壊れた世界で


「はぁ、はぁ……危ねぇ」


 なんとかアパートの二階に逃げ、間一髪でバイクからの脅威は免れた。かといって、ここが安全かといえば、そんなこともない。むしろ、小回りの効くバイクよりもタチの悪いことが起きる点では最悪の場所だ。


 『もの』が人を殺す『時間』があと一時間くらいある。しかし、ここで待機しておかなければ、さっきのバイクに轢かれて死ぬことになるだろう。それに、アキラとミツキもここにいるだろうから。


 バイクに追いかけられた時、僕は二人にアパートへ逃げるよう指示し、その少しの間だけ時間稼ぎをしたのだ。このアパートは幸いにも崩れていなかったから、バイクから逃げるには適切な場所であった。


「トモヤ! 大丈夫?」


 僕のことを見つけたミツキが心配そうな顔でそう言った。その後ろにはアキラもいる。


「あぁ、大丈夫。それよりも、人はいそうか?」


 外で暴れているのはバイクだけではない。ありとあらゆる車が『殺意』をあらわにし、誰彼構わずに轢き殺す。簡単に言うと、『もの』が人を殺すという怪奇的な話だ。


 もしかしたら、他のグループがこのアパートへ食料調達がてらに避難するのではないかと考えた。他のグループが避難してくる分にはいいのだが、問題はそのグループが俺たち三人を襲い、食料を奪ったりしないかだ。


「俺たちが来た時には居たんだよ。でも、上の階に逃げて行ったから大丈夫だと思う。それよりも、手持ちの食料がもうない。まだ『時間』だけど、ここで早めに調達しておこう」


 『時間』というのは『もの』が『殺意』を持つ時間のことだ。およそ、午前九時から午後四時までを『時間』と呼んでいる。


 持ち運べる食料は決まっているし、その食料は国から徐々に減るだけで生産する人は誰もいない。正直、僕たちはいつ死んでもおかしくない状況にあるのだ。


 その上、『時間』が過ぎれば生き残っている人たちが食料を求めてこういう家々を漁る。彼らと鉢合わせになれば、食料を奪われるだけでは済まないだろう。


 どちらにせよ、危険であることに変わりはないが、この世界では僕たちも食料である。それを考慮すると、『もの』よりも人の方が、殺意を向けてくる可能性があると考えた。


「そうだな。ドアも開いてないようだし、多少はあるかもね」


「私、お風呂入りたい」


「じゃあ、開けてくれ」


 そう言ってアキラは僕に向かってドアを開けるよう促した。僕は流れるような手つきでバックからピックツールとマイナスドライバーを取り出し、鍵穴にそれらを差し込む。


 僕の親は鍵関係の店を持っていて、僕は後継のために多少の技術を身につけていた。それに、こんな終末にも近い、壊れかけた世界になってしまったということもあり、両親はピッキングに関するノートを僕に託してこの世を去った。


 それから、ここ一ヶ月でたくさんの経験を積み、今では両親に負けないほどの速さになったと思う。


 かちゃかちゃと鍵穴をいじってから数分後、ガチャッという小気味よい音が鳴った。そして、ドアを開いて中へ入った。


 中はごく一般的な一LDKに、家具や生活用品が置かれていた。


「ここは大丈夫だな。じゃあ、俺ら食料かき集めてくるから、ミツキはゆっくり休んでくれ」


「うん。わかった」


 そうして、僕とアキラは隣の部屋へ行き、またピッキングスキルを行使するかと思いきや、鍵は開いていた。中はさっきの部屋と変わらない間取りと、靴が散乱した玄関。異常事態の起こっている『もの』から少しでも離れようと急いで避難したのだろうか。


 そんなことを思いながら部屋の奥へ進んで行く。冷蔵庫の前まで来ると、背後から気配を感じ振り返った。


「うらぁぁぁ!」


 知らない男性がフライパンを大きく振りかぶり、僕に向かって振り下ろした。しかし、後ろから付いてきていたアキラが横から男性を突き飛ばす。おかげで、フライパンは僕に当たらず、男性は倒れ込んだ。


 アキラは鋭く光る包丁を腰から引き抜いた。そして、容赦なく男性の太ももに刺した。


「いでぇぇ!」


 男性はもがいて苦しむ。刃と肉の間から血が溢れてズボンに染み付く。嗚咽を漏らし、転がり、見ているだけで胸が痛くなる光景だ。


 間を空けず、二本目、三本目の刃を脇腹と背中に刺す。


「――あっ、うっ……」


 ここまでしてもまだ生きていることにアキラは気怠そうな表情を浮かべる。そして、僕に向かって手を差し出してナイフと一言。言われるがまま、護身用のナイフを手渡した。


 アキラはそれを受け取った瞬間に男性へ向け、突き刺した。その瞬間から、男性は声を発することはなくなった。


「…………」


 僕はその悲惨な出来事に目を瞑り、これは仕方のないことだと自分に言い聞かせる。だって、殺さなければ殺される。先生や友達がそうだったように。


 そもそも、何故こんな世界になってしまったのかはわからない。少なくとも、初夏に起きたある事件が全ての始まりだった。


 都内の電車が走行中、急にドアが開き、ドアにもたれていた三十歳の男性が電車から放り出されて死亡した。という事件だ。


 これはただの事故ではなかった。かといって、人為的な殺人でもなかった。何故ならば、その電車は右側のドアを一つ開けようとすると、右側の扉全てが開かれる仕様になっていたからだ。


