失せモノ


 揺れる。どこかへ向かって進んでいる。ここは……。


 目を開けるとそこは電車の中であった。立ち上がって前後の車両を確認したが、車内にいるのは僕一人だけだった。それから、記憶がなくなっていた。何も思い出せないまま電車に揺れる。


 外は真っ黒な靄に包まれていて、恐怖と不安が込み上げてくる。


『次の駅は公園。公園です。各駅にて失せものを探している方がいらっしゃいますので、探し出してから再度ご乗車お願いいたします』


 アナウンスが流れた。そして、電車はゆっくりと速度を落とし、止まる。


『扉が開きます。ご注意ください』


 扉が開くと公園の遊具が目の前に広がった。滑り台、ブランコ、鉄棒、砂場、どれも懐かしさを感じるものばかりである。


 電車から降りると、滑り台の隣で男の子が泣いているのが見えた。どうしたのだろうかと思って近づこうとすると、男の子と一緒にいた女の子が僕に気がつき、こちらに向かって走ってきた。


「すいません、あの子のぬいぐるみ探すのを手伝ってくれませんか?」


 女の子は泣いている男の子を指して言う。そして、僕は電車内でのアナウンスを思い出した。公園を見渡す限り、この二人と僕以外は誰もいないようであった。


「いいよ。一緒に探そうか」


 遊具の間や下に落ちていないかと調べる。滑り台の下……ない。鉄棒の隣に生えている雑草を掻き分けて探す。何もない。公衆トイレの中……ない。


 思いつく限りの場所を全て探した。しかし、ぬいぐるみどころかゴミ一つ出てこない。まるで空想の中の世界、あるいは細かいことを知らない世界のようだ。


 よく考えてみれば、この公園は絵に描いたようなものばかりであった。どれも鮮明でないというか、ぼやけているというか、曖昧というか。それは、この二人の子供たちにも言えることであった。


 その上、公園の外は真っ白な煙に包まれていて、空もやけに青い。ここは本当にどこなのか。そして、僕は何者なのか。


 相変わらず泣いている男の子とそれを宥める女の子を眺めていると、僕の無力さを突きつけられているような気がして胸が痛む。


 自分の弱さを自覚すると、ふっと脳裏にくまのぬいぐるみが浮かび上がる。妙だと思ったのは、そのくまのぬいぐるみが砂まみれであったことだ。ぬいぐるみが砂場に落ちているということを示唆しているのだろうか。


 しかし、砂場にぬいぐるみなんて落ちていなかった。では、さっきフラッシュバックしたぬいぐるみは何だったのか。他に手がかりもないので、とりあえず砂を掻いてみる。見えないものをあてもなく探すように。


 掘り進めるうちに楽しくなってきた。童心とやらを思い出したのだろうか。


 夢中になって砂を掻いていると、明らかに砂以外のものに触れた。ゆっくり引き上げると、フラッシュバックした時に見えたぬいぐるみと同じものが出てきた。やはり、あれは失せものがある場所のヒントだったのだ。


 砂まみれになったぬいぐるみを叩いて砂を軽く落とした。それでも砂は残っていて、どうしようかと悩んでいるところに女の子がやってきた。


「見つけてくれてありがとうございます!」


 女の子はぬいぐるみを受け取ると、男の子の元へ駆けて行った。


「ほら、ぬいぐるみ、見つけたよ」


「うん、ありがとう」


 既視感があったが、そのソースを思い出せなかった。とにかく、男の子の失せものを見つけ出したので、電車に戻ろうとすると、女の子に呼び止められた。


「これ、さっき落ちていたの」


 そう言って、幸せそうに笑う男女のツーショット写真を渡された。写真の裏には、写っている二人の名前と思われるものがハートマークで結ばれている。僕はそれを曲がらないように胸ポケットにしまった。


「ありがとう。持ち主に渡しておくね」


 女の子は少し首を傾げた。しかし、すぐに何かを察したように無垢な笑顔を浮かべる。特に気にする必要はないと思い、僕は電車に乗った。


「じゃあ、またね」


『それでは、次の駅に参ります。車内が揺れますのでご注意ください』


 扉が閉まり、電車はゆっくりと動き始める。


 僕が手を振ると二人は天まで伸ばした腕を振って見送ってくれた。徐々に電車のスピードが上がり、二人の子供から離れていく。そして、その姿が見えなくなり、僕は座席に腰を下ろした。


 窓を眺めても白い靄が視界を遮り、外の様子は分からなかった。


『次の駅は学校。学校です。扉が開きます。ご注意ください』


 扉が開くとそこは学校の校舎内のようで、目の前には靴箱がずらりと並んでいる。


 靴を脱いで校舎の中を散策していると、三階にある新校舎と旧校舎の渡り廊下のところに学ランを着た男子生徒を見つけた。彼は廊下の窓から外に顔を出し、浮かない顔をしていた。おそらく、彼が失せものを探している人だろう。


