二回目
「君のお父さん、怒ってたんじゃない?私と一緒に船から抜け出しちゃって」
少女は少年の肩に頭を寄せて、からかうように言った。少女がいつもの調子を取り戻したようで、少年は内心ほっとしていた。
「うん、怒ってたよ。だいぶ無理を言って抜け出して来たからね」
「君のお父さんが偉い人で良かったね。じゃなきゃ、見張りが多くて抜け出せなかったよ」
「僕の親父は偉くなんかないよ、金持ちなだけで」
「お金持ちって偉いんじゃないの?だから君達の乗る舟はあんなに立派なんだよ。私達の舟なんてボロボロだよ、部屋だって100人ずつの大部屋だし、プライバシーなんてあったもんじゃないよ」
少女はそう言ってため息をついた。
「あーあ、私にもお金持ちの親がいればなぁ」
まるで他人事のように少女は言った。少女には親がいなかった。両親は少女が幼い頃に離婚し、シングルマザーとなった母親は少女を施設に預けたまま、帰ってこなかった。
それでも少女は明るかった。友達も多かった。引っ込み思案で流されやすい少年の手を引いて、いろいろな場所に連れ出した。進学し、通う学校が変わっても、それは変わらなかった。
「君もいつか、私を捨てる?」
不意に少女はそう言った。少年をからかうような、試すような、そんな不思議な表情を浮かべながら。
「……分からない」
「ちょっと。そこは嘘でもカッコよく、『君を一生離さない』とか言ってよ」
「曖昧な約束をしたくないんだ、君とは」
「じゃあ、他の人とは?」
「…よくしてる」
「なにそれ」
「曖昧な約束って、都合がいいでしょ?自分も傷付かないし、相手も傷付けない」
「『行けたら行く』みたいな感じ?」
「『来れたら来て』みたいな感じ」
「じゃあ私にもしてよ」
「君にはしない」
「なんで?」
「なんでも」
少年がそう言うと、少女は拗ねたように唇を尖らせそっぽを向いた。少年はそんな少女を見つめながら言った。
「君は偉いよ」
「え?」
「金持ちとか、貧乏とか、両親がいる、いないとか、そんなの関係ないよ。前を向いて、一生懸命生きてる。それが偉いってことだと思う」
少年の目には、少女のその瑞々しい笑顔や行動力が、とても好ましく写っていた。青々とした生命力の塊のような少女の生き方に、憧れさえ抱いていた。
「だから君は、ずっとそのままでいて欲しい」
「…ありがと」
少女は、自分をまっすぐ見つめる少年に向かってそう言った。月明かりに照らされた少年の瞳に、自分の姿が写っている。それに気づいた少女は、慌てて少年から顔をそらした。赤面しているのが少年にバレてしまうと思った。これ以上何か言われる前に話題をそらそう。
そう考えて頭を巡らせる少女の隣で、少年が口を開いた。
「…舟、どこに行くんだろうね?」
その言葉が、少女の思考を止めた。思わず顔を上げると、少年は遠い夜空を見上げていた。
「行く宛はないって、親父が言ってた。行き先もそれぞれ違うって」
少年は絞り出すような声でそう言った。気がつくと辺りに立ち込めていた霧が薄くなり、木々の若葉が風に揺られているのがぼんやりと見えた。少女は、少年から腕を離し、自らの膝を抱えて言った。
「…ねえ、二度と会えないんだったらさ、死んじゃったのと同じだよね」
「え?」
「もう二度と会えなくて、携帯でも連絡取れなくて、SNSでも繋がってなくて、声も聞けないんだったら、死んじゃったのと同じだよね」
「それは違うよ」
「同じだよ」
少女は強い口調で少年の言葉を遮った。
「…同じだよ」
ボー
ボー
遠くから、二回目の汽笛が聞こえた。
二人は無言でその汽笛を聞いていた。どんなに願っても、時間は決して足を止めてはくれない。
いつの間にか空を覆っていた雲は去り、夜空には満点の星空が広がっていた。
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