眠る街はアナログ

アナログに意味はない。

訂正。アナログでなされる技術行為には意味がない。エネルギーを得るために料理をすることには多少の意義が残されているけれど、手間隙をかけて味と見目の整ったフルコースを作るのは無意味だ。

何せアナログで百時間かかることがデジタルでは一分で終わることなんてザラだし、同じものが完成するならデジタルでいい。どうせ生活の基盤はみなオンラインに移行している。時代はARではなくOR、拡張現実ではなく代理現実ということだ。統計によればほとんどの人は生活のうち九割をOR上で過ごす。生理現象を解消する時だけログアウトするという寸法だ。

ぼくはそういう生活を厭わしく思う。

「思春期だねぇ」

「そういう言い方をされると癪に触る」

「うふふ、でもホントにそうなんだもの。みんなその感傷を通って大人になったの」

「ぼくは違うよ」

「そうかもね。でも、それがわかるのは大人になってみたときだけ」

ピノはぽんぽん、とぼくの頭を撫でた。しわくちゃの手は暖かい。でもORのそれとは違って湿っぽくて弛んでいて、どこかにゾッとするような雰囲気がある。生の老人というものがこんなに恐ろしい。ピノさんはターミナル•ケアの中にいる、いわば死を待つ人だからこそ、とても死の匂いが濃い。

少しだけ距離を置きたい、と逃げを打つ体を押しとどめる。デジタルが持つ底抜けの冷たさに比べたら、ピノの死臭はまだマシだ。そう思わなくてはならなかった。

「ピノだって、こうやってログアウトして生活してるでしょ」

「そうねえ」

「どうして?ログインすれば痛いのも苦しいのもないし、弱ってる自分のしわしわの手も見なくて良いんだよ」

アバターの見た目も年齢も好きなように決められる。一応、自分の体格とかけ離れ過ぎているとログアウトした時の生活に支障が出るという警告はされるが、大多数の人間は食う寝る以外でログアウトしない。食事だって最小限の手間で済む流動食が主流だというからこの世は終わっている。

「あら、否定して欲しいの?」

「別に、そういうわけじゃない」

「うそつき」

「ピノがそう思うなら、別にそういうことにしてもいいけど」

老化や病気は、ログアウトして生きる人々につきものの障害だ。生の肉体である限りそれからは逃れられない。だからこそ、皆歳を取れば取るほどログアウトしなくなる。鈍った体に精神が耐えられなくなるからだ。

ぼくだって別にそんな負債をすすんで引き受けたいというわけではない。でも、アナログで暮らしていくなら避けられない。そのデメリットを乗り越えなくてはならない。そういう意味で、ぼくはまだアナログで生きていくという覚悟ができていないのだった。ピノの言う通りだ。ぼくはヒントが欲しい。ピノにそれを求めている。

ピノはふ、と微笑んだ。寂しい笑みだった。デジタルには表現できない曖昧な感情が一瞬浮かび、すぐさま消えていった。霞のようだった。

「わたしがここにいるのはねえ、初恋がアナログだったから、かしら」

「そう」

「あなたと一緒。わたしもこっちで青春をしたの。つらくて、そして夢見たいな日々」

みなログアウトしないから、街にはロボットしかいない。一部の偏屈な学生が通う学校があるくらいだ。仕事はアナログに社屋を構えたところで誰も来ないから高層ビルはとっくに立ち枯れになってしまっている。ただ人々が眠るマンションがそこらにあるきりだ。

眠る街はどこまでも静かで、それをピノはうっすらと開いた目で見渡している。

彼女の言葉に散りばめられた嘘に想いを馳せながら、ぼくはその手に自分の指を重ねた。






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