 それからというもの、奇妙な事件は徐々に増えていった。照明が落ちて人が下敷きになっただの、無人の車が暴走して人を轢いただの。挙げ句の果てには建物が崩壊したなんてことも少なくなかった。


 『もの』が人を殺す。そんな表現が使われた。


 そして、二週間もしないうちに国、いや、世界が機能を放棄した。周囲は利己心を咲かせた人で溢れ、混沌に陥った。その辺に死体が転がっているのはもう当たり前。他者の家に住むのも冷蔵庫を漁るのも日常と化した。


 避難していた学校の一部が崩壊し、大勢の人たちが死んだ。だからこそ、地域の人達みんなで支え合って生きていくのが最善であると意見が合致した。そのおかげで学校が崩壊した後も、生き延びた人たちで協力して生きていけると思った。


 しかし、終末を迎えようとしているこの世界はそこまで甘くなかった。


 先生が女子生徒をレイプしたり、集団が急に襲いかかってきて生徒を何人か連れ去ったり、恐怖に打ちひしがれて自殺者が出たり。『時間』でなくとも、人は死んでいった。それに加え、毎日当たり前のように『もの』に殺される人たち。瞬く間に集団の肉は削ぎ落とされ、骨になってしまった。その肉の中には僕の両親もいた。


 自分の身は自分で守れ。その言葉の真意を知った気がした。


 気がつけば、残された生徒は僕とアキラとミツキの三人。運の悪いことに彼らは両想いである。


 僕はミツキが好きだ。でも、ミツキはアキラと両想い。食料調達や『時間』以外、僕は蚊帳の外にいる。


 だから、正直のところを言うと、僕はいつ死んでもいいと思っている。所詮、僕は家々の鍵でしかないのだから。いざとなれば、ドアなんてぶち壊せばいいのだから。二人からしたら僕は、食料をこの世界から減らし、二人の寿命を縮めている死神的な存在に過ぎないかもしれない。


 生きているだけで罪悪感を覚える。それに、ミツキがアキラと楽しく会話しているのを見ていると、胸が痛む。僕は彼女をあんな幸せに満ちた笑顔にさせることはできない。


 アキラは世界が壊れ、ナイフを向けてくる人間がいても屈しない。彼の生きて行くという決意は固く、平然と人を殺す。僕にはまだ、覚悟がない。だから、アキラに嫉妬していたのは間違いなかった。だからといって、彼がいなくなればミツキが壊れてしまうことも、僕が生きて行けなくなることも知っている。はずなのだ。


 僕は冷蔵庫から取り出したジャムを誤って落としてしまった。すると、瓶の蓋が開いて中身が少し溢れた。


「おいおい、ジャムって貴重なんだぞ! もっと慎重に扱えよ」


 その言葉を聞いた刹那、ごめんという言葉は喉の奥に引っ込んでしまい、代わりに『殺意』が僕の脳を支配し、体が言うことを聞いてくれなくなった。


 僕自身も驚いた。電光石火の如く、アキラの髪を掴んで置いてあったナイフを手に取って綺麗な弧を描き、首を切り離した。その早業といい、ナイフを振る力といい、僕の技量じゃ到底できない。


 体の自由が戻ったと思えば返り血を浴びて、その場に立ち竦んでしまった。今、目の前で起きた出来事があまりにも唐突すぎて、あまりにも非現実的で、理解も受け入れも出来なかった。


 アキラが……死んだ?


 まさか、あんなに強くて頼り甲斐のあるアキラが、こんな、のろまで度胸もない僕に殺された? いや、そうじゃない。僕が殺してしまったのか? 血溜まりの面積がゆっくりと大きくなる。