「どうしたんですか?」


「大切なペンダントを失くしてしまって……。どこを探しても見つからないんです」


 こちらに顔だけを向けて、その悲痛さを訴える。その顔に見覚えがあった。


「探すの手伝うから、そう落ち込まないで。きっと見つかるから」


 僕はそう言って彼を励ました。早速ペンダントを探しに、一階の教室から順序よく探していく。


 閑散とした教室に足音が響き、哀愁が漂う。それにしても随分と広い校舎だ。そこから小さなペンダントを見つけるなんて骨が折れる。


 各教室に置いてある机の引き出しを一つ一つ確認し、椅子や洗面所の下も探したが見つからない。


 十クラス分の教室を回っても見つからず、とうとう疲れてしまった。少し椅子に座って休憩しようと思ったら、いつの間にか寝ていた。




***




 彼女からもらったものを失くしてしまった。学校中を探したし、家も帰り道も全て探したが見つからなかった。


 失くしたことを黙っていても悪いので、正直に打ち明けようと思い、彼女を呼び出した。彼女はなんと言うだろうか。とりあえず、怒られて顔を引っ叩かれる覚悟をして待っていた。


 あれは、たくさんの思い出が詰まっている大切なものだ。なのに、どうして失くしてしまったのだろうか。


「どうしたの? こんなところに呼び出して」


 少し不安げな彼女が来た。息をゆっくりと吸って、罪悪感と戦いながら話す。


「その……実は、君からもらったものを失くしたんだ……」


「私、それがある場所分かるよ」


 目元はぼやけて見えないが、にやけた口元がもったいぶった口調で言う。


「ほんとに!?」


「もちろん。それよりも、正直に打ち明けてくれて嬉しいよ」


「どうして?」


「え、だって、将来結婚した時に何か困ったことがあった時、私に言えるでしょ? そしたら、私は君の手助けをすることができる。それなら安心だからね」


「なんだよそれ」


 二人して笑った。高校生なのに、結婚のことを考えているとは、どこか純粋な部分が垣間見える。それは僕にも言えることであった。


 「空」と言われれば上を見たし、「好き」と言われれば「好き」と返した。


 言葉だけではない。気持ちだって色鮮やかだった。ふわふわと宙に浮いてしまうほど明るくて、海のように雄大でキラキラしていた。


「ポケット。その学ランの内ポケット探ってみて」


 言われるがままポケットへ手を入れる。硬くて滑らかな感触とチェーンが擦れ合う音が鳴った。それから、甘い青春の香りが弾けた――




***




 夢を見ていた。伏せていた顔を上げて辺りを見回す。依然として教室は不思議な明るさに包まれている。曖昧な意識が急に覚醒し、僕は立ち上がった。


 夢の通りならば、あの男子生徒の失せものは学ランの裏ポケットにある。


 教室を出て二階の廊下を走り、スタディルームを抜け、トイレを横切って階段を上がる。そのまま左へ曲がれば渡り廊下だ。走っている勢いでドアを開けて渡り廊下へ出た。


「君! ペンダントのある場所が分かったかもしれない!」


 男子生徒は驚いた表情でこちらを向いた。


「君の学ランの裏ポケット」


 僕は息を切らしながら早口で言う。


「裏ポケット?」


 彼はどうして他人のポケット事情を知っているのかと疑問に思ったようだったが、素直に学ランの裏ポケットへ手を入れる。その瞬間、顔が明るくなった。


「あ、ありました!」


 興奮した様子でペンダントを取り出して僕に見せた。僕も安堵して自然と笑みが溢れる。彼は早速と言わんばかりにペンダントのチェーンを首に巻いた。


「そういえば、学校の身なり点検の時、裏ポケットに隠したまま忘れていました。ありがとうございます」


「どういたしまして。これからは気をつけてね」


「はい。本当にありがとうございます。あれ、それは……」


「どうかした?」


「あ、いえ。なんでもありません」


 彼は僕の胸の辺りを見て何か言いかけた。気になって自分の胸元を見たが、普段と変わったところはなかった。


「じゃあ、そろそろ行こうかな」


「あ、待ってください。これ、持ち主に渡してもらえませんか? きっと失くした人は困っているはずです」


 差し出されたのは指輪だった。


「わかった。必ず持ち主に届ける。じゃあ、またね」


「よろしくお願いします。では、また」


 手を振り合って別れを告げる。指輪を写真と同じく胸ポケットに入れ、渡り廊下から出て玄関へ向かった。


 電車に乗ると扉が閉まり、アナウンスが流れる。


『それでは、次の駅に参ります。車内が揺れますのでご注意ください』


 学校はゆっくりと虹色の靄に飲み込まれていった。未だに何も思い出せないが、言葉にできない明るさを感じていた。しかし、それと同時に、その明るさがいつか消えてしまうのではないかという危機感があった。


『次の駅は家。家でございます。扉が開きます。ご注意ください』


 その危機感を拭えないまま次の駅に到着した。


 扉が開いて電車から降りると、とある一軒家の玄関先に出た。その家は新築なのか、すごく綺麗で鮮明だ。庭もあるが、そこまで広くはない。人がいるとしたら家の中だろうと思い、インターホンを鳴らす。


 いくら待っても出て来ないので、もう一度鳴らすが、やはり出て来ない。試しにドアを開けてみると鍵がかかっておらず、すんなりと開いた。


「……お邪魔します」


 罪悪感もあったが、僕は家の中へ入った。靴を脱いで中へ入り、まずは一階に人がいないか探した。入ってすぐ右にあったトイレをノックするが、反応がないので、開けてみるとそこには便器があるだけ。


 続けてお風呂場を覗いても誰もいないし、キッチンは料理の良い匂いもしなければ、調理器具が外に並んでいるわけでもなかった。同じように、リビングも大きなテーブルと椅子が2つあるだけ。


 かくれんぼをしているわけではないので、クローゼットの中にいるわけがないと思いつつ開けてみる。そこには洋服がズラッと並んでいるだけであった。今は物置部屋として使っている部屋もくまのぬいぐるみがあるだけで誰もいなかった。


 二階の各部屋も探すが、誰もいない。庭にいるのだろうかと思い、外へ出て探してみても誰もいないので途方に暮れていた。


 リビングの椅子に座って大人しく待っていてもこの状況が変わることはなかった。


 今回ばかりはフラッシュバックや夢といったヒントも出て来ない。


 そろそろお腹が空いてきて、何かないかと冷蔵庫を開けてみる。豊富とは言えないが、この空腹を満たすには十分な量の食材が入っていた。そこで、何か作ろうと思い立ち、手を洗おうと流しの蛇口をひねる。しかし、水が出てくることはなかった。


 一つため息を溢す。ダメ元で洗面台へ行き、同じように蛇口をひねった。水は出ない。仕方ないので、汚い手のままで料理をしようと決め、顔を上げるとそこには鏡に映る自分がいた。自分の顔を見て驚くことが、こんなにも奇妙なことなのかと思い知らされた。


 動揺しながら慌てて胸ポケットから一枚の写真を取り出す。そして、そこに映る人物の顔と鏡に映る自分の顔とを見比べる。そこに差異はなかった。


 そうして写真をまじまじと見ていると、映っている男性が左手の薬指に結婚指輪を嵌めていることに気がついた。もちろん、その結婚指輪にも見覚えがあった。


 胸ポケットから結婚指輪を取り出す。よく見ると裏の方に名前が彫られていて、それは写真の裏に書かれている名前と同じであった。


 それから、物置部屋にあったくまのぬいぐるみと、今の今まで違和感なく付けていたこのペンダント。


 この駅で失せものを探しているのは僕自身なのかもしれない――


 記憶がゆっくりと蘇る。妻との出会い。妻との青春。妻との結婚。妻との喧嘩。思い出すことでようやく分かった。ここは自分自身の記憶の中であるということが。


 くまのぬいぐるみを失くして泣いている僕に、彼女が声をかけたことや、ペンダントを失くしたこと、全て僕の過去だ。


 僕がここへ来た理由はおそらく、高校生の時のような純粋な心を失くしたからだろう。でも今なら、妻に仕事の失敗を打ち明け、仲直りできるはずだ。


 高校生の時はあんなにも素直で純粋だったのかと思うと、自分に嫌気が差す。でも、あの頃の気持ちを思い出した今、多少は素直になれるのではないかと思った。


 そうして僕は失せモノを見つけた。


 電車に乗るといつものアナウンスが流れる。電車は星の輝く夜空を走り、僕はだんだんと眠くなっていった。


『次は現実。現実でございます。こちらが終点となりますので、失せモノをしっかりとお持ちになってお帰りください――』




***




 揺れる。どこかへ向かって進んでいる。ここは……。


 目を開けるとそこは電車の中であった。視界が埋まるほど乗客が多くて息苦しい。外は真っ暗で、気を緩めた瞬間にお腹が鳴った。


 妻と喧嘩して家を出てからふと電車に乗ろうと思い立ったが、乗ってすぐに寝てしまったことを思い出す。


 アナウンスが自宅付近の駅へ到着することを知らせる。しばらくしてから電車が止まってドアが開いた。


 当分家には帰らないと宣言したのにもかかわらず、僕はそのドアが開いたタイミングで降車した。


 迷うことなく家へ向かって歩き、十分程度で家の前まで来た。大きく息を吸い、ドアの鍵を開ける。ドアノブをゆっくり回して中に入る。


「ただいま」


 できる限りいつも通りを装って奥へ進む。


「当分帰って来ないんじゃなかったの?」


 椅子に座った妻が怒り口調で言う。


「その、ごめん。実は」


 仕事の失敗と、そのせいでイライラしていて、つまらないことで怒ってしまったことを妻に伝えた。


「だから、ごめん。こういうことがあったら逐一報告するって約束だったのに、失敗したことが恥ずかしくて……」


「よかった、覚えてたのね。じゃあ話が早い。次から気をつけるようにね。今回は許してあげるから」


「ありがとう。それとさ――」


 ぐぅぅ


 タイミングよくお腹が鳴った。


「はいはい。お腹空いたのね。一緒に作ろうか」


 ――星の輝く夜空の下、甘い香りと幸せの声が溢れる。

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