 何度もその事実を反芻していると、手が震え始め、心拍数が上がるのがわかった。人を殺した罪悪感と焦燥感で板挟み状態。


 そうだ。ミツキ……ミツキになんて言えば……。まさか、僕が殺したなんて言えないし……。嘘で誤魔化すしかない……。


 アキラはこの男性に殺された。そうだよ、僕がアキラを殺すなんて不可能だ。きっとミツキも理解してくれるはずだ。時間はかかるだろうけど。


 一時間近くその場で座り込んでいただろう。無理もない。理不尽かつ、悲惨な事実を突きつけられ、その惨状を作り出したのが自分であるというのだから。


 僕はよろめきながらもミツキのいる部屋へ行き、彼女に事情を説明した。




***




 話すことすらもままならない雰囲気が一週間続き、精神的にも食料的にも危機が訪れた。それだけでなく、季節の変わり目ということで、だんだんと寒くなってきていた。ただでさえ『時間』になれば安全な場所が限られてくるというのに、寒さの関係で休憩できる場所もなくなる。


 もう、絶望しかなかった。


 アキラが生きている時、僕とミツキの二人だけでこの壊れた世界を歩けたらな、なんて思っていた。しかし、それが叶ったところで微塵の幸せも手に入れられない。


 どうして僕はアキラを殺してしまったのだろうか。いくら考えても答えは分からなかった。


 ミツキはアキラの後を追って自殺こそしなかったが、明らかに雰囲気は変わった。食欲もないらしく、何も口にしないことが多くなった。


 もう、僕は耐えきれなくなり、彼女にこんなことを言った。


「いつまで引きずるつもりだよ! もう、アキラは死んだんだ。諦めろよ……」


 僕はこんなことを言える立場にいるはずがなかった。でも、過剰なほどアキラに執着していることに嫉妬し、怒りを覚えたのだ。


「なんですって⁉︎ 私の気持ちも知らないくせに! それに、それは好きな人に向けて言う言葉じゃないでしょ!」


「うっ……」


 返す言葉なんて何もなかった。僕は彼女に告白した経験がある。『もの』が人を殺す前の話だ。もちろん、即断られた。


「今は『時間』なんだから余計なことは言わないで。さっきだって危うくバレるところだったんだからね? 本当に使えない《・・・・》んだから」


 例えこんな関係でも、彼女がいなくなれば、途方に暮れることくらい想像できた。それなのに、だ。


 また『殺意』に侵される。抵抗の一切を受け付けずに僕はナイフを振った。鈍い音と、なんとも言い表し難い快感。滑るように右肩を切り裂き、流れるような動きで二振り三振りと続ける。自分の目すらも追いつかない速さで腕を振った。


 瞬く間に彼女は肉塊となった。


 意識が曖昧になった。血なんて、死体なんて、見慣れているはずだった。ドス黒い赤が飛び散り、目の前が真っ赤になる。


 人が人を殺すシーンなんて飽きるほど見てきた。何度も吐き気を催してめまいがした。でも、それは一瞬の話。慣れれば感情は固まってしまう。


 それなのに何故だろう。僕は久々に胸が痛む。涙が溢れて仕方がない。力が抜けてその場に倒れ込んだ。


 どうして僕は泣いているのか。好きな人を殺めてしまったからか。いや、それは違う。僕が『殺意』に襲われる直前に言われた言葉を思い出した。


「使えない……」


 僕は全てを理解した。この『殺意』の原因も、『もの』が人を殺す理由も。


 『もの』は日々、人間のために働き、人間に寄り添っている。しかし、人間は自分の失敗や欠点を『もの』のせいにする。そのくせ、人間は『もの』に頼りっぱなし。そのせいで、『もの』は『殺意』に包まれる。


 僕も同じことだ。僕が、アキラとミツキにとって『もの』でしかなく、それが使えないと思った。そのせいで、僕に『殺意』が芽生え、体の自由を奪われたのだろう。


 僕は大切な仲間をこの手で殺し、孤独になった。残酷な話だ。


 どれもこれも、僕が最後まで生きていたせいだ。もっと早く死んでいれば……。そうすれば、少なくともミツキとアキラは幸せに生きていけたはず。なのに僕は……。


 無意識のうちに僕はナイフを力強く握り、真紅の刃をこちらに向けて両手で構えていた。その真意に気づいた時にはもう遅かった。いや、もしも、もっと早く気がついていたとしても抗いようのない力が働くため、無意味だ。


 自分の存在が必要なくて、邪魔な『もの』と思ってしまった。要するに、僕は僕自身に対して『殺意』を抱き、今まさに殺そうとしているのだ。


 『殺意』は罪滅ぼしと囁いて僕の抵抗を和らげる。


 あぁ……。


 ナイフが喉元めがけて一直線に進む。ナイフは、いとも簡単に喉を貫き、僕の視界をぼやけさせた。漸次痛みが増していき、息苦しくなり、吐き気もする。吐けたならどれだけ救われるだろう。早く楽になりたい。


 長い一瞬の後、ナイフは引き抜かれ、体の自由が戻った。次のコマでは僕は地面に倒れていて、地面の感触すらも感知できないほどに重傷だった。


 長い間、死の淵を彷徨った後、僕の命の灯火は消え、この壊れた世界は破滅に一歩近づいた。

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